11月19日、79回目の「火曜日行動」です。
今日も感動的な出来事が多々ありました。
韓国からの留学生、東京から金さんご夫婦が2度目の参加をされました。100人力でした。
11時半からは補助金問題の裁判を傍聴し、その後大勢の方々が府庁前に集まりました。
裁判所前です。今日も朝早くから裁判を傍聴するため大勢の日本の方々と同胞の方々が集まりました。
裁判自体は20分程度で終わりますが、そのあとにいつも弁護士会館前で丹羽弁護士はじめ弁護団側からの内容報告があります。しかし今日は「火曜日行動」の日なので、私は傍聴だけして、そのまま府庁前に自転車で走りました。途中で自転車がパンクしていることを感じましたが、とりあえず行かなければならないので、自転車を酷使しながらそのまま走り続けました。
裁判所から府庁前まで地下鉄を乗り継ぎ歩けば30分以上かかりますが、自転車だと15分もあれば到着します。
12時15分ごろ遅れて到着しましたが、長崎さんの旦那さまや一部の方々が裁判には行かず、この場所を確保して下さっていたので、無事始まっていました。
昨年4月17日から始まりました「火曜日行動」は、弁護士、朝鮮学校関係者、朝鮮学校を支援する会、日本の大学教員らの共同団体である「朝鮮高級学校無償化を求める連絡会・大阪」が主催している行動です。
基本メンバーは日本の方々ですが、私たち同胞も自分たち自身の問題なので一緒に行動しているのです。この長い「行動」の中で「心友」は日ごと増えて行き、固い絆で結ばれていっています。
金さんご夫婦です。
金さんご夫婦は2度目の参加です。1度目の時は中大阪のウリハッキョも訪問され「民族教育歴史資料館」も訪ねられました。
2011年7月に、震災後初めて東北のウリハッキョでのチャリティコンサートを行った時もご夫婦で参加してくださいました。
昨年の11月10日、朝鮮大学校でのシンポジュームに参加したときも、帰り道、国分寺駅前の喫茶店でお誕生日を祝ってくれました。
丁度その日から1年が過ぎたのです。時の流れはまこと流水の如しです。
実は金さんとは20数年前、文通をしておりました。彼が発行した南の長期囚を描いた作品(イムスギョン統一文学賞受賞)に感動した私が一方的に感想文を送ったのですが、彼は丁寧とはお世辞にも言えない走り書きのような字で、こまめに返事を送ってくれました。
ある年、学生たちの口演大会が朝鮮大学で行われたとき、学生たちを引率して朝鮮大学を訪ねた私は、金さんと初めて講堂の中で5分ほどお会いしたのですが、まるで大学の教授のような風格があり近寄りがたい雰囲気がありましたが、今は打ち解けて義兄弟のように親しくなりました。
「ヌナ」(お姉さん)、「トンセン」(弟)と呼び合っています。彼は今「朝鮮学校のある風景」という冊子を作り続け、民族教育の歴史を残していこうと頑張っています。応援よろしくお願いします。
「火曜日行動」に毎回欠かさず参加されている宋さんです。今朝、裁判所に向かう時、4人がある場所で待ち合わせをしたのですが、おひとりの年配の方が約束の時間が5分を過ぎても来られませんでした。裁判の傍聴に遅刻するわけにもいかず、ひょっとしたら前回のように、息子さんが車まで送って下さっているのかも知れないと勝手に思うことにし、やむなく出発したのですが、北浜あたりに到着し裁判所が目の前だというところで、その方から電話があり、今、待ち合わせ場所にいるというのです。
一瞬どうした物かと考えましたが,宋さんが「自分が迎えに行くので二人は先に行ってください」というのです。
申し訳ない気持ちでいっぱいでしたが、「若い人が頑張ってね」、なんて無責任なことを言って送りました。
嫌な顔一つせず、また元来た道を引き返す彼女の後ろ姿を見ながら、本当に胸が熱くなりました。(結論的に裁判には間に合いました。本当にご苦労様でした。)
素朴で、純粋で、良く働く彼女は1児のオンマでもありますが、教職に就いている旦那様を支え、子育てしながらも、日夜同胞のために働く素敵な女性です。
今日も三重奏が道行く人々を惹きつけてくれます。行動参加者たちには元気をくれます。
韓国からの留学生です。長崎さんの講演を聞いて今日参加したそうですが、本当に可愛い方です。この前は労組の方々が来られ歌を歌ってくれましたが、彼女は力強い連帯の挨拶と爽やかな笑顔を残して行きました。
「行動」後長崎さんが裁判の経過について分かりやすく報告してくださいました。次回は1月23日に行われるそうです。
私は今日、裁判傍聴されている中心メンバーが帰ってくるまでの繋ぎとして、高校生たちが書いた詩を何作か朗読し、最後にはいつものように「火曜日行動の歌②-この坂を上れば」を皆と一緒に大きな声で歌いました。
大阪城公園内をいつもの逆方向から帰りました。
