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ブレンド日記

世の中の出来事・木馬での出来事・映画の感想・本の感想・観るスポーツ等々ブレンドして書いてみました。

秋はため息が・・

2007年11月21日 | 木馬の事
                 
 曇りで風も強く、雨も降っている今日、新川沿いをカメラ抱えて散歩。
おおっ!出来てる、出来てる。
もうじきクリスマス、田舎でもアチコチでクリスマスのイルミネーションが見えるが、江津内でもここが一番豪華だと思う。毎年、毎年増え続け山陰線のガードをまたいで、自宅までの数十メートルが煌びやかに光る。クリックしてみて下さい、昨年の写真をアップしました。

まるでラスベガスがここに移転してきたのかと思ってしまった。今年も12月1日に点灯式があるそうです。何でもこのイルミネーションのためにブレーカーを付け替えたとか、世の中不景気でなにもかもケチケチ暮らしているのに、このあでやかさ、見上げたもんだよ、屋根屋のふんどし、見下げたもんだよかえるのしょんべんとは言わないか、でもまぁ いずれにしても もうじき日本海から吹く狂ったような季節風もなんのその、綺麗に夜空を飾ってくれるこのイルミネーションをアップします。

 さて。
「わしも年取ったのう」
友達の友達はアルカイダじゃないけれど、友達の友達がペテン師だったらしく、残り少ない人生を、暴走老人のごとく謳歌するはずが、すっかり暗雲が立ち込めたとらたぬが、秋も深まったある日 木馬のカウンターから見える過っての工事現場を見つめながら、しみじみとつぶやいた。

その深ーいため息の原因を聞いてみると、夕ご飯のおかずに湯豆腐をするべく、ガスにかけて、そのことをすっかり忘れて、お風呂に入ったらしい。上ってしばらくして気がついた。
時既に遅し、お豆腐はスポンジ状態 焦げる寸前だったとか・・初犯ならどってことないけど、その前にもホーローのお鍋を焦がしてお鍋をお払い箱にしたとか。
「ばかだね、焦げたお鍋はかんかん照りの時お日様に照らして乾燥させたらポロリと取れるよ。」

ナーバスになっているとらたぬを励まそうと、「三島由紀夫も言ってたよ、希望は過去にしかない、かって過去はこうだった、過去の自分は物覚えがよかった、自分の過去は鍋なん焦がさなかった、と生きながら自分の長所に過去形を使う。」と・・・まだ顔が強張っているぞ。
それならと恥を忍んで、我が家の安光姫も家中の鍋という鍋はみな焦がしている話をした。そのお鍋を炭で、いつもゴリゴリこすっている話もした。
年をとればみな同じで物忘れが多いのよ。それが普通よ。そして「火をつけたらそこから離れるんじゃないよ、もし火事になったら私たち寝る所ないんだけぇねぇ。」と厳しく叱る話もついでにした。
食べ物は大事にしなくてはならない、焦げたからといって捨ててはならない。スポンジ豆腐も砂をかむような思いで食べたんだろう。想像しただけでニヤリとなる。

物は大事にしなくてはならない、たまの休みにご飯の支度をしながら、お風呂にお湯を入れ過ぎて 慌てて抜き 抜きすぎて・・この繰り返しのエンドレスなど言語道断。木馬のエアコン切れ忘れて、翌日お客がいない時切って帳尻合わせをするなどもっての外、外灯消し忘れて翌日夜になって気がつくなんて呆れて物が言えない。
経費節約という言葉がひらひら舞う。
しかし家族がこのようなことすると烈火のごとく怒る私です。勿体ない、経費節約しなさいと。
見上げたもんだよ屋根屋のふんどし・・・

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曇り 雨、13℃

☆☆☆喫茶店?

