梅雨の真っ只中 つかの間の晴れ間もどんよりで、私の頭の中のようにすっきりしない。
写真はお隣の紫陽花の花です。
いきなりどうでもいい話なのだが、先日の新聞に「城ヶ島の雨」という歌が出ていた。
♪ 雨はふるふる 城ヶ島の磯に 利休鼠の雨が降る~・・・
利休鼠ってどんな鼠ですか?と質問が来たと書いてあった。
私は自慢するようだけど(しっかり自慢)知っていたよ。
新緑や紅葉や自然が大好きだった主人と、いつも山歩きをしていて教えてもらったからだ。これは残念ながら生き物ではない ねずみ色の事、千利休が好んだ僅かに緑色を帯びたねずみ色のことで、若葉に包まれて霧とも靄ともつかぬ目の錯覚のような雨の風情をいう。
江の川の沿線を車で走らせていたら、このような情景に出会うことがある。利休鼠の雨は何も城ヶ島まで行かなくても江の川沿線で見ることが出来るのです。受け売りの癖にえらそうですいません。
とはいっても本当はついこの前まで知らなかったり え~そうだったんだ、というような唱歌や童謡はたくさんある。
子供の頃童謡が大好きで、いつも暇さえあれば歌っていた。
童謡の本を買ってもらってそれに穴を開けて紐を通してもらい、分厚い一冊にまとめて 縁側でそれを見ながら毎日朝から晩まで歌っていた。
従妹達や祖母が「悦子はうまい,うまい」とおだてるのでいつも大声で歌っていたのだ。
♪ でーてこい でーてこい 池の鯉とか♪えーっさ えーっさえっさほいさっさとか、♪ ちんからほい ちんからほい ちんから峠のお馬はほいとか・・・
私は「月の沙漠」がことのほか好きだった。
まだ行ったことないはるか遠い砂漠を思い浮かべながら穏やかな気持ちになった。
この歌は幼い心に夢をくれた。
夜の誰もいない砂漠で満月のお月様が明るく照らす。ながーい影が二つ静かに歩いている。王子様とお姫様。聞こえるのは鈴の音だけ・・・
♪広い沙漠をひとすじに二人はどこへ行くのでしょう
おぼろにけぶる月の夜を対のらくだはとぼとぼと
砂丘をこえて行きました
黙ってこえて行きました
私はこの二人は絶対に幸せになるそう思って歌っていた。
今でもこの歌大好き。
話がそれてしまったが、子供の頃耳で覚えた唱歌は、思い起こせば意味不明のものだったような。私が勘違いしていたのは
♪『春は名のみの』が『春花の実の』だったり(早春賦)♪『負われて見たのは』 『追われてみたのは』(赤とんぼ)だったり いつだか新聞に書いてあり切抜きしていたが 「ほう!」と目からうろこ状態で 詩の意味を理解できた時の喜びは大きかった。
こういうことは私ばかりじゃなくて、いつだか向田邦子のエッセイを読んでいたら書いてあった。♪「清らに咲ける野中のバラ」を「夜中のバラ」と思っていたと。そして「兎追いしかの山」を「兎美味しいかの山」と思っていたとか、これには笑ってしまった、食糧難の時代に生れた向田さんらしいなと。
そして荒城の月の「めぐる盃」もこんな字だったのかと書いてあった。
これについてはわたしも人の事いえない。「めぐるさ 香月」と思っていたから・・
しかし言い訳するようだけど この手の思い込みは多いと思う。
だって 昔の唱歌や童謡は子供が歌うからといって子供に媚びたやさしい歌詞にはしてない。作詞者の思いのたけや気持ちを詩の中に込めたものだから、わけがわからないまま、空覚えでうたって 意味もわからないまま覚えているんだと思う。
たまたまテレビを付けていたら小沢昭一が出ていた。そしてやはり童謡をが大好きで、ハーモニカで昭和の童謡や歌謡曲を吹きながら 一人芝居をして全国を回っていると言っていた。
♪ シャボン玉とんだ 屋根までとんだ の歌が大好きだからシャボン玉座と命名したと言っていた。
そして 「このごろは童はこのような歌など歌いません。老が歌うんです、ですからこのごろは童謡じゃなくて老謡と言うんです。」といっていた。
そうか 老謡かと思いながら ♪雨はふるふる 城ヶ島の磯に~と窓を見ながら歌ってる私です。
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