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小学5年生の杉本治君が「テスト戦争」という一文を残し、
高層団地から飛び降り自殺しました。
「テスト戦争」
紙がくばられた
みんなシーンとなった
テスト戦争の始まりだ
ミサイルのかわりにえん筆を打ち
機関じゅうのかわりに消しゴムを持つ
そして目の前のテストを敵として戦う
自分の苦労と努力を、その中にきざみこむのだ
テストが終わると戦争も終わる
テストに勝てばよろこび
負ければきずのかわりに不安になる
テスト戦争は人生を変える苦しい戦争
勉強してどうなるのか、
やくにたつ、それだけのことだ、
勉強しないのはげんざいについていけない、
いい中学、いい高校、いい大学、
そしていい会社これをとおっていってどうなるのか、
ロボット化をしている。
こんなのをとおっていい人生というものをつかめるのか。
受験戦争→ゆとり教育→学力低下→??
と教育界は何年にもわたってゆれ動いています。
しかし、問題にすべきは、勉強の時間や、強制力ではなく、
「何を学ぶか」だと思います。
教育は大きく「知育」「体育」「徳育」に分けられます。
(最近は「食育」も)
知育偏重
暗記合戦
で、本当に勉強すべきことが偏ってしまっているように
思います。
エリートコースを進み、官僚になった人の自殺率は
一般企業のサラリーマンよりも高いと言われます。
頑張りどころが、何か違っているのかもしれません。
生命の尊さを学び
生きる目的を学び
礼儀を学び
恩や感謝の心を学び
日常生活の最低限のことを学ぶ
学校においても家庭においても大切なことです。
ただ順位をつける為の勉強ならナンセンス
教育者はこの小学5年生の問いに、なんと答えますか?
■セネカ(ローマ哲学者)はいいました。
「我々は、学校のためではなく、人生のために学ばなければならない」
と。
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少なくとも私が小学生の頃は、人生なんてものを
考えはしなかった…。
# いや、私が何も考えてなかっただけかもしれませんが(汗)
確かに、今の教育には問題ありありだと思います。
でも、この一文は・・・何か別の問題も感じますね(苦笑)
世の中には、このような問題も起るということを念頭において、周りの子どもたちを観察し思索する必要があると思います。
関係する大人たちが周りの子どもたちを直接自分の言葉で指導するのが良いのではないでしょうか。
共通項は「子どもを愛すること」のみで十分だと思います。
世の中に出回る一般論の多くは、当事者である大人にも子どもたちにも、役に立たないと思います。
ですからその筋の専門書は具体的な役割を果たすことが出来ないと思います。
まことに勝手なコメントにて失礼しました。
お許しください。