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もんく [マレーシアで働いて13年→2022猫を連れて日本]

婚活アドバスとマウンティングでドヨドヨ

昨日、TwitterであるTwitter界の有名人と言う人が婚活中の女性達にアドバイスと言う事である事を言っていた。

簡単に言うと結婚してから10年、20年経った時の仕事、不動産価値、引退の事などを考えていない男は選ばない方が良い。今良い人に見えてもその時に地獄に突き落としたくなるとか。

言ってる事、間違ってないと思う。うちの場合なんか自慢じゃないけどまさにそれだし。(悪い例として)


でも、こう言うアドバイスするってどうなのだろう?

何か利点があるんだろうか? 書いてるご本人がそれで苦労しているからそうなのかも知れないなあ。でも、いくつかの点において意味ない気がする。

1) このアドバスは20年後まで有効な普遍的なアドバイスなのか?

近年の世の中の変化は激しさを増していて誰も予想なんかできないところがある。10年後の不動産価値が今から予測できるのだったら世の中停滞したままって事になるかも知れない。仕事の内容だって5年もすれば変わらざるを得なくて、予測可能な事やってる人とパートナーでいない方が良いかとも思われる。伝統工芸の職人さんなら別だけれど。

2) 人の幸せってもっとバリエーションがあって良いのではないか?

定番的な苦労のあまり無い生き方と言うのはあるかも知れないけれど、同じ事やっていてもそれを幸せと感じる人とその逆の人がいる。また、明らかにダメと思われる事をやっていてもある人は成功する場合がある。酷く確率の低い事をわざわざやり続けて突然賞賛されるようになる人もいる。

例えば奥さんと小舟でクラゲ採っていてノーベル賞とか、子供の頃から野球だけやっていて億単位の年俸をもらうようになる人 、魚の事にやたら詳しいだけで引っ張りだこになった人。生きているうちに賞賛は全くされないけれど一生絵を描いて生きられた人もある意味成功と言えない事もない。

そう思うと、人生って人の一生をかけた壮大な実験みたいなものとも言える。たくさんの人がいて似たような事、全く似てない事、いろいろやって気づかなかった可能性を探し出しているようなもの。アドバスしてもされても同じには行かないからどうでも良いと言えば良いようなもの。



ところで、また別の方面から思う事もあり。

最近、マウンティングと言う言葉が流行っていて、snsなどで誰かが言った言葉に対して自分の方が上、のようにとれる言葉をかぶせると言う事らしい。snsでなくても昔からちょっと自慢げに言うとか、蔑む言葉を被せると言うのはあった。ちょっと悪質だ。

でも、最近言われるマウンティングと言うのは全部が全部そうでも無いように見える。

自分の意見に賛成しないような場合にみんなマウンティングと言っているようだ。違う見解を示すとか、議論のための提起であるとか、そうしたのも全部マウンティングで片付けている。要は自分に賛成してくれないと不快だからあの人がマウンティングしていると言うように言う。

もともと言葉を書き合うと言うのはいろいろな意見があるから書くわけなので、反対意見が出るのは普通だし、見ている方向が違うのも当たり前。が、日本人的には賛成しかダメなのだ。反対意見をありがたく頂戴すると言う事ができない。

これがまた、海外に住んでいて違いが当たり前だとわかっている人でもなぜかそうだったりする。


そしてそもそも、アドバイスすると言うのが、先行する言葉が省略された状態のマウンティングではないかな、とも思える。他人より自分が先行していて、つまり意見を言うには有利な立場なのだと思って言っている。

ここにマウンティングの真髄あり、と思えなくもない。言葉が議論を前提としておらず、それが正しいと言う前提のみで放たれ、賛成者ばかり集める。日本の政治の状況とよく似ている。


と、読んでいてちょっとドヨドヨ。
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