アンティークマン

 裸にて生まれてきたに何不足。

死んだ魚を食う…

2019年04月24日 | Weblog
 スポ-ツジムの更衣室での40歳代半ばと思われる2人の会話。
八:昨日、今年初めてのニジマス釣りへ行ってきたよ。熊さん、釣り、やらないの?
熊:オレ死んだ魚を買ってきて食うから…。魚釣りって、怖いんだよ。チカ釣りに連れて行ってもらったことがあるんだけどね。釣り針が、チカの目玉に刺さって釣れてきたり、腹に刺さっていたり…残酷すぎて気持ち悪くてさあ。
八:へーっ!いいとこのボンボンなんだぁ!でも、魚屋さんの死んだ魚なら平気で食べるんだぁ!
熊:ワカサギ釣りに行ったとき、エサがサシだったんだよ…。
 注:「サシ」じゃあ解らない人が多いと思われますので、アンティークマンよる解説を・・・「サシ」は、ウジ虫のことです。ウジ虫じゃ腐肉に群がるハエの幼虫そのものなので、美しく「サシ」と呼んでいます。ウジ虫がなぜサシなのかって?た、たぶん、サバムシ(鯖虫)の短縮形かと。なぜ、ハエの幼虫であるウジ虫がサバムシなのか?ハエと鯖にどんな関係があるのかって?そ、それを説明しているうちに今日のテーマを忘れてしまいますよ。でも、チョッピリ解説しますと、鯖は沢山獲れましたので日本人には、馴染みの魚。鯖は足が速い。つまり腐れやすい。放置しておくと腐って、そこへハエが卵を産み付けウジ虫が発生します。それを、ウジ虫ではなく、サバムシと呼ぶようになったのです。多分、これ、正解。サバムシの頭としっぽ、「サ」と「シ」をとって、「サシ」。
 閑話休題、熊さん続きをどうぞぉ~

熊:サシを釣り針につけるとき、サシが、「キュッ」と、鳴いて、「ピクッ」と動くんだ(生き餌ですから当たり前なんですがね)。それが、怖くてさぁ…。サシを刺し殺すわけでさあ…。殺生が怖い。
八:うまいね、熊さん。サシを刺し殺す。

 この会話を耳にする数日前、小学校1年生の学級で、担任が、「絵本いのちをいただく みいちゃんがお肉になる日(内田美智子 講談社)」の読み聞かせをしていたのを聴いていたのです…。
 ですから、この学級の7歳児たちの、「命をいただく観」と、更衣室で釣りの話をしていた40歳代半ばの男性達の、「命をいただく観」…。比較にはならないのでしょうが、7歳児たちの方が位相が高いと思いました。

 大人は、「命をいただきます」については、「感謝」を語らなければならないと思います。「死んだ魚を食う」…この言葉には、「魚の命をいただく感謝」がない。肉は、「おどり食いの魚やトルティリャにはさんだサシ」以外は、すべて死んだ動物のもの。いちいち、「死んだ魚、死んだ豚、死んだカエル…」などと、言う必要などない。そういう修飾語をつけるのは、命を提供してくれた動物に失礼というもの。
 あと、「釣り針が目に刺さって怖い」…つまり、他人様が釣ったチカを食べるつもり。怖いから自分は釣らない。…命をいただくという重要かつ高尚な儀式に取り組む姿勢にそぐわない。
 サシがピクッと動くのが怖い…。熊さんはサシを食べる習慣がないでしょうから「怖い」で済まされるかも知れませんが、「サシを食べる人たち=残酷な人たち」のような印象を与えかねませんよ。人種差別は、だめでしょう。メキシコ、中米では、トルティリャ(トウモロコシの粉でつくる円盤状パン。伝統的な主食です)を半分に切って開き(いなり寿司の油揚げのように)生きたままのサシを入れて食べます。「サシのおどり食い」ってとこ。幸か不幸か私は、食する機会には恵まれませんでしたがね。タコスかって?トルティリャにいろいろなものをはさみ、辛いソースで食べるのがタコスとすると、タコスですね。サシタコス…。

 我が家の子ども達は、カトリック幼稚園でしたので、幼少時の食前は、「主、願わくはわれらを祝し、また主の御恵みによりてわれらの食せんとするこの賜物を祝し給え。われらの主キリストによりて願い奉る。アーメン」と、唱えてました。今ですか?多分、「いただきます」は、言っていると思います。アーメンは、言っていないね、きっと。それで、いいのですがね。