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ブレンド日記

世の中の出来事・木馬での出来事・映画の感想・本の感想・観るスポーツ等々ブレンドして書いてみました。

東京日和を見る。

2007年11月12日 | 映画の事
                   

 木馬の嵌め殺しの窓から見える白波に もう、うずうず。カメラ抱えてうずうず。
しかし今季初の冬型気候、雨、風、霰、雷。くるくる変わる空模様に諦めていた。

ところが午後に突然雨が止み、ねずみ色の雲に覆われた天の上に真っ白な雲が、その上に青空が見えた。
いまだ!つかの間のチャンス!とばかり 表に飛び出して、新川を下った。
写真は荒れ狂う怒涛の日本海、嘉久志海岸です。(クリックしてみてくださいね。)こればっかりですが、お許しください。

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 さて、ここからは暇に任せてみた映画の話です。

<東京日和>
監督 竹中直人
プロデューサー 宅間秋史、三浦寛二、保原賢一郎
エグゼクティブプロデューサー 松下千秋、佐藤信彦
出演 竹中直人、中山美穂、松たか子、鈴木砂羽、浅野忠信、田口トモロヲほか

何でも竹中直人は、この本を書店で立ち読みしているうちにはまってしまい、感動で涙が出、本屋を後にする頃には「是非映画にしたい」と決意を固めていたという。その話は現実になり、竹中直人が荒木さん役、中山美穂が陽子さん役の「東京日和」という映画になった。とのエピソードを読み、先日本を購入した時 レンタルショップでこのビデオを見つけて借りで見たものなのだ。

原作を読んで 私なりに勝手にヨーコ像というものを作り上げて、そしてアラーキの作品にはこの二人の愛と協力がなければできなかったと、涙した後だったので、この映画のヨーコ像に少し不満だったが、
しかしこれは作られた映画であり、荒木陽子・経惟氏共著による同名のフォトエッセーから着想を得て作られた作品であるのだからと、そう思うことでなんとなく理解できた映画だった。
ローカル駅の駅長さんに荒木経惟がでていたし、現実にはそんな夢みたいな事ばかりではないんだと、生きるということ、それはそれなりに大変なんだという事がよくわかったのだけど、私はヨーコは絶対に樋口加奈子がいい、中山美穂はだめ、ミスキャストと思っていたが どうしてどうして、これがいいのよ、中山美穂のすばらしく美しく繊細で、ときにこの世の者とは思えぬほどの壮絶さは素晴らしいと思ってしまった。

この映画は竹中直人がこりにこった作品だと思うのは、東京の下町と福岡県の柳川しか出てこないと言うこと、
その追想の、最大の行事が柳川への旅行になるのです。その日は、竹中扮する写真家が陽子さんと結婚した因縁の記念日で、天空では織姫と牽牛がたった一夜の逢瀬を迎える日です。柳川は、天の川です。旅行には、確かに二人で出かけます。しかしそれは仮想空間の出来事で、現実には写真家だけの記憶の世界でしかないのです。宿泊した思い出の部屋に案内したお女将にはそれがわかっていました。”思い出しました、あの時は確かに二人でしたね”と言って指をVの字にする場面がそれを表現しています。---結婚初夜の記憶が次つぎに甦ってきます。陽子さんは奥の縁側にすわり、アラーキは真っ白なシーツの布団の上にはす向かいになり語らいます
『おれと一緒にいて楽しいかい?』(陽子さんは、なかなか答えません)
時間を置いて『そんなこと聞かないで』→『涙が、出てくる』もう、この瞬間は、陽子さんは現実空間の人ではなく、たった一夜の逢瀬をなつかしむ幻想の女性としての存在でしかありませんでした。映画では、陽子さんのうなじがズームアップされますが、それはこの世の世界とは思えないあやしい魅惑的な演出で、表現されています
 翌日、思い出の川下りを楽しみます。柳川は、二人にとってその日限りの”最後の楽園”です。『日本のベニスだね---』『前にも聞いたけど---』陽子さんは、新婚のように、かわいくはにかみ恥らいます。写真家は、反対にうれしそうにはしゃぎます。でも、陽子さんの後姿はなぜか寂しそう。
ここで原作の「7/13迎え火」をし、「7/14新盆」を営むも「7/15送り火しない。帰さない。」を思い出す。

原作の東京日和は、荒木さんの才能をより理解したヨーコさんとの愛情の上に成り立った、純粋の愛情物語でそれに比べて竹中さんの東京日和は見るうちにじんわりと、はまってしまい何かがほほを伝うと思ったら涙だったようなそんな作品です。

 だからというわけではないんだけど、昼下がりの日だまりを好きな人とゆっくり散歩しているような、そんな気分につつまれる作品です。

写真のような映像も好感が持てたし、☆☆☆☆かな?

