ぱおんの小部屋

水郷爆釣隊隊長のひとりごと…

大和

2012-03-23 07:59:54 | Weblog
金欠だというのに、また写真のような本を買ってしまった。外出時にトイレを借りに入った本屋で、トイレを借りるだけじゃ悪いなぁと思って買ったのだ。小銭を集めての支払いが哀しい。

さて、世界の戦艦…ということで、もちろん大和も載っている。その大和級戦艦について、あるDVDで活用法を述べていた人がいた。大和を上手く使えば戦争は回避できたと。

昭和16年、アメリカからの外交圧力に屈して日本は戦争に突入したが、その圧力に大和で対抗すべきだったというのである。具体的には、同時試運転状況だった大和を公開し、すでに完成しているとハッタリをかます。いや、大和ばかりでなく、武蔵も完成しているぞ、3番艦の信濃も4番艦も竣工するぞと大ハッタリをかますのだ。それを信じさせるための証拠として大和の実物を公にするわけだ。

なるほど、この策が実行に移されていたらとりあえずは戦争を回避できたに違いない。というのは、以前に同様の事例があるからだ。
第一次世界大戦の後、日米開戦の一歩手前まで進んだ時、戦艦長門と陸奥の存在が歯止めとなって戦争が回避されたことがある、らしい。当時世界最強の長門と陸奥に対抗しうる戦艦を持っていなかった米海軍が日米開戦に強硬に反対したという噂だ。

昭和16年になっても依然として長門は最強戦艦の一角であるのだが、その長門がまるで巡洋艦に見えてしまうほどの超巨大戦艦が大和である。長門と併走する大和を見れば、とてもこの怪物とは戦えないと思うのは当然だ。おそらくアメリカは外交圧力を下げ、大和に対抗しうる艦が準備できるまで、少なくとも2~3年は開戦を先延ばしできただろう。その間に外交努力で戦争を回避しようというわけだ。こうして利用してこそ、大和を作った価値があったと、そのDVDでは解説されていた。

魅力的な策である。あの悲劇の戦争を回避できるのだとすれば是非ともこの策を使うべきだったと思われるかもしれない。
しかし、ボクはこの策を支持しない。今になって考えれば、昭和16年の開戦はベストのタイミングだったと思えるからだ。

大東亜戦争を無意味と捉える向きもあるが、とんでもない。戦争を始めた理由はともかく、結果としては人類史に偉大なる貢献をした。つまり有色人種を人間にしたのである。
確かにアジアを解放する大義名分は方便に過ぎず、本心は日本も植民地が欲しかったのだと思う。要するに日本も列強になりたかったのだ。
しかし、本音はいえない。そこで大義名分を立て、侵略を始めたのだ。だが、末端の兵は大義名分を信じていた。現地での懸命の働きがそれを示している。

その真摯さが、東南アジアでの日本の評価に繋がっている。思惑はともかく、欧米と、つまり白人と戦って、序盤戦に限定されるとしても勝ったことが、有色人種に勇気を与え、後の独立運動へ繋がっていったのだ。

だからあの戦争は決して無駄ではない。意味がある。ボクは人類史における大きな転換点だったとも思うのだ。

だがそれもあのタイミングで開戦したからこそである。大和を公開して開戦を先送りしていたらどうなったか? 数年後、アメリカは核兵器、すなわち原子爆弾を手にする。
原爆を落とすと脅されては抵抗できない。当時は有色人種は人間ではない。白人に対しては単なる脅しでも、イエローには脅しではすまないのだ。

ならば外交はアメリカの言いなりになるしかない。そうなると日本はどうなっていただろうか。

確かに悲惨な戦争だったが、その犠牲のおかげで今の生活があることを忘れてはいけない。犠牲者には本当にどれだけ感謝しても感謝し足りない。戦争をただただ否定して、日本は悪いことをしたと教える馬鹿な教育は止めた方がいい。

大和を始めとする日本の戦艦を、同時期の海外の戦艦と比べてみると、世界と対等になるために当時の日本がいかに苦労していたかがよく分かる。技術導入のためにイギリスに発注された金剛。その金剛の設計図を借りて造った榛名、霧島、比叡。独自の超弩級艦を目指して失敗した扶桑、山城。世界に先駆けて41センチ砲を搭載し、アメリカを驚かせた長門。そして多勢に無勢でもこれを打ち破るための大和に武蔵。

なぜ、こんなものが必要だったのか? そしてそれによって起こされた悲劇、それで達成できたこと。そういうものをもっと正確に伝えていかなければならないだろう。
コメント
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