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幸福学専門30年 筬島正夫が語る本当の幸せ


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夢のように儚い人生を生きている(白骨の御文章・解説4)

2014-12-16 | 

 

http://masaoosajima.com/wordpress/item/bereavement/hakkotu4/より


白骨の御文章についてお話ししています。

今日が4回目。

(全文はコチラをご覧ください→http://masaoosajima.com/wordpress/item/bereavement/hakkotu0/)


今日は、

「凡そはかなきものは、
 この世の始中終、幻の如くなる一期なり」


についてお話し致します。


「凡(おおよ)そ」とは、この場合「すべて」という意味。

「はかない」とは漢字で書くと、こうです「儚」


「人が見る夢」と書いて「儚い」。

どんなリアルな夢でも覚めてみれば何も残っていません。




一度だけ、宝くじが当たった夢を見ました。

1億円の当選です。


夢じゃないだろうかと(笑)、

夢の中でほっぺたをつねるのですが、

それでも夢と気づかない(笑)


今度は、どこかに間違いはないかと番号を丁寧に確認します。

去年のじゃなかろうかと念入りに調べます。


しかし、何度見ても、見事ピッタリ一致しているのです。


「これは本当に当たったんだ!」


心臓が高鳴り、軽くめまいがおきます。


それから考えることは、1億円の使い道です。


当時、中学生だった私はいろいろ妄想しました。


貯金はどれくらいするか、

何を買うか?

あれも買える、これも買える、

あそこにも行ける、どこにでも行ける

夢が夢の中で膨らみます。


そして、当たったことを誰に言うかを考えます。

みんなに自慢したいのはやまやまだけれど、

友人にいうと、たかられる。

断ったら、ケチだと思われる。

多くに知らせるべきではない。

両親にだけは言うべきだろう。

うんぬんかんぬん。


そして、目を細め、改めて当選券をほれぼれと眺めていた時……


当然、異次元空間に放り出されたように世界が変わっていました。


布団の中です。

パジャマを来ています。


何やらスズメがチュンチュン平和に鳴いています。



やがて事態に気づきます。

「夢……、だった?」


ほっぺをつねると痛いです。

こちらの方が現実世界だと認めざるを得なくなります。


その時、

「どうせなら、換金して、好き放題楽しんでから

 夢が覚めればよかったのに」

と思いました。

愚かですね。

たとえ夢の中で、楽しんでも、楽しまなくても、覚めてみれば同じです。

何も残ってはいません。



世界の三大文学者はシェークスピアの最後の作品「あらし(テンペスト)」に、こう書いています。


「私たちは夢と同じ材料でできている」


実際、「思い出」と「夢」とは、ほとんど違いがありません。

確かに経験した子供の頃の思い出は、ほとんど実感はなく、

昨夜みた、怖い夢の方がよほどクッキリしている、ということもあるでしょう。


夢のようにはかない人生、生きる意味は何なのか?

答えは簡単ではありません。


「人身受け難し、今すでに受く」
(釈迦)


生まれがたい人間に生まれてよかった。

よくぞ人間に生まれたものぞ。


との生命の歓喜は、夢と消えゆくものとは別次元のもの。



死を前に、価値観は180度逆転し、

現実だと思っていたことが、死を前には夢、幻と色あせていく。

逆に、夢のように思っていた「死」が、これ以上ない現実の問題として迫ってきます。



その準備を何かしているのでしょうか。


「哲学は死の準備である」

とソクラテスの弟子であり、西洋哲学の源流であるプラトンは言いました。


死と聞いただけで暗くなってしまう、それは話題が暗いこともありますが、

心が暗いのではないでしょうか?


まるでステンドグラスのような幸せ。

華やかだけど、すぐ割れてしまう。

そのごまかしが、「死」の一字を聞いただけでヒビが入る。


壊れ物のような幸せを大事にするのは大切ですが、

いつも不安がついて回りますし、

無常の世界にあっては、失い、悲しむ種ともなりましょう。


もちろん、儚いからこそ大事にせねばなりません。

ですが、儚いもの「しか」なかったら、どうでしょう?



もし、大地に足のついた人生を歩みたいのなら、

死を前に色あせない幸福を手に入れるべきではないでしょうか?