                 

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 雨 風 霰 14℃ 大荒れの一日でした。

いやはやなんとも・・またやってしまいました。

2007年11月11日 | 私ごと
               
 「うまく写真が撮れない、スランプかな?」といったら、口さがない連中が「スランプとは極めたものが言う言葉、あんたのようにかじっただけなのは、はなからスランプじゃなくて、出来上がってないのよ。」まぁね、そういわれればたかが1年ちょっとくらいしか カメラ抱えて歩いてないものね。

 たまたま見た新聞にススキの上手な撮り方が出ていた。
ススキのように細くて色も地味なものを主役にする時は、工夫がいる。背景がごちゃごちゃしていると主役が埋没するので、なるべく単純で色が単一、かつ、主役とは対照的な背景になるようにします。つまり背景の色を鮮やかにしてみるのも効果的です。この前のススキの写真よりこの方がいいかな?と思ったのですが如何でしょう?

さて、話は変わって昨日のことです。
何となく 鼻の周りの風通しがよくなったような、そういえば憎っくき「セイタカアワダチソウ」が枯れ始めたような気がする。「やったぁ!やっと私の秋が来る。」うれしさが漂う一日の始まりだった。

イリコさんがチラシをみながら、「今日は○○で完熟バナナが一房98円です。少し青いのを買いに行ってください、早く行かないと売り切れます。」暇に任せてパソコンばかりしている私に厳しい口調で命令する。
一応私も仕事をしているし、暖かいし、鼻の調子もやっと楽になったしで、浮かれ気味で出かけた。
バナナバナナぶつぶつ言いながら・・・
モーニングに付けているし、ミックスジュースにも使うし、バナナジュースにも使う。バナナバナナ・・
3袋ちゃんと見定めて買う、すき焼きのタレも安売りしていたので買う、モーニングのサラダに使う魚肉ソーセージも安い、買い物袋が一抱えにもなった。

左手に袋、右手にデジカメ、セカンドバックを小脇に抱え、薄ねずみ色で覆われた雲の切れ間から、時折ふりそそぐつかの間の陽射しに、天を仰ぎながら車まで歩いていたら、いきなりバランスを崩して、「オットト・・」車止めのブロックに気が付かなかった。バッタリならまだしも、おいおいおいおいという調子で前につんのめり、左腕の膝を突いた状態で止まった。

バナナは袋から飛び出て、隣の車のドアの下に、すき焼きのタレは転がり、荷物はバラバラ・・・、我ながら近来まれにみる見事な転びぐあいだと言う思いが脳裏をかすめた。
そばにいた人たちも(売出しの時は多いのよ。)「オーッ!」といきをのんだようだった。
悔しくて恥ずかしくて、テレ笑いを浮かべながら、荷物を袋に入れ、全然大丈夫ですというように、すっと立ち上がり、車に乗り込み、周囲の人たちの「オーッ!」という脅えたような、あざけるような視線を背に、エンジンをふかした。
やりばのない怒りを心の中にたぎらせつつ私は考えた。転ぶという事はどうしてこう本人にとっては腹立たしい事なのに、他人にとっては愉快な事なんだろうか。

血のにじんだ腕にサランラップを巻いた。
「部分やせしてるんかね、なら顔にしたら?」と憎たらしい事いうトンボ。
そして 「最近の傷は乾かしたらいかん、カサブタ作ったら治りが遅い、ワセリン塗ってサランラップが一番。医療関係の俺がいうんだから間違いない。」とたかが医療関係の病院の夜勤の癖に偉そうにいう。
ハイハイ!qldさんもいつぞやそうして治したと言っておられました。

今日になりあの生々しい傷が小さくなり随分回復した。自分の免疫力の強さに感心するも 海馬の当りの筋が一本切れているのを恨むことしきり・・・

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雨 時々曇り 霙も降る。15℃

今週の頂き物のお料理 

2007年11月10日 | 料理

  

  

 

 今週の頂き物のお料理です。

① 金時サツマイモ

② 鯖の昆布巻き

③ 大根と豚肉のキンピラ

④ まぐろタタキの山掛け丼

⑤ カツ丼

⑥ ピーマンとエリンギ、舞茸のバター炒め

⑦ 鶏むね肉の竜田揚げ

⑧ 頂き物野菜のホワイトシチュー

以上です。

晴れ 時々曇り 21℃


人は左回りがお好き?

