人だすけ、世だすけ、けんすけのブログ

愛知13区(安城市・刈谷市・碧南市、知立市、高浜市)
衆議院議員 おおにし健介

「人間だから絶望するし、人間だけが希望を持つ。」

2012年07月13日 | Weblog
京都大学法学部の同窓会、有信会の東海支部総会に出席しました。
記念講演として、京大霊長類研究所の松沢教授の「想像するちから チンパンジーが教えてくれた人間の心」という話を聞きました。
松沢教授が育てたチンパンジーのアイは、文字や数字を理解するチンパンジーとして有名ですが、その息子のあゆむも数字を理解します。画面にランダムに現れた1~9までの数字を正確な順序でタッチすることができます。驚くべきは、その先です。一旦、画面に現れた1~9の数字が0.2秒で消えても、やはり、正確に1から順番に数字が現れた場所をタッチしていきます。動画で観ましたが、そのスピードには驚きます。4歳のチンパンジーにできることが私たち人間にはできないのです。このチンパンジーの能力を学術的には、直観像記憶と言うそうです。
別の実験では、目や鼻や口を消した似顔絵に人間の幼児は、目鼻口といった部位を書きこむのに対して、チンパンジーは輪郭などの線をなぞるだけです。
つまり、猿と人間の違いは、猿は、今、そこにあるものを見て、人間は、今、そこにないことを考えるのです。この想像する力こそ、人間と猿を分けるものなのです。チンパンジーは、明日のことは考えないので、絶望することもないし、反対に、希望を持つこともありません。人間は、想像するからこそ、絶望もするし、希望も持つのです。
深イイ話です。

【書評】日本人だけが知らない 世界から絶賛される日本人

2012年07月10日 | Weblog
「日本人だけが知らない 世界から絶賛される日本人」
 黄 文雄 著
 徳間書店


 私は、昭和46年生まれで、大学を卒業して社会に出たのが平成6年です。その頃には、すでにバブル経済は崩壊していましたが、高校生や大学生の頃、バブルの残り香を感じることができましたし、ジャパン・アズ・ナンバーワンと言われて、日本が、日本人が自信に満ち溢れていた時代をかろうじて知っている世代だと思います。しかし、私たちの世代より少し下の世代は、もの心ついた時には、日本はすでに不況で、元気な日本、世界が羨む日本なんて想像がつかないという世代なのです。
 私は、日本の社会構造のさまざまな問題の根底には、高度成長期世代とバブル世代とロスジェネ世代の価値観の溝があるような気がします。

話がそれましたが、そんな自信が持てない今の日本の若者に読んで欲しいのが、この本です。私は、正直に言うと、いわゆる、ネット右翼に代表されるような排他的で、自分と違う考え方や自分とは異なる人の立場を尊重しない人は苦手です。しかし、この本は、そういう特定の価値観を押しつけるような雰囲気を出すことなく、日本人の持つ美徳を代表する多くの人物をいくつかのカテゴリーに分けてうまく紹介しています。日本人自身ではなく、「 外国人が絶賛する」という第三者の視点をとっているからだと思います。著者の黄氏は、戦前の日本の教育を受けた台湾人です。戦後の日本人が忘れてしまった日本人の美徳をこうして、台湾人が紹介しているのも皮肉な気がします。

たとえば、岩国沖で沈没した潜水艦の佐久間艇長の話。欧米では、同様の事故が起これば、パニックになった乗務員がハッチに殺到するのが普通だそうですが、佐久間艇長以下、14名は最後まで任務についたままの姿勢で息絶えていたのです。それどころか、酸素がなくなり、意識が遠のいて行く中で、佐久間艇長が残した遺書には、事故についての陛下への謝罪、最後まで冷静沈着だった部下への労い、そして、事故が原因で今後の潜水艦の技術発展が停滞することへの憂いまでが書かれていたというから驚きです。東日本大震災では、日本人がパニックを起こすことなく、助けあう姿が世界の感動と驚きを呼びましたが、それは、私たち日本人に佐久間艇長の精神が流れているからに他なりません。

海軍軍令部総長永野修身の次のような言葉にも考えさせられました。

「戦わざれば亡国必至、戦うもまた亡国を免れとすれば、戦わずして亡国にゆだねるは身も心も亡国であるが、戦って護国の精神に徹するならば、たとい戦い勝たずとも祖国護持の精神が残り、われらの子孫はかならず再起三起するであろう。」

