人だすけ、世だすけ、けんすけのブログ

愛知13区(安城市・刈谷市・碧南市、知立市、高浜市)
衆議院議員 おおにし健介

危険運転は、暴行だ!

2012年06月13日 | 政治
 「危険運転致死傷罪を考える超党派の会」勉強会で、名古屋無免許飲酒ひき逃げ事件の被害者遺族の眞野さん、京都府亀岡暴走事故被害者遺族の中江さんから、お話を聴きました。

 眞野さんからは、危険運転致死傷罪の適用を拡大するための法改正は当然だが、警察の捜査や司法のあり方に対する憤りの声が聞かれました。
 愛知県警は「危険運転致死傷罪の適用を視野に入れて」捜査を行ったと言っているが、遺族が独自に調査すればどんどん警察の捜査とは違う新事実が出てくる。しかし、警察はそうした証拠については見向きもしない。犯人も憎いが、同じくらい警察や司法がに怒りを感じると言われていました。

 大畠会長からは「問題点は明確だ。法改正に向けて議連として具体的な行動をとっていく。」との力強い言葉がありました。
 私もそのとおりだと思います。

 私は、現行法の不備は主には次の二点だと思います。

 第一点は、「危険運転」として明示列挙された酩酊運転、制御困難運転、未熟運転、妨害運転、信号無視運転等の行為類型に当たらなければ、「危険運転」と認定されない。愛知の事件では、無免許・無車検・無保険、飲酒、無灯火、一方通行逆走でも列挙された行為類型に当たらないために、これだけの悪質、無謀な運転が「危険運転」に当たらないことになってしまいます。
 私は、危険運転致死傷罪の法の趣旨は、問題となる運転行為が、人の死傷を生じさせる実質的な危険性において、人に対する有形力の行使であるところの暴行に準じると評価されるから厳罰に処される点にあると考えます。つまり、総合的に判断して、「暴行」に当たると判断できればいいのではないでしょうか。このことを法制局や法務省に言うと、「構成要件を明確にしないと・・・」と反論が返ってきますが、総合的に判断して、人の支障を生じさせる実質的に「暴行」に当たる運転行為が「危険運転」と読めない法律は、やはり法の不備であると言わざるを得ないと思います。

 第二点は、無免許運転をどう考えるかです。亀岡の事件では、少年たちは夜通し暴走行為をしていたことが、かえって「運転技能」を有することになるという常識とかけ離れた判断が行われています。オートマチックの自動車を運転すること自体はけっして難しいことではありません。一度もちゃんと免許を取得していなくても、運転できればOKというのでは何のための運転免許制度なのか分かりません。運転免許証が証明するのは、運転技能だけではなく、万が一事故を起こしてしまった時の救護義務や交通安全についての知識やマナーを学んだということを含んだものです。無免許運転を厳罰化すると、「うっかり失効」などが問題になるという人がいますが、それは上限を引き上げた上で量刑で対応することも可能です。免許を取得したことがない者や違反や事故の累積で免許取り消しを受けた者が無免許運転で重大な事故を起こした場合は厳罰に処すべきです。

 最後に、眞野さんからは「亀岡の事件で、死亡者が3名と発表された。でも、被害者のお腹の中には7か月の女の子がいた。4人じゃないのか?」という悲痛な訴えもありました。また、国家公安委員会から送られた被害者遺族の気持ちを無視するかのような書簡の写しも配られました。被害者の遺族は、捜査の不備に、法律や四方の壁に、心ない言葉や対応に、事故の後も何重にも苦しみを与えられていることを実感しました。

 国民の命を守ることが政治の役割です。法律や制度の不備を正して、二度との同じ悲しみを受けることがないようにするのが法律を作る議員の役割です。私も、この問題に最後まで関わっていきたいと思います。

生活保護制度の見直し

2012年06月07日 | 政治
 最近、人気お笑いタレントの母親が生活保護を受けていたことが大きなニュースとなりました。当たり前のことですが、特定の人を見せしめとして袋叩きにするだけで、制度の見直しに手をつけなければ意味がありません。
 自民党の片山参議院議員は、鬼の首をとったようにテレビ出演をしていますが、生活保護に関する類似の問題は、今に始まったことではなく、自公政権下でもずっと続いてきたことです。社会保障と税の一体改革の国会での議論が行われている中で、国民に税負担をお願いする以上、私も、生活保護のあり方にメスを入れなければ、到底、国民の納得を得ることはできないと思います。自民党や大阪維新の会も生活保護の見直しを提言しており、生活保護の見直しは党派を超えて行うべきことです。