2007年11月20日 | 木馬の事
 

                  


 今日の和木海岸です。
「和木の海岸の写真をアップするなら、こ『和木の歌』の歌詞も一緒にアップしてよ、全く昔の和木の海岸をうまく詩にあらわしていて、この詩の通りだったんよ。高校の国語乙の教科書に和木の海岸が載っていたの覚えている?綺麗な海岸だったんよ。」ラーフル夫人が言った。

してみると私は国語の時間に、よそ見をしていたんだろう。
ということで写真をクリックして見てくださいね。

 さて。
今日の新聞をタラタラと流し読みしていたら、「たらこ製造日偽造」「たらこよ お前もか?」
しかしたらこって美味しいよね。この前トンボが九州に遠征に行った時、辛子めんたいをたらふく買ってきてくれたけど、大好き。(あれは福屋だったけど・・)
一腹くらい、あっという間に口に入る。トンガラシが、これでもかこれでもかと一杯まぶしてあり、熱々のご飯に乗せたら口に入れたとたん ピリカラがジワーッと口の中に広がり、鼻の頭にふわーっと汗が出る。はぁはぁ口で息をしながら食べる美味しさよ。う~ん幸せ!

 その隣に、東京版☆☆☆8店の記事が・・
フランスのタイヤメーカーのミシュランがレストランを星の数で格付けする「ミシュランガイド」の東京版に掲載する店舗を発表したらしい。
評価には日本人を含めた5人の調査員が1年半をかけて店に足を運び合議で決めたと記事は伝えていた。
 
 「三つ星なら江津にもあるよ。」トンボが言った。
「木馬なんか、あんた、お客に悪態はつくわ、お客が入ってきても立ちもせんわ!パソコンしてたら顔も上げんは!コーヒー少しぬるいんじゃない?といっても、あんたの舌がおかしいんじゃないと、絶対に非を認めんわ、こんな店はないよ、マイナス☆☆☆よ。ま、笑顔だけはいいけぇ 何とか持ってるんだろうね。これで愛想でも悪かった月星よ、あっ これは靴屋か!」
「じゃ スタッフが若けりゃ マイナスは消えるの?」
「いや 俺はえっちゃんくらいで丁度いい。余り綺麗なのは相手にしてくれんけぇね。」
どういう意味なんだろうか?理解に苦しむ私です。

追記
物知りしもちゃんが言うには、ミシュランのタイヤを使って貰っている世界中の自動車メーカーとか、ドライバーに安心できて美味しい物を食べてもらおうと、ミシュラン社が始めたのが、このランク付けの始まりらしい。

わたしゃ そんなことミシュランよ。

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朝 大雨、雷、のち曇り 13℃

防寒頭巾

2007年11月19日 | 私ごと
                

 外に出ただけで滴り落ちる汗をぬぐっていたのが つい昨日のような気がするのに、日本海独特の重く薄暗い冬がそこまで来ている。毎年繰り返される事だけど、これを我慢しなければ春は来ない。
写真は少し前、重たい雲を強い風が引っ張っていて、雲の切れ間から覗いた太陽が、某製紙会社の煙突から出る煙に当り、そこだけ真珠色に光って見えたので思わず写真を撮りました。(写真をクリックしてくださいね。)

 さて。
「私達の子供の頃はモットこの時期寒かったよね。」
最近はいつもこんな話題になる。
暑がりの私は、真冬でも防寒コートを着ない。マフラーを首にぐるぐる巻いて過ごす。

 話は大昔、私が東京から下府に越してきた昭和29年 暖房といえば堀炬燵だけ、朝着替える時はこたつに、今日着て行く洋服を入れて温めて着ていたし、寝巻きの下にシャツを着て寝ていた。

そんな冬、学友は全員防寒頭巾をかぶっていた。そしてちゃんちゃんこや半纏を着て 霜柱をシャキシャキ踏みながら通学していた。何も被ってない私は耳が千切れそうに痛かった。
祖母に「私も防寒頭巾欲しい。」とせがんだ。祖母は戦争中にかぶった防空頭巾なら作ったことあるからと「よしよし、任せなさい。」といってくれた。

