パパと呼ばないで

再婚した時、パパと呼ばないでくれと懇願した夫(←おとうさんと呼んで欲しい)を、娘(27)「おやじ」と呼ぶ。良かったのか?

心の物差し

2019年09月19日 | 本・マンガ・テレビ・映画
9月19日(木)晴れ
     
まだ話し足りないので、穂村氏のエッセイの話の続き。

ずっと心の中にあって、でもそれをうまく言葉にできないことがある。
それを代わりに上手に言い表してくれた文に巡り会うと「そうそう!そうなのよっ!」と大興奮する。
その「そうそう!」が、穂村氏のエッセイにはたくさんあるから、ワタクシが彼と同じ成分でできているなんて思うのだ。

今回一番「そうそう!それそれ!」と思ったのが『心の物差し』というタイトルのエッセイ。
話は、その一つ前のエッセイから始まっている。
穂村氏は、トーク&サイン会の時に、ババロアの話をした。
サイン会になり、一人のファンから「ところでババロアって緑のやつですか?」と聞かれ、いや、それはゼリーだろと思う。
その後のファンからは「ババロアってパンナコッタみたいなものでしたっけ?」
穂村氏は「若者はババロアを知らないんだ!」と愕然とする。
世代差を甘く見ていた自分を反省する。
ついこの前、「ジュリーはキムタクみたいなもんですか?」と聞かれて言葉に詰まったばかりだったのに、と。

で、そこからの回想が始まる。
自分が若い頃、会社の上司から「若い子がスピッツスピッツって騒ぐから聴いてみたらチューリップみたいなものだ。」と言われ、
なんでわざわざチューリップに置き換えるんだよっっ!と心の中で反発した。
時が流れ自分がおぢさんになり、ある日、チャットモンチーをみて「ああ、僕らの頃でいう少年ナイフみたいなものか」
そしてハッとする。
昔、上司が言ってたことはスピッツやチューリップの音楽性ではなく「僕らの頃」って部分にこだわっていたのだ。
「今」についていけなくなり「僕らの頃のもの」に置き換えてからやっと受け入れる。

ここまででも、もうワタクシ十分に大満足で「そうだったのかっ!」と膝を打ったのだが、まだ彼は続ける。

外国でテレビを見ているうちに、
「この女性は黒柳徹子的なポジションだな」とか「この人は所ジョージで、こっちが和田アキ子か!」と、画面内の外国人を日本人に脳内変換していった。
これは「僕らの頃」の変形バージョン「僕らの国でいうと」現象だ。
めっちゃわかりますっっっ。
ワタクシの場合は彼ほど高尚ではなく、単に顔認証の力が弱いというところからきている。
先日見た「お料理帖」でも、クズ息子をずうとるびの新井康弘氏に置き換え、
今見ている「知ってるワイフ」のチソン氏は、中居正広氏と市原隼人氏に置き換え、
「僕たちのラストステージ」には、矢部太郎氏や川平慈英氏を勝手に登場させている。

今、ちょっと検索したチソン氏の妻(イ・ボヨン氏)の画像見て「石田ひかりをチョー美人にした感じね。あと、松岡茉優もちょっ入ってるかな。」と思いました・・・
自分の知ってるものに置き換えることによって測り直して、落ち着く。

この「心の物差し」というエッセイの締めくくりは、天才放浪画家山下清氏が、何か捉えがたいモノやコトに出会うと
「それは兵隊さんの位でいうとどれくらい?」と必ず聞いたらしい。
なんか切なくなった・・・

気を取り直して今日の一枚は・・・
今、何度目かの韓国ブームがきているワタクシ。
フルーツマッコリもお取り寄せして、似非韓国料理のツマミで呑みました。
バナナマッコリに負けず劣らずマスカットマッコリが美味しい!!!
コメント
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