2007年11月09日 | 四方山話
               

 ギラギラと照りつける太陽を恨めしげに見上げながら、噴出す汗をぬぐって写真撮っていたのが、つい昨日のような気がするのに、いつの間にか陽射しが随分やわらかくなって影が長くなり、風も秋らしくなってきた。
ウミネコでも飛来しているかな?と思い行ってみたが、凪の今日はウインドサーファもいなくて 漁船が岸に停泊しているだけだった。今日の写真は江の川の土手です。

 さて。
人の習性とは、地域や場所によって異なるものなのだろうか?
私たちがサイドビジネスでお掃除しているコインランドリーも、使われ方に差がある。
私が受け持っている二宮店は乾燥機が4台あるのだが、同じ大きさの物でも一番奥のほうが、真ん中のより埃のたまり具合が少ない。
イリコさん担当の嘉久志店も奥はほとんど使われていないという。

そう考えてみると、私も温泉の脱衣場のロッカーは混でいれば別だけど、やはり手前を使うようなきがする。

というわけでこのブログを見てくださる皆さん、もしコインランドリーで乾燥機を使われるのなら奥ですよ、奥が穴場です。使用頻度が少なければ、それだけ機械も傷みが少ないし、埃も余り溜まってないです。

それでまたまた私のブログはここで横道にそれるのですが、
先日日経新聞に面白い記事があった。

『なぜか人は左に回る』
時計回りと逆回り、どちらに動いてもいいといわれたら?人は無意識のうちに、左手が内側にくる反時計回りを選ぶという説がある。

スケートリンクも 自転車競技も 陸上も 野球も 左回り、で「環境順応説」によると 左回りが走りやいと感じる人が多いのは、慣れが大きい。又は、左側にある心臓を守るには左に傾いた方がいいとの説もある。

店舗も人の流れの左側に置くといいらしい。
東京メトロ表参道駅の地下構内にある、一日平均4千人ほどが訪れる「エチカ表参道」のフードコートでは、食事を終えた人が通る道の左側にスィーツの店を配置、持ち帰りへと誘う。と記事は伝えていた。
でも田舎ではどうなんだろう。車が置ければ右でも左でもいいんじゃないだろうか?

          

写真は台風の影響でダイヤが乱れ混雑した羽田空港ロビー。発券カウンターに並ぶ乗客の列は,左回りだった。と書かれた写真です。
なーるほど・・・

そうそう 時計がなぜ右回りなのか?については機械式の時計が出来たのは1300年ごろだけど、もともとあった日時計が右回りだったかららしい。
南半球の日時計は左回りだが、北半球のものを受け入れたためらしい。
 
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晴れ 時々曇り 21℃ 

光と影

2007年11月08日 | 四方山話


 今日は立冬だ。
しかし暖かい、で昨年の日記を見たらやはり暖かだった。ということはじわじわと異常気象がこの地球に迫り来ているんだ。立冬のこの時期に寒くてコタツにもぐりこんだのは一体いつ頃のことだったのだろう。
立冬といえば、毎年決まったようにローカルニュースで、県庁の公園の松の木に虫除け用のコモを巻く植木職人の姿を写す。
このニュースを見ると否が応にも「もうこの季節?」と改めてするすると逃げていく月日の速さを感じてしまう。
とは言っても、空気にも冬の訪れを感じられる、この時期山の木々も日に日に色づきがよくなり、緑色のキャンバスに色とりどりの絵の具を散らした様になる。
秋は「山粧う」、冬は「山眠る」深い眠りにつくまでの木々たちの精一杯の表現が紅葉なのだろうね。
「山笑う」新緑の春まで長い時間を山は眠るのだ。  

 というわけで、暖かな小春日和の夕方嘉久志海岸に散歩に出かけた。毎日同じ風景ばかりで、『もう~ 被写体がない!』とついこの前まで叫んでいたが、アラーキはバルコニーから空ばかり写していたにもかかわらず、『空虚』と題したその作品は木や蔦までも空しく写っているし、『台風の翌朝』と題したその作品は、伸び放題に伸びたプランタンの花や、ひっくり返ったスチールイス、枯れた花などまるで、シュールレアリズムのダリやキリコの絵画を見ているような気がした。
同じアングルでも写真一枚でこのように表現できるとは凄い。
尤も比べるのもおこがましいし足元にも及ばないのはよーくわかっていますが。 真似すら出来ないのも承知です。ハイ!

