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もんく [とある南端港街の住人になった人]

映画「カムイ外伝」 -はじめとおわり

カムイ外伝を映画化するとは何と勇気のある行為なのかと思うのは年齢のせいだろう。今時の目で見ればできるものは何でも映画化してしまって差し支えないとしか思えないだろうが、古いこの作品のファンからの批判を相当に覚悟せねば出来なかった行為だと思う。また自身、この作品のファンだったのだろうかと想像する。他人に映画化されるよりは、との思いがあったのかと。カムイ伝で無かったことはここでは置いておく事にしよう。


人は人を疑いながら生きている。

それはカムイの時代(架空)も今もそう変わらないだろう。

全ての人には守るものがある。
掟、家族、地位、自尊心、....
そうした余計なものの無いのは子供だけ....

この映画について思い起こすのはとても気が重くなる行為だ。


良心も愛情もそれがそのまままっすぐに良心であり愛情であり続けることは不可能であるし、その原因を社会の枠組みに求めることもできるけれども個人の心の中に求めることもできる。その原因を求めることが必ずしも重要ではないだろうけれども、ではどうすれば良いかと言うとそう答えが簡単に出てくるものでもない。

愛情のようなものはいつでも愛情らしき表情をして現れるものではなく、どちらかと言えばそれとは逆の顔を向けている事の方が多い。そうしたわかりにくい愛情をきちんと愛情として受け止めることはほとんどの場合できることではない。

その結果、ほとんどの場合、そしてほとんどの人に救いは何も訪れないのである。実際には訪れていても気づかないと言うべきなのだろう。

そうして人は人を疑い、傷つけあいながら行き続けるしか方法はない。きっとそれ以外の方法は誰も何も気づかない。自分にどんな愛情が注がれているかより人を疑う方が楽なのだ。はじめもなければ終わりもない。
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