早速 祖母は押入れから、引越しのたびにアチコチすれたのだろう、角が白くなっているつづらを引っ張り出した。おもむろにしゃらけた紐で括られた蓋を取ると、中から色々な布の切れ端が出てきた。覚えのある夏のワンピースの木綿の切れ端や、祖母の普段着のモスの着物の切れ端、頭巾にするような布は見あたらない。下のほうにあったのは、こげ茶色の大島の切れ端や、こい紫色の銘仙の切れ端、セルやメリンスのような軽い生地の布。どこをひっくり返しても赤い布は出てこなかった。
おまけに、樟脳を入れてしまってあったにもかかわらず その布は少しかび臭くて、鼻を押し付けると祖母の愛用していた刻みタバコのにおいがした。嫌な予感がした。

 出来上がった頭巾は、父親の丹前か かいまきに使われた布か忘れたけど こげ茶色のよく見ないとわからない縞模様に、裏地は布団の裏に使われている濃いエンジ色だった。
友達は可愛い小さな花柄の着物や、赤い格子の柄とか、女の子らしい可愛い柄の頭巾を被っている。
それと友達のは首のあごのところで紐で括って、その続きの綿入りが肩掛けのようになびいていたのに(剣道の面のように)私のは、男の柄で、おまけに首のところで括ったら後は肩掛けもなにもついていない。
これはみんなのと違うと 半べそかきながら駄々をこねたら、「バカだね、これが本物の防空頭巾だよ、田舎の子は知らないのよ、皆が笑ったら、東京はこれだったの、といってやりなさい。」しぶしぶその防寒頭巾で過ごした。

最近になって同い年のラーフル夫人や 同級生に聞いたが こんな頭巾は被ったことないという。じゃこの地方独特のものだったんだろうか?
それにしても暖かだったなぁ。

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曇り 時々雨 のち薄晴れ 13℃

私なりのお料理のうんちく。

2007年11月18日 | 四方山話
 「何だこれは?」
久しぶりに産業道路を走ってみたら 木組みのヤグラが見えた。
何でも防風林の代わりらしい。このヤグラを将来嘉久志から敬川当りまで作るんだとか。
風の影響を諸に受けて 生活を細々としている江津海岸付近の住民には、いつか日本のハワイとなる日も来るのか?取り合えず写真を撮ってみました。工事が挫折しないようにと祈るばかりだ。

 早く作らないと飛ばされそうな、今日の江津です。
晴れたり、曇ったり、雨が降ったり、そして風はビュービュー、天気予報の言葉が全部使えそうに根性で吹いています。


 さて。
始めに昨日の記事のレシピを少しばかり。

③ 山芋と豚肉の炒め物

山芋と人参は細めの短冊切りにし、豚ばら肉は3センチ幅に切る。
山芋と人参は2分くらいレンジにかける。
フライパンにごま油を入れて豚肉を炒める。豚肉に火が通つたらピーマンを入  れて炒める。
山芋と人参も入れて一緒に炒めて、塩昆布で味付ける。味が薄ければ塩を入れる。
  
⑨ 頂き物お野菜の炒り鶏

鶏もも肉、牛蒡、人参、サトイモ、こんにゃく、蒲鉾、夏豆、椎茸、みな一口大に切る。
フライパンに油を引き、鶏肉を炒める、火が通つたら他の野菜をいれて炒める。
お鍋にお出汁 お醤油、味醂、お酒、お砂糖を入れて、炒めた野菜を入れて煮る。
照りを出すため、ゆすりながら煮絡めるて出来上がり。

      ******************

 私はお料理が取り立てて好きなわけじゃない。どちらかというと仕方なしに作っている。誰かが作ってくれたらこんな楽しいことはないと思っているのが本音である。人様に作ったお料理は美味しいよね。

 私の料理の基礎は共稼ぎをしていた母に代わって作っていた祖母から、教わったものだから、昔のお料理だと思う。

 というわけで いい加減お料理でも作るとき一番緊張するのは、味付けの瞬間である。
塩のひとふり、お醤油の一滴で まろやかななんともいえない満足な味になったり、どうにも救いようのない代物になったりするる。
味付けで面白いのは、薄味のものは色々と味をおぎなう事で補修できるが、その逆は駄目。手が滑ったりしたら、もう大変、一瞬の勝負がいい味、どうしようもない味を決めるのだ。