私もいわゆる自殺戦術を肯定するものでもないし、多くの未来ある若者が特攻で命を散らしたことは、痛ましく思います。しかし、この言葉には強く心を打たれました。自ら捨石となっても大和魂を子孫に残すというこの精神を我々、政治家は持たなければならないと思いました。



【書評】トラオ 徳田虎雄不随の病院王

2012年07月06日 | 書評
「トラオ 徳田虎雄 不随の病院王」
 青木 理 著
 小学館 刊


 「週刊ポスト」に連載された記事を加筆・修正したものだが、週刊誌に連載されていた時にも気になっていたが、読んでいなかったので、手に取った。

 私は、子どもの頃から伝記が好きだ。また、(こう見えて?)人間が好きだ。だから、政治をやっている。政治や選挙は、人間が好きな人でないとできないと思う。過去にも、時々、世襲議員が「自分はこの世界には向かない」とあっさり引退してしまうことがあるが、政治家はとにかく人に会うのが仕事だ。人間の本性がむき出しになる政治や選挙は、人間好きな人でないと、嫌でしかたないだろうということは想像がつく。私の周囲にもとにかく面白い人、普通にサラリーマンをしていたのでは絶対会うことがないような個性的な人がたくさんいる。そして、そういう人々に支えれれている人も普通ではない人が多いかもしれない。私は、そういう「濃い」人々の中では、すごくノーマルだと自分では思っているが、うちの家内に言わせると「あなたも十分に変わっている」と言うが、そういう私と結婚する家内も人のことは言えない。

 話はそれたが、徳田虎雄氏は、そういう「濃い」人が多い政界の中にあって、まちがいなく、群を抜いた奇人、怪人と言える。「保徳戦争」と呼ばれる保岡興治代議士との激しい選挙戦や日本医師会との対立をめぐるエピソードには、常識人からすると眉をひそめたくなるような話も枚挙に暇がない。一方で、ALSという不治の病を患う徳田氏に涙を流す石原都知事や絶対の忠誠を誓う徳州会グループの人々のように徳田氏のエネルギーとその人間的魅力に惹きつけられる人も多い。そして、全身の筋肉が動かなくなって、眼球で意思を伝えることしかできなくなった今もなお、巨大、病院グループの経営を実質的に差配し、普天間移設問題でもその存在感を示すというのは、まさに、怪人と言える。

 私も、どちらかと言うと、こういう「濃い」人に魅かれるところがある。健康で、衆議院議員をされている時に、一度、お会いしたかったものだと思う。

 かつて、私は、小沢氏についても似たようなことを書いたことがあるが、政治をやっていると、目的と手段の関係と言うことを考えさせられる場面がある。「目的のためには手段を選ばない」という表現があるが、政治の世界は「結果がすべて」とも言われる。きれいごとを言っていても、選挙に落ちたら終わり、政権をとらなければ理想や政策も実現できない。一方で、権力奪取は、あくまで、理想の実現のためであり、それを失ったしまっては、政治家は、政治家ではなく政治屋に成り下がってしまう。「政治屋は次の選挙を考え、政治家は次の世代を考える」という言葉もある。

 この点、本書のエピローグで徳田氏の秘書が興味深いことを語っている。

 「理事長の場合、目的が正しければ、その手段もすべて正しいんです。一般的には間違っていると言われるようなことでも、正しい目的を成し遂げるためなら、そのために使った手段もすべて正しくなてしまうんですよ(笑)」

 もちろん、私はこの徳田イズムを全面肯定はしないが、こう考えると、徳田氏の奇行や常人には理解しがたい行動もある部分で筋が通っているようにも思えてくる。そして、徳田氏にとっての目標は、徳之島に生まれ育ち、病気で弟を失った原体験と「命だけは平等だ」というスローガンの下に、困っている人を救うために、離島に、そして、世界中に病院をつくることであり、政界進出もその手段だったのだ。

 