1.制度の厳格な運用
問題のタレントの母親は生活保護を受ける際に福祉事務所と相談をし、手続きを行っており、扶養義務者である息子による扶養の可否の調査を役所が正しくしていなかったことになります。
 この点、政府も扶養義務を果たさない親族に対して理由を説明することを義務付けるよう法改正を検討するとともに、扶養可能な親族には必要に応じて保護費の返還を求める方針です。また、申請者や扶養義務者の収入や資産を正確に把握するために金融機関に対して本店に照会すれば全国の口座状況を確認できる「本店一括照会」の実施を要請しています。生活保護を受けていながら、ベンツを乗り回しているとか、働けないはずなのに毎日パチンコ屋通いしているなどはもっての外です。最近では、暴力団関係者への対応や身元照会に慣れた警察OBを生活保護対応の職員として採用する自治体も増えています。不正受給が起きないように厳格な運用を求めていきたいと思います。
 ただ、現場からは、ケースワーカー1人が受け持つ世帯数が100世帯を超えている自治体も多く、手が回らないとの声もあがっています。さらに、貧困に陥っている人には、長い間家族との連絡を絶っているとか、家庭内暴力や虐待から逃れて来たケースも見られ、課題も残ります。


2.医療扶助の見直し
 2012年の生活保護費の国家予算は3.7兆円にものぼりますが、実はその半分が医療費です。そして、生活保護受給者がタダで手に入れた睡眠薬などがネットや路上で販売されるという悪質な事例も報告されています。大阪だけで、患者全員が生活保護受給者という病院が30以上もあり、必要のない検査や投薬を行っていることが分かっています。レセプトをチェックして、生活保護受給者を食い物にしている医療機関は厳しく取り締まるとともに、私は少額でもいいから自己負担を求めるべきだと思います。この点、政府は過剰な受診等の疑いがある場合には他院での受診を命じ、従わない場合は保護を打ち切ることも検討しています。
 ただし、日本の場合は、生活保護受給者の半分が60歳以上の高齢者で、医療扶助の半分は精神疾患関連の入院費という構造上の問題があります。これは、公的年金や精神障害の制度の不備が生活保護にしわよせされていると見ることもできます。

3.「入りやすく出やすい」制度に
 よく生活保護制度は、「入りにくく出にくい」制度だと言われます。不正受給が後を絶たない一方で、本来、生活保護の受給要件はハードルが高く、現代社会の現実と合っていない部分もあります。例えば、生活保護を受けるには原則、車は持つことができません。しかし、地方では自動車は就職活動にも通勤にも欠かせないのが現実です。
 「出にくい」という点では、いったん保護を受ければ、生活費の支給基準は地域によって異なりますが、東京23区に住む夫婦と子供3人の世帯のケースでは月17万円に家賃補助を加えた費用が支給されます。高い給付水準が働く意欲をそいでいるとの批判もあります。この点についても、生活保護を得ている人が働いた場合、収入の一部に相当する保護費を積み立てておき、自立後の生活費に充てる制度も検討されています。
あくまで、生活保護は一時的なものであって、本来は、早く生活保護から抜け出して自立してもらうことが前提です。しかし、自立を促す、就労支援が十分でない一方で、給付水準が高いことが生活保護を「出にくい」制度にしてしまっています。私は、給付水準の見直しや一部現物支給も検討の余地があると思っています。

 いずれにしろ、生活保護制度が始まって60年が経ち、家族のありようも大きく変わりました。2030年には男性の3人に1人が生涯未婚、また、離婚などの増加により、子どもを持つ世帯のうち3世帯に1世帯がひとり親世帯になると言われています。議論の発端となった扶養義務という考え方が成り立たなくなっている現実社会の姿があります。芸能人をたたいてカタルシスを得るだけではなく、時代の変化にあわせた生活保護制度の抜本的見直しを行わなければ意味がありません。

「國酒」を国家戦略として推進!

2012年06月01日 | 政治
 私は、2月15日の予算委員会で、「國酒」を採りあげ、酒どころの東北の被災地を応援するためにも、また、日本が誇る食文化の日本酒を振興するためにも、税金で行う国の公式行事等では、乾杯等で日本酒を積極的に使うよう提案しました。かつて、大平内閣で、日本酒を「國酒」として、各省に日本酒の消費を奨励するよう閣議で了解した例があります。酒税を所管する安住財務大臣も、ガイトナー財務長官に日本酒をプレゼントしたエピソードを紹介しつつ、日本酒や焼酎を政府としても盛り上げていきたいとの答弁をいただきました。

 そんな中、私の質問がきっかけになったのかどうかは分かりませんが、政府は、去る5月28日、「ENJOY JAPANESE KOKUSHU(國酒を楽しもう)推進協議会」の第一回会合を開催し、古川国家戦略担当大臣が先頭に立って、日本酒、焼酎などの國酒の魅力を発信していくことを発表しました。

