童話詩「エジプトの悪魔」
寓話で語れるほど、「人生」や「世の中」は単純ではないかもしれません。しかし、そういった複雑怪奇な人生を我々が歩んでいるとしても、その経験からは語りつくせない単純な「寓話」も希にあるのです。万有引力の法則のような単純に真実で、しかも怪奇な寓話が存在するのです。
アラビアをはじめ全国各地に、これとよく似たお話が伝わっています。ですから、もともと、ほんとうにあった話かもしれません。その中からエジプトに伝わる一番怖いお話を、あなたにしてみます。
いわば悪魔の作りかたです。きわめて簡単で、時間だけがかかるそうです。
太古のエジプトの海には、一人の乱暴な巨人が出没していました。どんなに深い海を歩いても、首から上は海面に出るという大きな巨人です。たくさんの船を襲っては積荷を奪い人々を殺していました。
見かねたエジプトの神様は、魔法を使って、
巨人を人間の手首から上ぐらいの小人に変えました。ガラスのビンの中に閉じ込めました。そして、二度と悪さをしないように、そのビンを大海の真ん中に沈めたのです。
海の底は、お日様の光りが全く届かないので真っ暗です。昼も夜も区別できない暗黒の中で、自分の心だけと向き合うことは、心の拷問でした。
海底で、巨人は反省の日々をおくりました。
「ほんとうに悪いことをした。罪滅ぼしをしなくてはならない。もし、俺を見つけてここから助け出してくれる人がいたなら、どんなお礼をしたらいいだろうか。そうだ、彼の三つのお願いを聞いて、それを魔法で叶えてあげよう」
こう決心したのです。しかし、百年たっても、ビンはピクリとも動きませんでした。改めて反省しなおしました。
「三つのお願いなんて、けちな考えはよそう。
そうだ、俺は救ってくれた人の奴隷になって、
その願いを全部叶えてあげよう」
巨人がそう思いなおしてから、百年、二百年、三百年と過ぎていきました。それでもビンはピクリともしません。
彼の体は次第に闇の黒に染まりはじめました。そこらあたりの暗さといったら、僕等だって死なないとわからない暗さです。とうとう死よりも黒くなりました。
闇の中は気が狂うほど退屈です。何も見えないから何かを見ようと目をこらしました。
そのために目は血走り、異様に膨らんで玉になって飛び出しました。目の妖怪になりました。
静かすぎる海の底です。何か聞こえるものはないかと耳を澄ませました。彼の耳は蝙蝠のように先が尖り大きくなりました。目と耳の妖怪になりました。
食べるものはありません。来る日も来る日も、ビンの内側のガラスをペロペロなめていました。キイキイ嫌な音がするのは、その時指の爪でガラスをかくからです。飢えた狼より長くて赤い舌になり、指先はハゲタカのように鋭くなりました。
永遠、ひもじいだけの体は、針金みたいに痩せこけました。
ビンは狭くて、寝転ぶこともできません。
あたりまえですが、ビンの中には椅子がありません。椅子の代わりにバネのようなそった尻尾が生えました。
・・・そうして、千年が経ち、悪魔のできあがりです。
海上ではとても天気のよい日でした。運が良いのか悪いのか、イスラエルの漁師が一人、小舟の上で魚をとる網を引き上げていました。
気味が悪いほど海が凪いで、静まりかえっていました。音といったら、網の目から滴る海水の音だけでした。網を引いても引いても、魚は一匹もかかっていませんでした。
猟師は退屈で欠伸までしました。
「これじゃあ、帰ったら女房におこられてしまう。魚がとれないなら、何かいいことないかな」
なんて独り言をいっていると、網の最後のところに、一本の酒ビンがかかっていました。酒飲みの漁師はそれを引き抜きました。
手にしたビンの中では、真っ黒で奇形の小動物が、なにやら泣きわめいていました。
「ご主人様、コルクの栓を抜いて、外へ出してください。お礼に、あなたの願いを全部叶えて差し上げます」
漁師はそのグロテスクな動物に恐怖を感じていましたが、女房の方がもっと怖かったのでしょう。コルク詮に指をかけ、力を込めました。
ポン!