そんな調味料を入れるときは サシスセソと教わった。
つまり酒、砂糖は一番先に、次に塩、酢を使う時は次に酢、セはお醤油 ソはうまみ調味料や味噌です。ちょっと調べてないけどこれにはちゃんとした理由があるみたい。(今度調べます。)

お魚を焼くときも、「お前の焼き魚は天下一品」と誉めて焼かせられたけど、煙は団扇で扇いで横に逃がせ、そしてお魚焼くときは盛りつけたた時、表になる方から焼くので皮の方から焼く。

昔は天麩羅も油の温度を測るものなどないから、さえ箸を油の中に入れてみて、箸の先に大きな泡が勢いよく出るようなら高温、箸の先が小さな泡でシュワシュワとでるようなら中温だと言われたのを覚えている。
私は今でもそのようにいつも箸で温度を確かめている。

最後に いつもいただく野菜でどこの家庭でも作っておられるお料理ですが、私なりの作り方を紹介させてください。

★キンピラゴボウの作り方。
牛蒡は千六本でもささがきでもいい。切ったらすぐに酢みずにはなしてあくぬきをする。次に少量の水を入れた鍋でごぼうがすき通るくらい茹でたら、ざるにあげて少量の油で炒めます。
先に水を吸っているので油も少なくてすみ調理時間も少なくて出来ます。味付けはお好みで、仕上げに私はゴマ油をたらします。ゴマや唐辛子もお好みで。

★小松菜や春菊、ほうれん草などの煮びたし。
これらの野菜は食べやすい大きさに切って、さっと歯ごたえが残るくらいに塩茹でする。ざるにあげて冷水をかけたら絞らない。
次に出汁し醤油にお砂糖は入れず少し辛いかな?と思えるくらいの味付けに油抜きした油揚げを入れる。(小松菜を絞ってないから丁度よくなることを頭に入れて)次に小松菜を入れたらさっと煮る。煮すぎない。
まだ野菜の色が綺麗なうちに火を止めて、ざるの下にボールを敷き鍋の中身を空ける。中身と煮汁を別々にして冷ます。身はバットなどでさます。
冷めたら器に盛り、汁をはる。
こうすると色がいつまでも鮮やか。
煮すぎると鮮やかな緑色が茶色になるので、私は見た目もお料理には大事だと思っているからこのようにします。

曇り雨時々晴れ 風強し。14℃

今週の頂き物のお料理 (写真をクリックしてください。)

2007年11月17日 | 料理

  

  

  

  さぁ 今週の頂き物のお料理です。

① サツマイモのきんとん

② 人参サラダ

③ 山芋と豚肉の炒め物

④ 茄子とがんもどきの煮物

⑤ サトイモのにっころがし

⑥ 春菊サラダ

⑦ ゆずと春菊のちらし寿司

⑧ 春菊と豚肉の巻き巻きゆづ醤油かけ

⑨ 頂き物お野菜の炒り鶏

以上です。

曇り時々晴れ 朝気温13℃ 午後18℃


地球の姿に感動を覚える。

2007年11月16日 | 四方山話
                

「かぐや」といっても家具屋のことではありません。

「今昔物語」に帝釈天が老人に姿を変えてウサギ、キツネ、サルに食べ物をこう話があるそうな。
サルは栗や柿を集め、キツネは魚などを持ってきて老人を養った。ところがウサギは食べ物を持ってくる力がない。「だからこの身を焼いて食べてください。」と火中に身を投じた。ウサギを哀れんだ帝釈天はその姿をこの世に生きるすべてのものがいつも見えるように月に移し入れた、それで月にウサギの影が見えるようになった。

           

 私が宇宙旅行したわけではないのだが、水曜日のNHKの放送で月から見た地球の姿が公開され わくわくしながら テレビにかぶりつきで見た。やはりもの凄く感動した。
写真は月探査機「かぐや」から見た月の地平線の「地球の入り」と「地球の出」です。