 で今日の写真は、同じアングルながら影を写してみました。(写真をクリックしてくださいね。)

ぽくぽくと歩いていると、秋の影は黒ではないのだなぁとつくづく思う。
夏のそれは、クッキリと輪郭もはっきりしていて、墨絵のような感じがしていたが、本当は、よく見るとそうではないのだ。
秋の西日にできる影は、黒いようで、うっすらとねずみ色で透き通っている。薄日の中ではもっと薄いねずみ色になるし、ほとんど沈みかけた夕陽の影はスマートで長く見える。草むらに落ちる自分の影の中に、枯れ草などや、しらっちゃけた石ころなどを見ていると、なんだか自分の身体までも見透かされて行くようで、心もとない。
自分の透けた身体の中を、秋の磯の匂いのついた風がすり抜けていく。だからなのか、秋の夕暮れはすうすうと寂しいな。

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晴れ 午後から曇り 23℃

東京日和を読む(筑摩書房)荒木陽子・ 経惟 著

2007年11月07日 | 本の事
  写真が見たくて購入した。
いきなりですが、感動、感激 胸に迫り来る涙ポロポロ物です。

陽子さんが東京を天気の良い日に散歩して、そのときに起こった出来事や、心に感じたことを文章にしているのだ。夫である荒木さんと一緒の道行きの記録にもなっており、楽しそうな夫婦の雰囲気が直接伝わってくる。

 奥さんの陽子さんは43歳でガンで亡くなっている。
やはり 人一人の人間の死に至るものだから、平静な気持ちで読むことは出来ない。荒木さんの夫婦の私的なものじゃないか、悲劇なら私だって同じだ、と思いながら、心を白紙にして写真を写真集としてみようと決めて開いた。がダメである。
荒木経惟という写真家は、私生活も写真生活もないのだ。生きる事が撮ること、撮る事が生きることなんだと思う。愛などというキザったらしい言葉も、アラーキなら信じられる、純粋などというキザな言葉もアラーキのためにある言葉のように感じる。

<まえがき>原文のまま・・・

 私の写真人生は ヨーコとの出会いから始まった。
63年に電通に入社してすぐに文書課にいたヨーコに出会い写真を撮りだした。夜の会社のスタジオで、デートして、旅行して・・・・71年に結婚して、新婚旅行の写真をまとめて「センチメンタルな旅」を自費出版してからもずーっとヨーコを撮り続け、ヨーコのエッセイとで「わが愛 陽子」82年「10年目のセンチメンタルの旅」84年「ノスタルジアの夜」85年「愛情生活」87年「酔い痴れて」89年「愛情旅行」を出した。
そして、「思想の科学」で<東京日和>を連載し始めた。二人で東京を一日中歩き回り、食べまくるのがすごく楽しかった。ずーっと続けたかったけど、3回目の連載が終わって再入院、90年、1月2日、ヨーコは逝ってしまった。

たった3回の連載だったけど、ヨーコの最後のエッセイを本にあげたかったのだ。
チロと二人ぽっちの生活と、ヨーコを想いながらひとりで歩いた<東京日和>の写真と一緒に、愛しのヨーコに捧げたい。

もうこの始まりでジーンと来てしまう。

 そして陽子さんが亡くなってからの荒木さんの日記が、活字に直されずそのまま載っている。バルコニーで陽子さんを感じるものをブツ撮りしていく荒木さんの様子がわかる。書いていてすぐ陽子さんを思い出すのか、陽子さんの記述と、楽しかった頃の写真が半分以上を占めている。「湯上りビール 牛肉とピーマンのあまから煮 なす古漬け 冷凍ごはん 遺影のヨーコとふたりっきりで<食事> 鼻のあたま黒くしてチロすっとんで帰ってくる」 日記の最後には新盆の記述がある。「7/13迎え火」をし、「7/14新盆」を営むも「7/15送り火しない。帰さない。」で終わっている。

因みに「退院して3週間たった今、外は木枯らしが吹いているのだが、夫と囲む食卓は明るく愉しい。今夜はカキ鍋にしましょうね!」結局、この文章が陽子さんの最後のものとなった。表紙のヒマワリがまぶしく、哀しい。