 最近では、韓国で日本酒ブームが起きていると聞きます。一方で、中国で「森伊蔵」が勝手に商標登録されてトラブルになっているというニュースもありました。私は、ワシントンの日本大使館で米国議会対策をを担当していました。アイルランド大使館が米国議会の近くのバーを貸し切って、アイリッシュモルトウィスキーの試飲会を開いて、若い議会スタッフに好評だったのも見て、日本大使館でも日本酒のイベントを行ったことがあります。ワインがそうですが、私は、國酒のブランドを確立すれば、日本にとってのよいツールになると思っています。早速、5月18日には、古川国家戦略担当大臣名で外務省に対して、「在外公館、飯倉公館等における國酒の一層の活用促進について」という要請を発出していただきました。

 「國酒なんて言ってないで、もっと大事なことをやれよ」とのお叱りがあるかもしれませんが、私は、どんな小さなことでも国会議員として行動したことが結果に結びついたことは、いいことだと思っています。

【書評】雑巾がけ

2012年05月22日 | Weblog
「雑巾がけ 小沢一郎という試練」 石川知裕・新潮新書

 読んでいて、「あるある」と、共感するところが多かった。私も立候補をする前に、馬淵澄夫代議士の秘書をしていた。ある時期は、一日の中で夫人よりも長い時間を馬淵代議士と過ごしていた。もっとも、私が秘書をしていたのは3年ほどだし、代議士も私のことを地元秘書に比べれば、ずっと優しく扱ってくれたので、私が「雑巾がけ」なんて言うのはおこがましいが、秘書経験者としては石川代議士の気持ちはよく分かるし、自分も代議士となった今、「秘書道」とも言うべきこの本の内容をうちの秘書にも、ぜひ、読んで欲しいと思う。

 私は、秘書をしていた時に周りの先輩秘書を見ていて、思っていた「よい秘書の必須条件」、それは、ボスへの思いが強いことと、「先読み」して仕事ができること。石川代議士は、そのどちらにも当てはまる。石川代議士は、高校生からの小沢ファンで、スーパーチルドレンだと自称する。小沢さんを心から尊敬しているのが、よく分かる。しかし、盲目的に礼賛しているのではない。本書には、小沢さんの「ダメ」なところも書いてあるし、心の中で小沢さんに対して「おい、おい。」と突っ込みを入れている場面が何度も出てくる。その気持ちは秘書経験者として、すごくよく分かる。これから修業する人へのアドバイスにある「政局に予定を入れない」というのは、まさに「先読み」そのものである。
 小沢さんの前では、妙に緊張することや、自らの立候補についてボスの了解を得る時のボスとの微妙な関係なども自らの体験と重ねて読ましてもらった。

 もう一つ感じたのは、小沢さんと馬淵の共通点である。石川代議士が小沢さんに魅かれたのは「強さへのあこがれ」だと書いてあるが、最近は、「父性」を感じさせる政治家が少ない気がする。野党時代の小沢代表のポスターに、たしか「日本のオヤジ、動く。」といったキャッチコピーのポスターがあった気がする。小沢さんは、まさにこわいオヤジのイメージだ。馬淵は、私生活でも6人の子供の父親で、現代風のパパの優しさもあるが、怒ったら、こわいオヤジだ。私も自分にないその力強さ、「父性」に魅かれてついてきた。

 実は、馬淵自身も雑巾がけの経験がある。馬淵は、「丁稚奉公」と言うが、修業時代の思い出話を秘書をしていた時に、よく聞かされた。馬淵がオヤジと呼ぶ投資家に、草刈りや運転手から始めて、商売のイロハを叩き込まれたこと。本書では、これから修業する人へのアドバイスとして「物の頼み方、頼まれ方」ということが書いてあるが、馬淵は、オヤジから、「金の払い方、受け取り方」を教えられたと話してくれた。同じ支払いをするにも、あり難く受け取ってもらう払い方があるし、反対に気持ちよく支払いをしてもらう金の受け取り方があると言う。馬淵の運転手から、「おやじ」に認められて、30代で上場企業の役員に抜擢されるまでの話は、さながら秀吉の「信長の草履とり」の逸話のようだ。最近では、「松下政経塾出身者が日本の政治を悪くしている」という声まであるが、政経塾出身の政治家に共通するのは、若くて、政策通だが、世間知らずで、人の気持ちが分からないという批判だ。私が馬淵代議士に天下をとらせたいと思うのは、民主党の若手政治家の中で、実社会での経験が豊富で、雑巾がけも、落選も経験していて、「日本を良くするのは馬淵だ」と思うからだ。