社会保障と税の一体改革関連法案の採決について

2012年06月26日 | 政治
 26日の衆議院本会議で行われた社会保障と税の一体改革関連法案の採決は、与党から57名もの造反者が出た異例の採決となりましたが、私は、賛成票を投じました。
 支援者の皆さまからも、選挙区内の有権者の皆さまからも反対の意見もいただきました。私も、そのお気持ちはよく分かります。しかし、反対の方々も「社会保障のためにいつかは消費税率を引き上げなければならない」ということに異論を唱える方はほとんどおられないと思います。ただし、「なぜ、この景気の悪い今、やらなければならないのか?」、「増税の前にやることがあるのではないか。」とタイミングや手順に疑問を感じておられるのではないかと思います。私も「消費税率引き上げが最優先課題なのか?」、「政治生命を賭けるならもっと他にやることがあるのではないか。」という気持ちはあります。タイミングや手順が間違っているとの批判に対して、我々は、まず、素直に謝らなければならないと思っています。
 しかし、私は、賛成票を投じたということは、税率が5%から8%に引き上げられるまでの間に、議員定数の削減を含む行革を実行すること、税率引き上げに耐えうるよう経済状況を好転させることについて重たい十字架を背負ったのだと思っています。たとえ、法案が成立しても、2014年4月に税率引き上げを実行するのは、時の政権与党であり、それを最終決定するのは時の首相であり、その前に、遅くても2013年8月には我々は総選挙という国民の審判を受けます。もし、税率引き上げ時点で、定数削減も経済状況の好転もできていなければ、国民は税率引き上げを許してくれないでしょうし、税率引き上げは実行できないと私は考えます。賛成票を投じた一人一人の議員はもちろん、そして民主党だけでなく、三党合意に参加した自民党、公明党は、協力して、定数削減と経済状況の好転を実現する重い責任があることを自覚すべきです。ちなみに、採決の当日、議院運営委員会での多数決で、議員定数80削減を2回に分けて実行するための小選挙区5、比例40の定数削減を行う内容の法案を委員会に付託して審議に入ることを決めました。
 増税の前にやることがあると主張して反対した与党の議員に「では、貴方たちは、そのために必死の努力をしてきたのか。」と問いたい。また、私たちは、野党ならば「私たちは最後まで反対したが、与党に押し切られてしまった。」で済むのかもしれません。しかし、私たちは与党である以上、野党に譲っても、私たちが目指した百点満点の姿からは大きく後退してしまったとしても、決めて、前に進めることが必要なのではないでしょうか。半歩前進、いや半歩にもなってないかもしれませんが、前に進めることです。そして、今回は落第点かもしれませんが、旗を降ろした訳ではないのですから、私たちの目指す百点満点の姿に引き続き努力をすればよいのです。
 先日の調査で野田内閣は、発足以来、最低の支持率を記録しました。しかし、民主党の政党支持率は、その半分に過ぎないことを我々は重く受け止めるべきだと思います。それは、党内がバラバラで、足の引っ張り合いを続けている姿に国民が愛想をつかしていることの表れだと思います。一般の企業でも、どんな組織でも、個人としては異論があっても、組織の決定には従うのが当たり前です。どうしても従えない人は組織を去らなければなりません。ただし、それは、組織の決定が皆の納得が得られるような手続きの中で行われたことが前提になります。この点において、民主党の党内の合意形成のあり方は、与党として、あまりにも稚拙であったことは否めません。
 私は、採決には賛成しましたし、今のところ離党をする気もありません。しかし、解党的に出直しをしなければ、この党に未来はないという強い危機感を抱いています。自分も党の解体的出直しのために進んで発言、行動していきたいと思います。