臭い匂いとともに、ビンの口から黒い煙がもくもくと立ち上がりました。漁師は驚いて船底に尻餅をついたままになりました。煙が消えると、腰から下を海に沈めた裸の巨人が現れました。
巨人は魔法の呪文を唱えて、漁師を小人に変えました。天まで届く笑い声を発しながら、自分の千年住んでいたビンの部屋に、彼を閉じ込めてしまいました。
「約束が違います。どんな悪いことを私があなたにしたというのですか」
憐れな漁師は巨人に必死で訴えました。漁師の質問にしばらくの間、まじめな顔をして巨人は考えていました。
「なるほど、君はとてもよい事をした。君のしたことは、善行だ。俺は悪魔だから、神に褒めてもらうがいい」
と、答えました。
晴天に、巨人の不気味な声にあわせて、稲妻が走っています。空が青、黒、白と点滅しているみたいです。
漁師は助けてもらいたい一心で、手を合わせ泣きながらお祈りしました。神のように拝まれている巨人は、少なくとも千年ぶりの、いい気持ちだったかもしれません。
「海の底に沈められてから百年以内に、君が俺を救い出してくれていたなら、君の願いをきいてあげただろう。しかし、今は違う。心境の変化というものだ。これから言うのは悪魔の心だ、よく聞いておけ」
巨人はお人好の眼をじっと見つめながら言葉を続けました。
「悪魔の心というのは、善い人、善い心、善い行いを心から憎むものだ。善い人よ、解るか?」
「とても解りません」
漁師の返事に、巨人はにやりと笑いました。
ビンのガラス越しに、善い人にキスしながら
次のように言い放ちました。
「今は解らないだろう。君は若すぎる。善い人すぎる。それでは千年かけて解らせてあげよう。千年かけて、ゆっくり悪魔になれ!」
巨人は、大海の真ん中に、小ビンを投げ込みました。あとは、静かで美しい、夏のエジプトの海です
寓話で語れるほど、「人生」や「世の中」は単純ではないかもしれません。しかし、そういった複雑怪奇な人生を我々が歩んでいるとしても、その経験からは語りつくせない単純な「寓話」も希にあるのです。万有引力の法則のような単純に真実で、しかも怪奇な寓話が存在するのです。
アラビアをはじめ全国各地に、これとよく似たお話が伝わっています。ですから、もともと、ほんとうにあった話かもしれません。その中からエジプトに伝わる一番怖いお話を、あなたにしてみます。
いわば悪魔の作りかたです。きわめて簡単で、時間だけがかかるそうです。
太古のエジプトの海には、一人の乱暴な巨人が出没していました。どんなに深い海を歩いても、首から上は海面に出るという大きな巨人です。たくさんの船を襲っては積荷を奪い人々を殺していました。
見かねたエジプトの神様は、魔法を使って、
巨人を人間の手首から上ぐらいの小人に変えました。ガラスのビンの中に閉じ込めました。そして、二度と悪さをしないように、そのビンを大海の真ん中に沈めたのです。
海の底は、お日様の光りが全く届かないので真っ暗です。昼も夜も区別できない暗黒の中で、自分の心だけと向き合うことは、心の拷問でした。
海底で、巨人は反省の日々をおくりました。
「ほんとうに悪いことをした。罪滅ぼしをしなくてはならない。もし、俺を見つけてここから助け出してくれる人がいたなら、どんなお礼をしたらいいだろうか。そうだ、彼の三つのお願いを聞いて、それを魔法で叶えてあげよう」
こう決心したのです。しかし、百年たっても、ビンはピクリとも動きませんでした。改めて反省しなおしました。
「三つのお願いなんて、けちな考えはよそう。
そうだ、俺は救ってくれた人の奴隷になって、
その願いを全部叶えてあげよう」
巨人がそう思いなおしてから、百年、二百年、三百年と過ぎていきました。それでもビンはピクリともしません。