このうち「地球の入り」では南極を上に、QLDさんのお住まいのオーストラリアと東アジアを地図とは逆さまに下に見えたんです。・・その青い逆さ地球が月の山の稜線に沈む姿をハイビジョンカメラは鮮やかにとらえていた。
わぁ!地球はなんと綺麗な青い星なんだ! 
でもなんだか不思議な感じを受けたのは、天を動く地球を目の当たりに見たからだと思う。
それが日ごろ私がいつも眺めている月や太陽と 逆向きなのがとぼけた私の頭では なんともすぐには理解できなくて、しばらくテレビの画面に向かって、頭を上にしたり下にしたりして考えた。
その結果 地球もこの大きな宇宙の天体に過ぎないのを思い知らされたのだ。
こんな宇宙の奇跡のような地球で、戦争をしたり、隠蔽工作に明け暮れたり、この素晴らしい映像を見たらあほらしくならないだろうか?
私はこういう映像に出会うと、もうホント俗世間の些細な事柄に対して、寛大に鷹楊になる。

 帝釈天なら生きとし生けるものすべてにいつまでも、この悠久の姿を見せておきたいところだろうが、このところの異常気象を見てもわかるように、人間の身勝手でそれを損なうような事があれば実に浅はかな事だと思う。

山田風太郎の「あと千回の晩飯」の中でも書いてあった。
“地球上のあらゆる生物は、自分という個体の維持と種族の繁栄のみを・・・特に後者の目的のために夜も昼もないようだ。そんな生物を乗せて、黙々と運行し回転している地球にやがて訪れるのは『無』だとはなんと言う途方もないどんでん返し”
「とにかく無になったら未来永劫、二度と出現することはないという宇宙のからくり」

私には関係ない事 何千年も何億年も先の事と この本を読んだ50歳代には思っていたが、・・・・近頃 年のせいもあるが、あの山田風太郎の言った事は本当なんだと思う。

ここのところの 紅葉の遅れ、暖冬の冬、長雨、大地震、大台風、私が感じるだけでも目に見えて地球がおかしくなっていると思うもの。

せめて 私の死滅は致し方ないにしても、この世の素晴らしいもの、他の星にはない見事な自然遺産、建物 文化、は帝釈天じゃないけれど、いつまでも未来永劫に残して欲しい。

NHKスペシャルを見てそんな感想を持った私です。

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雨 のち曇り 時々薄晴れ 19℃

処世術のあり方。

2007年11月15日 | 四方山話
                 
 
 今朝の星高山です。
ボロ雑巾を広げたような、薄暗い空にぼんやりとオレンジ色の明かりが漏れて朝日が顔を出した。
しばらくカウンターから眺めてカメラに収めていたら すぐまた隠れてしまった。つかの間の星高山に掛かる朝日です。(写真をクリックしてくださいね。)

        *********************

「謝罪」の連続。
やれ吉兆だ、やれ赤福だ、やれ大学ラグビー監督だ、やれ防衛省だ、やれ山田洋行だ・・・
この数ヶ月というもの、TVでは「偉い人」の謝罪場面ばかり見せられているような気がする。
それも決まって、お粗末な隠蔽工作が裏目に出て、さらに被害や騒ぎを大きくしたうえでの謝罪会見というパターンよね。
「今度は誰?」もう余り驚かなくなった。

 というわけで、暇な木馬でTVの守屋某氏のらの証人喚問を見て私は思う。

このように連日の一連の騒動を見て 我とわが身を振り返り、改めて自分の職業倫理について、深く鋭く考えて ため息をついている人も多いはず。

「保身」と「組織への忠誠心」う~ん難しいね、幸いといおうか、情けないといおうか、私の親戚一派にはこのような「偉い人」は全く見当たらないけどね。

これらの「偉い人」の中には自分の将来を棒に振っても、また組織の中で孤立しても、仕事人としての信念を貫き通す、そんな人がいれば それは見上げるばかりの健全な知性の持ち主で、まともな人だ。しかし残念ながら少数派だろうね。

というわけで 一連の謝罪会見から 多くの人が学んだものは、というか私が学んだものは、職業倫理のあり方よりも、処世術、出世するための保身の仕方なのだ。
こうまでしなくても、お金に埋もれた生活をしなくても、お金は持って死ねやーせんのに。
老後はのんびり酔生夢死でいけたらそれでいいのにね。 
しかしそれもままならない私のたわ事と、大きな心でお許しを。