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晴れ 21℃ 暖かい一日だった。

続 紅葉を求めて

2007年11月06日 | 私ごと


 変な天気、雨がぶら下がっていてそれでいて降らない。
ここのところ、新聞を見てもテレビを見ても、小沢、小沢、民主党党首辞任保留、こんな話ばかりで面白くない。
そしてなんだかよくわからないまま、「もう、どいつもこいつも・・」などと偉そうなフレーズが浮かんでくる。
難しいことはよくわからないが、福田総理はどちらが連立協議を提案したのか、ということにについて「お互いにそいうう気持ちが多少でもないと、そういうことにはならない、あうんの呼吸という感じです。」といったとか。所詮同じアナの狢 同工異曲のお二人、
優勝請負人の4番バッターが追放される話なのか、ベンチがアホやからとマウンドを降りる話なのか、政治に疎い私や 国民にちゃんとわかるように説明してくれ!と叫んでいる私です。

 
さて、昨日の続きです。


 深谷峡は、紅葉しかけた木々のトンネルを走っていら突然赤い橋が見えて、橋を渡ると、山口の岩国市、こちらは島根の吉賀町、下を見たら目がくらみそうに高い。足がすくむとはこのことだね。しかし私は欄干に捕まって命がけで写真を撮った。(写真をクリックしてください。)

その後冒頭の写真の吉和のせせらぎの里に寄る。
ここは紅葉が見ごろを迎えていて、目を楽しませてくれる。さわさわ揺れる風も心地よく、紅葉につられてカメラを抱えて散歩すると、せせらぎの小川にこんずいの実や、ハゼ、モミジの赤にイチョウの黄色、風に踊るように舞い降りてくる木の葉たち。

秋から冬にかけて、気温が下がるにつれ、樹木は根から水分を吸収する作用が衰えます。 この状態のまま、通常通りに葉から水分を発散すると樹木は枯れてしまうので、葉と茎の付 け根の部分にある“離層”と呼ばれている組織がコルク状に変化し、葉と茎の間で水や養分 の流れを少なくします。葉では光合成によって糖分やデンプンを作っていますが、“離層” がコルク状になってしまうと、これらが茎や枝、幹に流れなくなり、どんどん蓄積されてし まいます。そこで蓄積された糖分は酵素の働きによって、赤や黄色になる色素になっていき ます。そして、葉の緑を形成している“クロロフィル”という物質が、紫外線やアミノ酸な どによって分解されると緑の色素が減少し、赤や黄色の色素が目立ってきます。これにより、 葉が緑から赤や黄色へと変化していくように見え、紅葉するわけです。

調べたら このように書いてありました。えへへ すいません、私の知識じゃなくて。
欲を言えば後一週間遅ければ、燃える様な紅葉に出会えたかもです。

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曇り時々小雨 17℃

紅葉を求めて。

2007年11月05日 | 私ごと

 桜の季節もそうだけど、紅葉の季節になると落ち着かない。
休みがうまく自然美の競演に合うかどうか、今年は、異常な気象のせいで、西日本はいつまでも秋にならず、残暑が厳しかったので、鮮やかに紅葉しないまま枯葉になるのではないかと心配したが、山々の木々は黄色や赤に色づいてきた。

 そんな定休日「紅葉の山に行こう」、とサンコー一家が誘ってくれたので、山口県と島根県の境の寂地峡にお弁当持参で出かけた。
山々の肌を眺めて走ると、日常空間のどこかが、少しだけ透明に感じる。
(写真をクリックしてくださいね。)
紅葉する木々の間から見え隠れする集落の暮らしは、私が考えるほと楽なものではないかもしれないけど、綺麗に刈り込んだ垣根の木や、庭に植えられえたコスモスや真っ赤なサルビアが、後ろの紅葉しかけた山々とうまくマッチして、なんとなく満ち足りた平凡美、パーフェクトな田園風景に思わず、感激する。
六日市から錦川を遡って 静かな桜の木が紅葉している公園でお弁当を広げた。
他にも家族連がチラホラ 暖かい陽射しに誘われるようにお弁当を広げていた。
私達のお弁当の上をトンビが旋回していた。「きっとあっという間にさらっていきんだよ。」ということで、注意しながらフタでおかずを隠して食べたりして・・・
子供の頃のお弁当を隠して食べてた人いたよね、などと話しながら。