来週も頑張ります。
今日も感動的な出来事が多々ありました。
韓国からの留学生、東京から金さんご夫婦が2度目の参加をされました。100人力でした。
11時半からは補助金問題の裁判を傍聴し、その後大勢の方々が府庁前に集まりました。
裁判所前です。今日も朝早くから裁判を傍聴するため大勢の日本の方々と同胞の方々が集まりました。
裁判自体は20分程度で終わりますが、そのあとにいつも弁護士会館前で丹羽弁護士はじめ弁護団側からの内容報告があります。しかし今日は「火曜日行動」の日なので、私は傍聴だけして、そのまま府庁前に自転車で走りました。途中で自転車がパンクしていることを感じましたが、とりあえず行かなければならないので、自転車を酷使しながらそのまま走り続けました。
裁判所から府庁前まで地下鉄を乗り継ぎ歩けば30分以上かかりますが、自転車だと15分もあれば到着します。
12時15分ごろ遅れて到着しましたが、長崎さんの旦那さまや一部の方々が裁判には行かず、この場所を確保して下さっていたので、無事始まっていました。
昨年4月17日から始まりました「火曜日行動」は、弁護士、朝鮮学校関係者、朝鮮学校を支援する会、日本の大学教員らの共同団体である「朝鮮高級学校無償化を求める連絡会・大阪」が主催している行動です。
基本メンバーは日本の方々ですが、私たち同胞も自分たち自身の問題なので一緒に行動しているのです。この長い「行動」の中で「心友」は日ごと増えて行き、固い絆で結ばれていっています。
金さんご夫婦です。
金さんご夫婦は2度目の参加です。1度目の時は中大阪のウリハッキョも訪問され「民族教育歴史資料館」も訪ねられました。
2011年7月に、震災後初めて東北のウリハッキョでのチャリティコンサートを行った時もご夫婦で参加してくださいました。
昨年の11月10日、朝鮮大学校でのシンポジュームに参加したときも、帰り道、国分寺駅前の喫茶店でお誕生日を祝ってくれました。
丁度その日から1年が過ぎたのです。時の流れはまこと流水の如しです。
実は金さんとは20数年前、文通をしておりました。彼が発行した南の長期囚を描いた作品(イムスギョン統一文学賞受賞)に感動した私が一方的に感想文を送ったのですが、彼は丁寧とはお世辞にも言えない走り書きのような字で、こまめに返事を送ってくれました。
ある年、学生たちの口演大会が朝鮮大学で行われたとき、学生たちを引率して朝鮮大学を訪ねた私は、金さんと初めて講堂の中で5分ほどお会いしたのですが、まるで大学の教授のような風格があり近寄りがたい雰囲気がありましたが、今は打ち解けて義兄弟のように親しくなりました。
「ヌナ」(お姉さん)、「トンセン」(弟)と呼び合っています。彼は今「朝鮮学校のある風景」という冊子を作り続け、民族教育の歴史を残していこうと頑張っています。応援よろしくお願いします。
「火曜日行動」に毎回欠かさず参加されている宋さんです。今朝、裁判所に向かう時、4人がある場所で待ち合わせをしたのですが、おひとりの年配の方が約束の時間が5分を過ぎても来られませんでした。裁判の傍聴に遅刻するわけにもいかず、ひょっとしたら前回のように、息子さんが車まで送って下さっているのかも知れないと勝手に思うことにし、やむなく出発したのですが、北浜あたりに到着し裁判所が目の前だというところで、その方から電話があり、今、待ち合わせ場所にいるというのです。
一瞬どうした物かと考えましたが,宋さんが「自分が迎えに行くので二人は先に行ってください」というのです。
申し訳ない気持ちでいっぱいでしたが、「若い人が頑張ってね」、なんて無責任なことを言って送りました。
嫌な顔一つせず、また元来た道を引き返す彼女の後ろ姿を見ながら、本当に胸が熱くなりました。(結論的に裁判には間に合いました。本当にご苦労様でした。)
素朴で、純粋で、良く働く彼女は1児のオンマでもありますが、教職に就いている旦那様を支え、子育てしながらも、日夜同胞のために働く素敵な女性です。
今日も三重奏が道行く人々を惹きつけてくれます。行動参加者たちには元気をくれます。
韓国からの留学生です。長崎さんの講演を聞いて今日参加したそうですが、本当に可愛い方です。この前は労組の方々が来られ歌を歌ってくれましたが、彼女は力強い連帯の挨拶と爽やかな笑顔を残して行きました。
「行動」後長崎さんが裁判の経過について分かりやすく報告してくださいました。次回は1月23日に行われるそうです。
私は今日、裁判傍聴されている中心メンバーが帰ってくるまでの繋ぎとして、高校生たちが書いた詩を何作か朗読し、最後にはいつものように「火曜日行動の歌②-この坂を上れば」を皆と一緒に大きな声で歌いました。
大阪城公園内をいつもの逆方向から帰りました。
来週も頑張ります。