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もんく [とある南端港街の住人になった人]

映画「METROPOLIS」(メトロポリス-りんたろう版) -絵作りだけ

「世界を支配するのだ!」
こう言った物語にしばしば出てくる台詞だが、その意味は、具体的に何なのでしょう。

この物語で「強大な力を背景にした世界の支配」の象徴として用いられているヒトラーやバベルの塔ですが、あまりにも象徴的であり過ぎて意味が掴みきれません。ヒトラーのやり方とこの映画での支配体制との共通点や相違点はどうなっているのでしょう。支配したい側の人間は具体的に何をしたいものなのでしょうか。


この映画は絵作りとストーリー展開に重点が置かれているせいか、その他の登場人物の心の動きがうまく表現されていないようです。ですから個々の行動の動機が分かりません。

例えば、レッド公が初めて動いているティマを見た時に「生きていたのか」と言う意外な展開に驚いたのみであったが、ティマはレッド公の亡き娘を模して作られたのだからそれなりの想い入れがあるはず。この時に一筋の涙を隠し拭うしぐさがあったら大分違うものになっていたのではないかと思う。

しかし画面からは亡き娘への思慕などの表情は読み取れなかった。その後もレッド公はティマを丁寧に扱うにせよ世界征服の道具としか見ていないようであった。では手塚氏がロボットに向けた情は何だったのか。レッド公は悪役なので適用外と言う事か。


絵は相当良いと思うのですが残念な映画になっています。逆にこの映画の主役は、実はその絵だったのでしょうか。それなら複雑なストーリーや設定は止めて手塚キャラクタ総出演のミュージカルにすべきでは?

ところでその絵ですが、タッチの異なる絵が組み合わさっている違和感は良いと言うのか、それとも違和感のままなのか、アニメマニアさん達から見ればいかがなものなのでしょう?


今回はお話の中の肝心な部分に行き着く事ができませんでした。ごめんなさい。

(結果:絵だけが実験的かも知れない。お話は?????)



もう一言追加
最後に「I can't stop loving you」と言う曲が印象的に使われるのだけれど「愛」ってこの映画でどう定義しているのだろう?

ケンイチがティマに対して示した愛情が世界を救ったのと、一番最後にケンイチの愛情がティマに記憶を戻させたってことで愛情の力を表現したと言う事だろうか。相手がロボットであっても変わらない愛情、相手がどんな状況に陥っても手を差し伸べる愛情?

何だか薄い気がします。例えばケンイチがティマをロボットだと知って思い悩み苦悩する場面でもあれば良いと思うのですが。どう思います?
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