昨日仮組みしたスピーカーをアップデートしてツイーターを追加。

ツイーターは乗っているだけで箱に張り付いてはいない。

ツイーターはJBLのJ-520Mのもの。
ネットワークはONKYO D-V3のもの。
どちらもこの、誰かが自作したスピーカーについていたものだ。
ネットワークはカットオフが3500kHzだそうなので、このスピーカーの高音部が減衰し始めるポイントと偶然にも付合すると判明。なのでそのまま使ってしまうことに決めた。

これを使うと決める前までは、JBLツイーターにコンデンサを直列接続してスーパーツイーター的にやろうかと考えていた。なぜならユニットの高音落ちがけっこう急なのでツイーター側だけ低音カットでできそうだったから。
ただ、それにはコンデンサを買い足さねばならないからお金と時間がかかるなあ・・・と思った。このスピーカーのためにそんな散財は許されるのかどうか? というわけで、ネットワークのカットオフがちょうど良いところにあって良かった。
音はどうなったかというと、2ウェイになってPAスピーカー的でなく柔らかい音がするようになった。最初の迷路スピーカーと比べても格段に低音が増していて、ユニット2つもネットワークも同じなのに全くの別物のよう。
夜中に世間が静かになったら再度測定したり音出しもしてみようと思っている。その後に箱内部の調整をどうするか考えよう。

人は自分がまともで正しいと思う癖があるが、逆に自分がダメな人だと思うこともある。どちらかといえば自分正しいの時間が長い。でも人間というものには完成形が無いと考えられる。そう思えばいつまで経っても何かしら学ばないといけないが、人生の時間は限られている。その割に知ったり経験したりしなければならないことは多いし世界は物理的に広い。さらには全ての時間を生きることもできない。
つまり、自分はいつでも欠陥だらけだ。
が、逆にその欠陥形状のままが自分なのだとすれば、その自分に適合する穴、適合しなくても近い形の穴はどこかにあるのではないか?とちょっと思ってみたらどうだろう?ゴツゴツしていて不整形でどこにもハマりそうな気がしないにしても、どうせ世の中だってガラクタなのだから。変な形をした穴もあるかもしれない。