 石川代議士も、「おわりに」で、逮捕された今でも小沢さんについていく理由を問われれば、現在の政治家の中で最も政策がよく、実行力があり、「日本を良くするのは小沢さん」と思うからだと述べている。秘書だったからではなく、客観的に、日本のためにそう考えているところが、私の馬淵に対する想いと近い気がする。さらに、続けて、「人柄」や「清廉さ」こそが、もっとも重要だと言わんばかりの世論には戸惑うと述べている。「人柄がいいが無能な社長」より「独善的だが有能な社長」を選ぶのは当然だという石川代議士の主張は、実は、私が辿り着いた「小沢一郎論」とまったく同じだ。
 私の支援者の中にも小沢さんが好きな人と大嫌いな人がいる。大嫌いな人の主張はこうだ。政治は「信なくば立たず」だ。カネの問題で国民の信頼を失った人間がリーダーになる資格がないというものだ。私は、これも一理あると思う。一方では、「清濁併せ飲む」のが政治家だ。「クリーンだけど能力のない政治家」より「グレーだけど実力のある政治家」に任せるのが当然じゃないかという声も理解できる。当たり前だが、クリーンで実力があれば、それが一番いいに決まっている。だから、私は排除するのではなく、小沢さんの「実力」をうまく使えばいいと思うし、一方で、法的にシロかどうかは別にして、現在の国民世論では、表の顔になるのは難しいと思っている。

 最後に、私も、辞めて公募に応募する許しをもらった時に、馬淵から「お前もまだまだだな、だけど、まぁ、がんばれ」みたいなことを言われた気がする。この本を読んで、石川知裕衆議院議員という人物そのものに関心が湧いた。実は、以前にこのブログに「悪党」の感想を書いたら、議員会館のエレベーターで石川代議士に会った時に「ブログ読みましたよ。感想を書いていただき、ありがとうございます。」と丁寧に挨拶されて、驚いたことがある。なかにはエレバーターで会って挨拶しても返事もしない議員がいる中で、この辺は、まさに雑巾がけで人間ができているかどうかの差だと思う。

小沢元代表の無罪判決に寄せて

2012年04月26日 | 政治
小沢氏に無罪判決 陸山会の土地取引事件 東京地裁(朝日新聞) - goo ニュース

小沢元代表の無罪判決を受けて、各局は競って、このニュースを大々的にとりあげて、「今後の政局への影響云々」と騒ぎ立てている。私は、何か虚しい思いがしてならない。それは、所詮、「政局」への影響であり、多くの国民の暮らしとは関係のないことである。

マスコミも、永田町も、「小沢!小沢!」と騒ぎすぎで、一期生の私としては、小沢を軸にしか政治を語れないマスコミにも、永田町にもうんざりというのが正直な感想だ。
私は、小沢一郎という政治は、すごい人だとは思う。しかし、70歳を過ぎた政治家に、過度に依存することも、過度に怯えることも、もういい加減にした方がよいと思う。

私は、国民が抱く民主党のもともとのイメージは、松下政経塾出身者に代表される若くて、政策通の代議士のイメージだと思う。しかし、そこには、反面、ひ弱さ、未熟さがあったことも事実だ。政治は、正しいことを訴えていれば国民はついてきてくれるというような甘いものではない。小沢一郎は、民主党に、権力を奪取すること維持することの厳しさ、選挙重視という異質のカルチャーを持ち込んだ。私たち、一期生は、小沢幹事長の下で選挙に勝ち上がった、いわば、オリジナル民主党と小沢イズムのハイブリッドなのだ。だから、小沢さんを必ずしも排除しない。反小沢と親小沢という党内の対立はもうたくさんだ。これは国民にも共通する思いではないか。

私は、控訴がないなら、執行部は小沢氏に謝った上で、党員資格停止処分は解除すればよいと思う。一方で、もう、いい加減に、小沢さんに依存したり、小沢さんに怯えたりする政治はやめよう。元秘書である石川知裕代議士も自らの著書「悪党 小沢一郎に仕えて」の中で「『小沢頼みから脱却しなければならない』よく仙谷さんはこう言っている。確かにそうである。我々一人ひとりの政治家は自分自身の考え方をまとめ小沢一郎への依存から脱却し自ら政策を掲げ、それが日本の指針となるような、または対立軸となるようなものを作り上げなければならない時期に来ている。」と書いているが、まったくそのとおりである。

私、個人は、次の選挙で民主党は「元総理と立候補時に70歳を超えている者は公認しない」とすべきだと思う。これが意味することは、鳩山、菅、小沢は、民主党が公認しないということだ。小泉さんは、中曽根、宮沢という元首相に引導を渡した。自民党にも「70歳以上ベテランや元総理にはもう退場願いたい」と思っている若手は多いのではないか。それくらい、過激なことをしないと政治は変わらないのではないかと思う。