彼の体は次第に闇の黒に染まりはじめました。そこらあたりの暗さといったら、僕等だって死なないとわからない暗さです。とうとう死よりも黒くなりました。
闇の中は気が狂うほど退屈です。何も見えないから何かを見ようと目をこらしました。
そのために目は血走り、異様に膨らんで玉になって飛び出しました。目の妖怪になりました。
静かすぎる海の底です。何か聞こえるものはないかと耳を澄ませました。彼の耳は蝙蝠のように先が尖り大きくなりました。目と耳の妖怪になりました。
食べるものはありません。来る日も来る日も、ビンの内側のガラスをペロペロなめていました。キイキイ嫌な音がするのは、その時指の爪でガラスをかくからです。飢えた狼より長くて赤い舌になり、指先はハゲタカのように鋭くなりました。
永遠、ひもじいだけの体は、針金みたいに痩せこけました。
ビンは狭くて、寝転ぶこともできません。
あたりまえですが、ビンの中には椅子がありません。椅子の代わりにバネのようなそった尻尾が生えました。
・・・そうして、千年が経ち、悪魔のできあがりです。
海上ではとても天気のよい日でした。運が良いのか悪いのか、イスラエルの漁師が一人、小舟の上で魚をとる網を引き上げていました。
気味が悪いほど海が凪いで、静まりかえっていました。音といったら、網の目から滴る海水の音だけでした。網を引いても引いても、魚は一匹もかかっていませんでした。
猟師は退屈で欠伸までしました。
「これじゃあ、帰ったら女房におこられてしまう。魚がとれないなら、何かいいことないかな」
なんて独り言をいっていると、網の最後のところに、一本の酒ビンがかかっていました。酒飲みの漁師はそれを引き抜きました。
手にしたビンの中では、真っ黒で奇形の小動物が、なにやら泣きわめいていました。
「ご主人様、コルクの栓を抜いて、外へ出してください。お礼に、あなたの願いを全部叶えて差し上げます」
漁師はそのグロテスクな動物に恐怖を感じていましたが、女房の方がもっと怖かったのでしょう。コルク詮に指をかけ、力を込めました。
ポン!
臭い匂いとともに、ビンの口から黒い煙がもくもくと立ち上がりました。漁師は驚いて船底に尻餅をついたままになりました。煙が消えると、腰から下を海に沈めた裸の巨人が現れました。
巨人は魔法の呪文を唱えて、漁師を小人に変えました。天まで届く笑い声を発しながら、自分の千年住んでいたビンの部屋に、彼を閉じ込めてしまいました。
「約束が違います。どんな悪いことを私があなたにしたというのですか」
憐れな漁師は巨人に必死で訴えました。漁師の質問にしばらくの間、まじめな顔をして巨人は考えていました。
「なるほど、君はとてもよい事をした。君のしたことは、善行だ。俺は悪魔だから、神に褒めてもらうがいい」
と、答えました。
晴天に、巨人の不気味な声にあわせて、稲妻が走っています。空が青、黒、白と点滅しているみたいです。
漁師は助けてもらいたい一心で、手を合わせ泣きながらお祈りしました。神のように拝まれている巨人は、少なくとも千年ぶりの、いい気持ちだったかもしれません。
「海の底に沈められてから百年以内に、君が俺を救い出してくれていたなら、君の願いをきいてあげただろう。しかし、今は違う。心境の変化というものだ。これから言うのは悪魔の心だ、よく聞いておけ」
巨人はお人好の眼をじっと見つめながら言葉を続けました。
「悪魔の心というのは、善い人、善い心、善い行いを心から憎むものだ。善い人よ、解るか?」
「とても解りません」
漁師の返事に、巨人はにやりと笑いました。
ビンのガラス越しに、善い人にキスしながら
次のように言い放ちました。
「今は解らないだろう。君は若すぎる。善い人すぎる。それでは千年かけて解らせてあげよう。千年かけて、ゆっくり悪魔になれ!」
巨人は、大海の真ん中に、小ビンを投げ込みました。あとは、静かで美しい、夏のエジプトの海です