ホルモン屋徒然草~珍しホルブロだ

新米ホルモン屋の親爺の日々。ホルモンのこと、店の出来事、周辺の自然や話題。

追憶

2011-03-10 09:21:33 | 第1紀 生きる
なんだろう、ビロードのようなと表現したらおかしいか。

盛岡の、その正統な醤油ベースの、他から来た人にいわせればなにか間違えたような文字通りの「醤油」のスープだと悪口を言われるかもしれないが、いやいやそんな事は無い、煮干しやら豚ガラやらなんやらかんやらの素材が静かに調和し、くつくつと煮込んだその優しい熱と時間が、その舌に口に喉にすっとなめらかに流れ込む「ビロード」のスープに変えている。

はじめてあったころとは少し違うような気がする。
それは「進化」したのではなく、やはり時代というか客の嗜好に少しずつ調和していったものだろう。

先週、紫波の裏通りにある一時は3店舗くらいかまえていたのか、今は最初の場所にあるが、まだまだ昼時などは車で一杯になっているラーメン屋に入った。
しばらく行っていなかったが、確かに記憶の味で、その時はあぁと懐かしんだ。
そのあと、やけに喉が渇く。
そう、昔、ラーメンを食べた後は必ずそうだったのかもしれない。
最近はヒステリックに嫌う人もいる「うまみ調味料」が要因なのだろう。
その店の味は変わらず、従って昔通りのたっぷりのそれが入っている味だった。

それと比べると、盛岡のラーメンの老舗と親しまれながら、やはりこのスープは時代の嗜好とともに変えてきたのだろう。
すすった時はしっかりとした醤油ベースの味なのだが、飲んだ後、食べてしばらくしてからも後味が爽やかであり、例のものを強く感じることは無い。

味を守りながら変化していく、そういう努力が毎日の積み重ねとしてあるのだろうと独り合点したが思い過ごしではないだろう。

懐かしの細い麺と、よく染み込んだチャーシュー。
程よい味の強さのメンマと、そしてノリ、ネギのなにげない調和。
ラーメン屋のコショーはこうじゃなきゃと言わんばかりの、強すぎない小麦粉まじりのそれ。

そして、今日はワンタンメンにしたのだが、そのつるつるしたワンタンの喉越しを味わう。

店内の、ちょうど座った真ん前にあった貼り紙が、痛い、寂しい。
そのせいか昔の馴染み客なのだろう、年配の客からカウンター越しに声がかかり、おじさん・おばちゃんも、もう何回もねぎらいの言葉をうけているのだろうが、にこやかに会釈をする。



近くにあるのだから、まだまだ通えるかと思えば、いや思い立った時に行かなきゃ行かずじまいになるだろうと。
やはり来て良かった。

日光軒。
4月末で閉店。

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