そのことを、この白骨の御文章は教えています。



長くなりましたので今日はここまでとしましょう。


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浮生なる人生のすがた~白骨の御文章・解説3~

2014-12-15 | 

http://masaoosajima.com/wordpress/item/bereavement/hakkotu03/


今日から『白骨の御文章』の本文に入っていきたいと思います。



冒頭で、人間の生きざまを【浮生なる相】(ふしょうなるすがた)と書かれて

あります。


【原文】

それ、人間の浮生なる相をつらつら観ずるに、凡(おおよ)そはかなきものは、この世の始中終(しっちゅうじゅう)、幻の如くなる一期(いちご)なり。




「浮生」とは、「浮いた生」ですから、

根っこがない、

根拠がない、

根なし草のような人生、

ということです。



あなたも感じられたことがないでしょうか。


身近なところからいきますと、



ソフトクリームを落とし、まるで白い血が飛び散ったようになってしまった

深爪した

ドアに指を挟んだ

サイフを落とした

裁縫をしていて、針を誤ってさして指からプックリ赤い血の玉が顔をのぞかせ

チクチク痛んだ

うまくいったと浮かれていたら大事な書類を忘れてしまった

素敵な恋人が出来たと思ったら、二股かけられていた


などなど


私も小学生の時あったことが忘れられません。

運動会の昼休み、ハラペコを抱えながら弁当を開きました。

母親の弁当はいつもおいしく見栄えも鮮やかだった。

「おお! 今日のもおいしそう」

弁当箱を膝の上にのせ、箸を取り出す。


その時、事件はおきた。

友人の足が私の弁当箱にコツンと当たり、

まるでスローモーションのように弁当箱が半回転して、

まともにひっくり返った形で地べたに落ちたのだ!

ベートーベンの『運命』が鳴り響く。



茫然とむざんな弁当箱のうらっかわを眺めていると

一部始終を見ていた教師は

「わざとじゃないんだから許してやれ」

と一言。

友達は

「ごめん……」

と気まずい顔で一言。


「同情するなら飯をくれ!」

と叫びたかったけれど、当時シャイだった私は、何も言い出すことができなか

った。

楽しいはずの運動会が一瞬のうちに暗黒と化し、無常の世界を垣間見た一コマ

でした(; ;)




新聞やテレビのニュースを見ても、そう実感します。


津波

噴火

極地豪雨

大寒波

通り魔

エボラ出血熱


交通事故



人災、天災の大きなものは言うまでもありません。


また、遠くの大事件より、身近な無常の方がなぜか切々と感じるもの。



ペットが死んでしまった。

ファンだった芸能人が亡くなった。

大好きだったお爺ちゃん、お婆ちゃんが亡くなった。




考えてみれば、色あせることも失われることも絶対にないものなどあるでしょ

うか?



 人生はちょうど、水平線しか見えない大海原を、あてどもなくさまよってい

るようなもの。


 何かにすがらずは生きていけない様は、浪間に浮かぶ、丸太や板切れにすが

りつくのと同じ。

丸太や板切れとは、健康やお金、地位や名誉など。

すがるとは、それらをあて頼りにすることです。


常に何かをあて力にしなければ、私たちは生きてはいけません。

 妻は夫を、夫は妻を力とし、親は子供を頼りにし、子供は親をあて力にして

生きています。

その他、自分の体や命、財産や金銭、家や名誉や社会的地位など、何かをあて

力にして人は生きているのです。

丸太や板切れはすがった時には、一時、ヤレヤレとほっとしますが、やがて波

にのまれ、くるっと回って裏切ります。

いつまでも安心、満足を与えてはくれません。浮いているからです。

金や名誉や地位も、手に入れた時は、つかの間、私たちに安心満足を与えてく

れますが、長くは続きません。やがて色あせ、私たちのもとから離れていくあ

て頼りにならなくなります。

 例えば、医者にかかったことがないという健康自慢の人が、たまたま受けた

健康診断で末期ガンにかかっていたという話は珍しくありません。

健康も丸太だったのです。

妻や子を不慮の事故や病で亡くし、泣いている人は家族という丸太につかまっ

ていたのに、波にのまれてしまった人でしょう。

 ○○会社の課長だ、部長だと言っていても、突然のリストラにあって苦しん

でいる人は、枚挙にいとまがありません。定年まで勤め上げても、退職と同時

に見向きもされなくなる。これは地位という丸太に裏切られたのです。

 浮いたものにすがっては、裏切られる。そこでまた、別の丸太を求めてすが

る。どこまでいっても苦しみ続けて、死んでいく。そんな姿を、蓮如上人は、

「浮生なる相」とおっしゃっているのです。


こんな苦しみの人生の海を、蓮如上人の先生である、親鸞聖人は主著『教行信証』の冒頭に「難度海(なんどかい)」と著されています。


渡ることが難しい、苦しみの海のようなところが人生だ、ということです。


その難度海を明るく楽しく渡しきる大きな船を教えたのが仏教であり、『教行信証』には、「難度海を度する大船」と表現されています。

このことはまた後からお話ししたいと思います。

長くなりましたので、今日はここまでとし、続きは次回に致します。


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「朝には紅顔ありて、夕には白骨となれる身なり」御文章と死別

