フロイトの書いた「幻想への未来・文化への不満」
という本があります。
※「ヨーロッパ・キリスト社会への絶望的な批判の書」
というオビがついています。
さすが、フロイト博士、するどい言葉が各所にみられます。
以下、引用してみましょう☆
・・・・・・・
死という悲痛な謎にたいしては、これまではいかなる
薬も発明されていないし、おそらく今後も発明される
ことはないだろう。
人生とは、人類の全体にとっても、個々の人間にとっても
困難にみちたものである。
人生の目的は何かという問いに答えることができるのは、
宗教だけなのである。
だとすると人生の目的は何かという考え方そのものが、
宗教的な体系によって生まれ、問われたのだと考えても
間違いではないだろう。
そこでもっと答えるのが難しくない問いを提示してみよう。
人間の実際の行動から判断して、人間は自分の生活の目的と
意図をどのようなものとして考えているだろうか。
すなわち、人間は人生に何を求めているだろうか、
人生において何を実現しようとしているだろうか。
この問いはすぐに答えを示すことができる。
人間が手に入れようとしているのは自分の幸福である。
人間は幸福でありたい、幸福なままでいたいと願っているので
ある。
この幸福の希求には、二つの側面がある。
積極的な目的と、消極的な目的である。
消極的な意味では、苦痛と不快を避けたいと願うのであり、
積極的な意味では、強い快感をえたいと願うのである。
厳密な意味での「幸福」とは、積極的な意味にかぎられる。
このように目的が二つの側面に分かれているために、
人間は二つの方向に向かって行動する。
人間の行動は、この二つの目的のどちらかを主として
(あるいはもっぱら)追及するかに応じて、二つの方向に
発展していくのである。
・・・・・・・
なるほど、人生の目的は「幸せになること」と書いているわけ
ですね。
人は、ただ生きているのではない。
「幸せ」を求め、「苦(不幸)」を厭(いと)うて生きています。
しかし、「幸せ」というのが、また難しい。
フロイト博士は次のように書いています。
・・・・・・・・
「快感原則が望んでいた状況も長続きすると、気の抜けた
快感さをもたらすにすぎないのである。
わたしたちは、激しい対照(コントラスト)だけに快感を
覚えるのであり、快を覚える状況はごくわずかのあいだしか
享受できないものなのである。
ゲーテは『素晴らしい日々も、それがつづくと耐えがたくなる』
と警告している。」
「ところが、不幸を経験するのは、はるかにたやすいことなのである」
「愛するときほど、苦痛に対して無防備なときはない。
わたしたちが愛する相手を失ったときほど、あるいはその相手から
愛を失ったときほど、絶望的なまでに不幸になることはないのである」
「人間はますます神に近い存在となることだろう。
しかし、人間が神に近い存在になりながらも、それでも幸福だとは
感じていないことを忘れてはなるまい」
「人間は性的な(性器的な)愛がもっとも強い満足をもたらすことを
経験したのであり、それが幸福のそもそも手本となったのだった。
そこで人間は、その後も性的な関係において幸福を享受しようとし、
性器的な性愛の満足を生活の中心的な目標とするようになったのは、
理解できことである。
ただしこの方法は、外界の一つである自分の選んだ性的な対象に、
きわめて危険な形で依存するものだった。
性的な対象である相手から疎んじられたり、不実や死によって
相手を失ったりした場合には、きわめて大きな打撃を
うけるものであることも、すでに指摘してきた。
そのため、いかなる時代にあっても賢者は、こういう生き方を
避けるようにと、きびしく警告してきたのである」
・・・・・・・・
なるほど、さすがですね。。。
不幸になるのはたやすいけれど、幸せになるのはおそろしく困難な
ことなのです☆
では、どうすればいいのか、続けましょう。
・・・・・・・・
「愛されることではなく、愛することに重点をずらすのである。
そうすれば愛する相手から愛される必要はなくなる。
自分の愛を個別の対象ではなく、すべての人間に同じように
向けることで、愛する対象を喪失しても打撃をうけないで
すむようになるのである。
要するにこの道は、自分の愛を性的な対象に向けず、
目標を制止された欲動の動きに変えることで、性器的な愛の
動揺と幻滅を経験しなくてもすむようにするのである」
・・・・・・・・
ワンランクアップの生き方、といったところでしょうか。
なかなか出来ることではないですね。
しかし、もちろん、これが完全でないことはフロイトも述べています。
そして、欲望の滅却、昇華(欲望の目標をずらし、苦悩を芸術などに
向けること)などを論じていますが、さすがのフロイト博士も
本当の幸せまではたどりつけなかったようです。
最後はこう結ばれています。
・・・・・・
「わたしたちが期待をかけることができるのは、
『天上の二つの力』の一つである永遠のエロスが、同じく
不死の敵である死の欲動との闘いにおいて力を尽くして
くれることだけである。
しかしこの闘いのなりゆきと結果を予測することのできる
人がいるだろうか」
・・・・・・
まとめると、
生きる目的は「幸せ」
しかし、本当の幸せになることは難しい。
ということ。
だからこそ、一番大事な「幸せ」にどうすればなれるのか、
このことは、相当力をいれて、学び考えないと答えが
でない。
というか、凡人が0から考えて分かることでない。
そうすると、答えがわかった人を探すことが
私のする一番大事なことだということが分かります。
どうでしょう?
☆応援よろしくお願いします☆
このアイコンをクリック♪
にほんブログ村
テクノラティプロフィール
何というか…
とにかく“どちらかしかない”というような
究極的に突き詰めた極論を前提条件にして
議論を進めているように感じ、そもそもの
前提条件の正しさを問うていないような気がします(苦笑)。
本当に目的は「幸せ」だけなのでしょうかね?