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曇り 時々薄はれ 21℃

稲尾投手の思い出

2007年11月14日 | スポーツの事
                 
 
 草花でも野菜でも、植物を育てるに当たって大事なことは、それぞれの植物が本来持っている活力、生命力をできる限り生かしてあげることではないかと思う。
その生命力が最大限に発揮される環境を整えてこそ、美しい花も咲き野菜本来が持っている土の匂いのする美味しい野菜もできる。
なーんて少し偉そうですが、トンボから電話があり「ダリアが綺麗に一杯咲いているよ、取りにおいで!」
ということでお花を頂にトンボ邸に・・・ついでにお塩をかけてそのまま食べたいくらい、きんきら輝いていて、美味しそうに畑の畝に並んでいた春菊君も頂いてきた。
やわらかすぎて大事に扱わないと千切れそう!有難うございまーす。

話は全然関係ないのだが、トンボは「アルマーニ」がことのほかお気に入りで、セーターもズボン(とは言わないのかな?)もほとんどアルマーニらしい。
ブランドしまむらとか、ブランドセシールしかしらない私は、アルマーニの良さがわからない。身体にぴっちりフィットしてまるで昔父親が着ていた駱駝の下着を髣髴させる。
そういったら、「馬鹿だねぇ この細身のセーターやパンツを身に着けたくて 身体を鍛えている人もいるんだよ。」
「それって この前アルマーニの社長が銀座のお店がオープンしたからと来日してたブランド?」
「そうだよ。」
「じゃ私もそのピッチリが着れるように努力するから 買ってよ、『もうこれからはお金に不自由はさせん、何でも欲しい物言ってごらん。』そういったよね、あの言葉に嘘はないのなら買って!」
「この話はなかった事にして、そんな話はアルマーニ」とバカなトンボの落ちです。

 で、またまた枕が長くなってしまいましたが、今日の書きたいことは稲尾投手の訃報に接して稲尾投手の思い出です。
父親は江戸っ子の癖に ジャイアンツが嫌いで、タイガースファンだった。
そんなわけで水原が嫌いで、タイガースじゃなかったけど三原(当時西鉄の監督だった)が好きだった。そんな父親の影響で野球のラジオ中継をいやがうえにも聞かされて育った私は、野球大好き少女だった。

 昭和33年 長嶋選手が衝撃デビューをした年でもあった。その年の日本シリーズ。忘れもしない。(水原ジャイアンツと三原ライオンズ)
第1戦を稲尾で落とした、第2戦も落とした、第3戦は稲尾が先発だったが、1-0で落とし後がなくなった。
ここからが凄い、第4戦は平和台球場が雨で順延になった。翌日三度目のマウンドに立った稲尾は打たれながらも、豊田や中西の活躍で一勝をあげる。
第5戦も途中から登板した稲尾は 自からの サヨナラ本塁打で二勝目をあげる。
第6戦も0点で押さえ 三勝目。第7戦、5試合連続登板の稲尾、3連敗から4連勝という球史に残る素晴らしい活躍で、神様 仏様 稲尾様ともてはやされて勿論最高殊勲選手も・・
父親は 稲尾より三原監督が凄いと お酒を飲みながらうれしそうに話していたのが忘れられない。三原マジックといっていた。

 中学生になり一年生の遠足で益田に行った時のこと。雨の遠足だった。午前中の日程を何とかこなしたが雨足はひどくなる一方 その時の1年担任の先生方が相談して午後の日程を取りやめ、益田の石見館で映画を見せてくれた。
その時見たのが 「鉄腕投手 稲尾物語」だった。内容はほとんど覚えてないけど、伝馬船をギッチラオッチラ漕いでいたのだけ覚えている。これで腕の力が強くなったと言ってたのだけ覚えている。(因みにもう一本は大映の“春を待つ人々”だった。)