2014-12-13 | 

http://masaoosajima.com/wordpress/item/bereavement/hakkotu2/


こんにちは、筬島です。

昨日、ご案内しましたように今日から、

『白骨の御文章』についてお話ししますね。

(前回の記事はコチラ


「朝(あした)に紅顔(こうがん)ありて

  夕(ゆうべ)に白骨となれる身なり」



の一節が有名で、日本の名文100選にも選出される『白骨の御文章』。


そこには、古今変わらぬ人間の姿が描かれています。


ではまず、全文を読んでみましょう。


【白骨のお文】

それ、人間の浮生なる相をつらつら観ずるに、凡そはかなきものは、この世の始中終、幻の如くなる一期なり。

されば未だ万歳の人身を受けたりという事を聞かず。一生過ぎ易し。

今に至りて、誰か百年の形体を保つべきや。

我や先、人や先、今日とも知らず、明日とも知らず、おくれ先だつ人は、本の雫・末の露よりも繁しといえり。

されば、朝には紅顔ありて、夕には白骨となれる身なり。

既に無常の風来りぬれば、すなわち二の眼たちまちに閉じ、一の息ながく絶えぬれば、紅顔むなしく変じて桃李の装を失いぬるときは、六親・眷属集りて歎き悲しめども、更にその甲斐あるべからず。
 
さてしもあるべき事ならねばとて、野外に送りて夜半の煙と為し果てぬれば、ただ白骨のみぞ残れり。

あわれというも中々おろかなり。

されば、人間のはかなき事は老少不定のさかいなれば、誰の人も、はやく後生の一大事を心にかけて、阿弥陀仏を深くたのみまいらせて、念仏申すべきものなり。

                      (蓮如上人)



「御文章」とは、「お手紙」ということ。

 (文は、レター。恋文は、ラブレター)

切々と無常がつづられたこの手紙の背景には悲劇がある。

それは、京都に住む、青木民部という下級武士にまつわる話。


彼には、目に入れても痛くない愛娘・清女(きよめ)がいた。

気がつけば、父ちゃん父ちゃんとついて回っていた娘も十七歳。

すっかり美しくなっていた。


そんな折、一つの縁談の話が持ち上がる。

相手は、身分の高い武士。

またとない良縁に、とんとん拍子に話は進む。


嫁に出す淋しさは言い知れなかったが、

それを思いきるように、先祖伝来の武具を売り払い、嫁入り道具をそろえる。

ただただ娘の幸せを願ってのことだった。



すべて準備は整った。

これまでの思い出がよみがえり民部はまんじりともしないまま、

挙式の朝を迎える。


ところが、いよいよ挙式という日……

娘が急病に倒れ伏せた。

決しの手当も空しく、そのまま帰らぬ人となってしまう。


美しき娘は、灰となり煙となり、残ったのは生々しい白骨のみ。


火葬の後、その白き骨をジッと見つめた民部は、

「これが、待ちに待った娘の嫁入り姿か」

と絶句する。



あなたは想像できるだろうか?

愛する娘を、それも結婚式の当日に失うことを……



力を落とし、生きる気力をなくした民部は、後を追うように急逝。

五十一歳だったという。


度重なる無常の嵐の激しさに、民部の妻もまた翌日、三十七歳で愁い死してしまった……。
 



近くに住まいしていた海老名(えびな)五郎左衛門。

彼は、山科本願寺の聖地を財施したほどの熱心な真宗門徒だった。


青木一家の悲劇を目の当たりにし、

世の無常をはかなんでいたが、なんとその二日後、

今度は、海老名五郎左衛門の娘もまた、急病で亡くなったのだ。

清女と同じ十七歳だった。



昨日は他人の身、今日は我が身。

世の無常を聞かされてはいても、まさか身内にそんな不幸が起ころうとは、

思いもしなかった、


葬儀の後、山科本願寺へ参詣した五郎左衛門。

涙に晴らした赤い目で、蓮如上人(れんにょしょうにん)に、無常についてご勧化をお願いする。


その願いを聞き入れ、著されたのが『白骨の御文章』なのです。


次回に続きます。




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『悲しみの果て』エレファントカシマシ ~ 死別 と 死生観 ~