150日間の会期末を迎えて

2012年06月21日 | 国会
 本日、150日間の通常国会の会期末を迎えました。会期は、9月8日までの79日間の延長となりましたが、これから数日間の間には、社会保障と税の一体改革についての採決を迎えることになると思われます。党内には、造反や欠席の動きもあり、緊迫した状況が続いていますが、私自身の姿勢と考えを150日間の会期の会期末という節目に表明しておきたいと思います。
 結論から言うと、私は、今回の採決には、当たり前のことですが、粛々と賛成いたします。
 私も白地で言えば、正直、「消費税引き上げは近い将来に避けて通れないことだが、今、やるべきことなのか?政治生命をかけるなら他にもっとやることがあるだろう。」と思います。しかし、ここまで来て、三党合意を反故にする選択肢は現実的にはないと思います。もし、そんなことをすれば、民主党は公党として信頼を失い、今後の国会運営はもちろん、「民主党と話をしても信用できない。」ということになってしまいます。また、財政再建に向けた姿勢に関する政治への失望感がマーケットに与える影響等も無視できないと思います。
 野党であれば「自分たちの主張を最後まで貫いたけど与党案が通ってしまいました。」で済むかもしれませんが、与党として「自分たちの主張が通らないので交渉は決裂しました。」では済まされません。物事を前に進める責任があります。考えてみれば、自民党単独政権の下、衆参両院で過半数を制していて、野党はとにかく反対し、与党案がそのまま通るという従来の日本の政治の方が稀で、議会政治では、与野党が互いに妥協して成案を得るのは普通のことで、とりわけ、この「ねじれ国会」の下では当然とも言えます。100点満点は無理でも、50点でも40点でも、0点でないことが必要だと思います。半歩前進になるのか、30㎝前進になるのかは分かりませんが、ここまで来て、「決められない政治」を露呈することは許されないと思います。
 党内の議論でも「消費税引き上げはマニフェスト違反」だという議論がありました。この点、たしかに、マニフェストでは、四年間は税率の引き上げは行わないと書いている以上、その誹りはまぬかれないとは思います。しかし、実際の引き上げ時期の前に我々は総選挙による国民の審判を受けます。また、たとえ法案が成立しても、実際に税率の引き上げを決めるのは、どこまでいっても時の政権でしかないのです。
 報道等では社会保障に関するマニフェストの内容をすべて捨て去り、税率引き上げだけが残ったかのように言われていますが、私は、必ずしもそうではないと受け止めています。社会保障以外の部分でも景気条項に具体的な成長率を明記することなどは、よく守ったと評価してもよいと思います。最低保障年金を含む年金制度の抜本改革について、自民党は撤回を要求していました。マスコミは「棚上げ」と批判しますが、我々は少なくとも旗は降ろしませんでした。妥協をした部分についても、ここで終わりではなく、今後の政治状況や経済財政状況の変化を見つつ、さらに我々の目指すところに近づくよう努力すればよいのです。たとえば、パート労働者の厚生年金加入についても、まず、法案提出段階の党内の議論の中で対象が当初の案より大幅に減って75万人となり、三党合意で更に絞られて25万人にりました。大幅な妥協ですが、それでも自公政権時代の案よりも対象は拡大しています。 今後の政治状況の中で私たちが理想とする姿に近づけられるように、更に拡大に向けて努力すればよいのです。

 私は、マニフェストについて、現時点で100点なら守れた、40点なら守れていないと判断することは、あまり意味がないと思います。「マニフェストの呪縛」が政治に混乱を呼んでいる部分があります。私は、東日本大震災が起きた直後に、マニフェストについて守れたこと守れなかったことをしっかりと検証して、謝罪した上で、マニフェストを全面的に見直すべきだったと思います。マニフェストの本場のイギリスでも経済状況等の変化に応じてマニフェストは毎年見直すのが当たり前だと聞きます。また、英国でもマニフェストが与党の思いどおりに実現せず、議会での審議を通して修正されるのは当然のことと受け止められているそうです。

 最後に、私は、採決には賛成しますが、党内手続きには強い違和感を感じています。民主党は、これまでも素案、大綱、法案提出という社会保障と税の一体改革だけでなく、TPPへの交渉参加問題などでも党内での意思決定の稚拙さをさらけ出してきましたが、今回も同じことが繰り返されたことは情けなく、残念でなりません。
政調合同部会も昨日の両院議員懇談会も執行部が何を目指して、どのようなクロージングを想定して会議を開催しているのかが、さっぱり分かりません。失礼ながら場当たり的で、また、反対派や慎重派を本気で説得しようという意欲も感じません。ガス抜きのつもりかもしれませんが、ガスは抜けるどころか充満し、党内の亀裂は深まるばかりです。あんな終わり方なら、長時間、罵り合うことを避けて、もっと早く押し切った方がよいくらいです。
 私は、何人かの議員が提案していたように、両院議員総会で、正々堂々と採決するのが一番スッキリするやり方だと思います。執行部は、個別の政策の賛否は両院議員総会ではなく政調部会で議論すべきだと主張しています。私も法案提出について政調会長一任で決めたことはそれでよかったと思います。しかし、三党合意は、党内だけの問題ではありませんし、もはや個別の政策を超えて党運営の根幹に関わる問題になっていることは誰の目から見ても明らかだと思います。また、採決について党議拘束をかけるならば、それなりの手続きが必要だと思います。党規約に基づく規定の人数を超える議員から開催要求が出ている以上、両院議員総会を開催して、そこで、採決をすればよいのではないでしょうか。多数決で承認されれば、その結果には、反対の人も従うべきだし、党議拘束をかけた上で造反すれば処分も受けるのは当然です。反対に、党内で過半数の賛同を得られないものを強行するのは、正当性はありません。執行部もそれくらいの自信はもってなければ嘘です。

 皆さんがお感じのように、今の民主党はダメです。今の政治もダメです。しかし、私はあきらめません。だからこそ、自分たちの手でよくしていかなければならないという使命感をあらたにしています。今後、79日間の延長の中で、いろいろな厳しい場面も予想されますが、自分の考えをしっかりと持って、恥じることのない行動をとっていきたいと思います