寂地峡の五竜の滝では、776メートルの山に滝が五つあるということで、サンコー社長と登ってみることにした。
思ったよりたくさんのお年寄りカップルが挑戦していたので、私たちも途中で辞めるわけには行かない。



手にはカメラしか持ってないのに、急勾配の山道を踏みしめて登ると手に力が入らない。遊歩道はホウの木の大きな葉っぱがはらはらと茶色くなり落ちる音がする。
遠く彼方で「ウォー、ウォー」の音に「熊の声?」そういったら「あれは岩国基地の飛行機の音よ。」
木馬トンネルの看板に元気付けられて思わずシャッターを。
山に入ると新緑は若葉の緑の匂い 紅葉の秋は、腐葉土の暖かくそして皓菌類の湿っぽい匂いがする。この山の匂いはマイナスイオンの元気の匂い。最初の滝からふぅふぅ言いながらも とうとう全部の滝を征服した。思わず山の匂いをかいで見る、水の匂いもかいで見る。済んだ水を手に取り、飲んでみた。美味しい、まったりとした元気の出る味がした。

さぁ ここからいよいよ深谷峡なのですが、こちらの様子は余り長くなるとまたお叱りを受けますので、明日にでも。

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 朝少し肌寒く感じたけど 午後からは 丁度よい。曇り20℃

秋刀魚の思い出

2007年11月04日 | 四方山話
   
11月1日から2日にかけて都野津の氏神様の秋祭りだった。
メインストリートは相変わらず人っ子一人いない昼下がりなれど、神社の界隈は今からお神輿が出るので、子供達や担ぎ手などで賑わっていた。昔はこの沿道にも、屋台のお店が並んだらしいけど、今は面影もない。
幸い曇り空に少し陽射しが戻り、子供たちの声が山々にこだましていた。
昔はお祭りだというとお餅をついたり、お寿司を作ったり、お客さんもご招待したりで大変だったらしいが、最近はそんなことする家庭も少なくなったね。
我が家では足が痛いだの、腰が痛いだのと言いながら この日が来ると作らずにいられない安光姫が作ったお寿司です。

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 今年は秋刀魚が安い。秋刀魚は焼いたのが一番、落語の『目黒の秋刀魚』でも殿様が焼いた秋刀魚が一番といったでしょう。そういったらラーフル夫人が「そんなことないよ、煮付けにしてご覧美味しいよ。」
というわけで煮付けてみたけど、これが本当に美味しかった。骨離れはいいし、お奨めです。昨日のレシピの④番です。

 秋刀魚といえば先日新聞で読んだのだけど、秋刀魚ハンバーグでヒスタミン食中毒になったという記事を。
ちょっと待ってよ、抗ヒスタミン剤とは、アレルギーの症状を抑える薬?
調べてみたらやはりそうだった。薬とは薬にもなり毒にもなるのは本当だったんだね。

目黒の秋刀魚じゃないけど、子供の頃よく焼魚がメインディシュとはいわないか、とにかく毎日夕ご飯のおかずはお魚だった。

両親は共稼ぎだったので、祖母がおかずを作っていたが、「お前の焼く魚は一等おいしい。」と私をおだてて魚焼きはいつも私の仕事だった。七厘に消炭を入れると炭を二欠片くらい入れる。七厘に載せた網は 油を引くと焦げないと祖母は言った。よく焼いてから載せると引っ付かないとも言った。
網の上に頭と尻尾の方を互い違いに乗せて焼くと、その方がうまく焼ける事を自分なりに研究した。油が火の中に落ちてそれに火がつき煙がもくもくで、どういうわけか自分のいる方にばかり煙が襲ってくる。「けむたいよぅ。」というと、しぶ団扇を渡されて、「煙で燻製になるよ、煙を逃がしてやるんだよ、上から仰ぐんじゃなくて横から逃がすんだよ。」明治19年生れの祖母はおだて上手だった。真っ黒焦げになっていても、皮がはげていても「お前の焼いたお魚は天下一品。殿様もこのお魚は美味しいというさ。」ほめられると悪い気はしない。うまく焼けてて、おいしいね、などといわれると、天にものぼる心地だった。
まんまとおだてに乗り、お魚焼かされたり、お風呂を沸かさせられたりで、時々前髪を焼いたり、眉毛も焼いたりして、たんぱく質の焼ける匂いが忘れられない。

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