2014-12-12 | 
テーマ:
http://masaoosajima.com/wordpress/item/bereavement/kanasiminohate%E3%80%80/より


『悲しみの果て』という曲で、


「悲しみの果てに

 何があるかなんて

 俺は知らない

 見たこともない

 ただ あなたの顔が

 浮かんで消えるだろう」



 と歌われています。


(作詞・作曲:宮本浩次 歌:エレファントカシマシ)


悲しみ、苦しみは様々ですが、特に死別の悲しみは言葉では表しきれません。

刻々と心は複雑に変わっていきますし、大変デリケートなものです。


「慰めの言葉に救われた」

 という方もあれば、

「普通に接してほしい」

 という場合もありますし、

「普通の接し方って、なんだろう」

「何もなかったような接し方が普通なのでしょうか?」

「同じ言葉でも、その人との関係や時期によって変わる」

 という声も聞こえてきます。



また、伴侶と死別された方が、こう言われました。

「伴侶を亡くした私は同時に色々なことを失った」


色々なこと、それは、、

「気力の喪失」であったり

「役割の喪失」であったり、

「生きる目的の喪失」であったりします。


そして、その一つ一つの喪失感は大変なものです。


また、


「あの人にもう一度会いたい」


「世界で一番大切な人を失った今、

 自分はなんのために生きているのかなと思う」


「この心の揺れがなんなのか知りたい」


と、未知の心に戸惑い、どうすればいいのか分からず

途方に暮れてしまいます。



突き詰めていくと

「生とは?」

「死とは?」


という問題に行きつくでしょう。


これは、万人共通の問題です。


ここで必要になってくるのが「死生観」、


私の提唱する

「死考力(しこうりょく)」

です。


この「死考力」をつけるベストは【古典に学ぶ】こと。


なぜなら、日本古典の死生観は、世界的に見ても目を見張るものがあるからです。


三大古典『徒然草』『歎異抄』『方丈記』

いずれも、傑出した無常観、死生観が全編にあふれています。

また、日本を代表する名文『白骨の御文章(はっこつのごぶんしょう)』は、

そのタイトル通り、無常を切々と訴えています。




国民的作家、司馬遼太郎氏(NHK大河ドラマ原作となった作品は7作と最も多い)は、

こう書いています。


「明治以前の文章家のなかで、平易達意の名文家は、

 筆者不明の『歎異鈔』と

 室町末期に本願寺を中興した蓮如上人(白骨の御文章)

 宮本武蔵(五輪之書)のほかにはみられない」(真説宮本武蔵)」
  
  (出典)司馬遼太郎『真説宮本武蔵』講談社文庫、1983年


また、同氏の『世に棲む日日』の登場人物が吉田松陰に対して、

「自分のとりえは、蓮如上人の白骨の御文章が暗誦できます」

と語る場面もあります。



おそらく、葬儀で一番多く唱和されるのも、この『白骨の御文章』でありましょう。


「朝(あした)には紅顔(こうがん)ありて

 夕(ゆうべ)には白骨となれる身なり」


という一節は、一度は耳にされたことがあるでしょう。



次回から、この『白骨の御文章』を少しずつお話ししていきたいと思います。


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大切なあの人にも訪れる死を不安に感じておられる、心やさしいあなたへ

2014-09-09 | 

もし、あなたが、本当に相手のことを大切に思っておられるならば、タイトルの言葉に、「ハッ」となされたに違いありません。

なぜなら、相手のことを本当に考えたならば、「最後まで共に幸せでありたい」と必ず願うからです。

「愛」という字の【真ん中】は、「心」。

しかも、ただの心じゃない。
その下に「久しい」という字がある。
(微妙に違うように見えますが、もともとは「久」で、他の字と組み合わさるとちょっと形が変わるのです・漢文の先生談)

だから愛は、「久しい心」、「永久に続いて欲しいと願う心」です。

なのに、

なのに命には限りがある。
この現実。

真面目に考えれば、この矛盾に必ずぶち当たります。

だから、本気で人を大切に思えば、、
「大切な人の死を前に、私は何が出来るだろう?」
と問わずにはおられなくなるのです。

 

ある日、ソフトバンクの孫正義社長がツイッターを通して、

世に問いました。

 

皆さんに幸せになってもらいたい。幸せにするには、その反対の「悲しみ」について知っていなければならない。

では、
「悲しみってなんだろう?」
と。

これがスゴイ反響で、アッという間にダダダーっと1日で2500を超える意見が寄せられました。

「悲しみとは?」

3位が、絶望

2位は……

コチラ




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