話はそれてしまったが、年間130試合そこそこの時に、シーズン最多の43勝をあげたのも今では考えられないが、今日の新聞によると、打者の打つ気を読み取って冷静に組み立てる頭脳的なピッチングだったらしい。
それじゃないと14年間で276勝は出来ないよね。昔はダブルヘッターで連投もしてたもの。
きっとあちら世界で三原監督と逢っているでしょうね。
ご冥福をお祈りいたします。

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晴れ 20℃ 

カポーティを見る。

2007年11月13日 | 映画の事
                
 木馬の嵌め殺しの窓から、新川沿いの某整骨医院の庭に咲き乱れる花が見える。
いつも綺麗な花といい匂いに誘われてお邪魔させてもらい 写真を撮らせてもらっているのだが、ブログに貼り付ける写真がないときはここで調達させてもらっています。それくらい四季を通じて色とりどりの花があるのだ。
バラは黄色に白 オレンジにピンク、足元にまん丸のピンクの小さな花、赤や白のベコニアにインパチェンス、紫のハーブ。
お昼からは朝ほどいいお天気でなく、曇りがちなれど、時折ふりそそぐ淡い光に 命を誇示するように輝く花。色がとても綺麗で今日はこの花の写真にしてみました。(名前はよくわからないが・・)

その花たちに見とれるようにカメラに収めていたら、通路に咲いてはみ出していたハーブをふんずけてしまった、ハーブのいい匂いが靴につく。
ごめんなさい、『花盗人は風流のうち』で許してもらおーっと。

 えっーと話は変わり またまた映画の話で申し訳ありません。

<カポーティ>
監督 : ベネット・ミラー
脚本・製作総指揮 : ダン・ファターマン
出演 : フィリップ・シーモア・ホフマン 、 キャサリン・キーナー 、 クリス・クーパー 、 クリフトン・コリンズJr. 、 ブルース・グリーンウッド

私はこの映画の原作の「冷血」を読んでない。(というか洋物はほとんど読まない。)がこの映画は気になっていた映画なのだ。

実在の作家カポーティが、この『冷血』を書き上げるまでの物語なのだ。
映画の中でカポーティは一家惨殺事件の犯人たちに近づき、遺族や犯人を追う刑事たちの心情を黙殺し、犯人たちに自分が真の友人であるかのごとく嘘までつきながら取材を行う。そうまでして書かねばならない、またそうまでしなければ書けないという残酷な事実が作家とは、本を書くとは大変な事なのだということ。カポーティの天才がさせるのか、あるいはその天才を持ってしても、自身だけでなく周囲をもギリギリまで追い詰めなければ傑作をものすることは出来ないのか、と。

 最後のシーン、犯人の青年の処刑を見届けてから、同じく取材にあたったネルに「彼を助けることができなかった」と述べたとき、ネルは彼にいう。
「助けたくなかったのよ」
飛行機の中でのラストシーン、ペリーの日記にはさまれたカポーティのスケッチをなでる姿が痛ましくて、ジーンときてしまった。
叶えられぬ祈りより、叶えられた祈りに涙が多く流されたとのテレップで終わる。
秋の夜長にぜひお奨めしたい映画です。

 なんせカポーティを演じたフィリップ・シーモア・ホフマンは、見事この作品でアカデミー主演男優賞を受賞。声や外見を徹底的に似せた役作りは、彼ならではの不気味な存在感を生み出し、見ごたえたっぷりだったもの。

そしてフィリップ・シーモア・ホフマン この俳優 ずっまえから気になる人で、脇役で見たら忘れられなくなる人なのだ。そしてなんとなくダニー・デービートに似ていて、犯人役の若者は(クリフトン・コリンズJr)はなんとなくエドワードノートンに似ていたしね。

そうそうフィリップ・シーモア・ホフマンは、私が好き好き好き映画の一つ「セントオブウーマン・夢の香り」に出ていた。
クリス・オドネルと一緒に、その頃からなんとなく気になる俳優だった。
 
う~ん ☆☆☆☆です。 この映画もフィリップ・シーモア・ホフマンがとても好演していたから。

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晴れ 時々曇り 18℃