先週の平日の夜遅くのことだ。
電話を受けた従業員が、これからお一方、来られますとのこと。
しかし、しばらくたっても来ない。
従業員に確認した。
「それはおじいちゃんだったか。」
「はい。
いま、岩手公園にいるけど、どのへんにあるのかという問い合わせでした。」
なるほど、その内容の電話は、ほぼ一週間前のランチ時にワタシが受けたものと同じようだ。
「いま、岩手公園にいるけど、どうやったらいける。」
「盛岡の方ですか」
「そうだよ」
「サンビル、わかりますか。」
「いや。」
(あらっ、目の前にあるはずだけど)
「岩手公園ですよね。大通に入る交差点の角がサンビルです。ですから、岩手公園から駅側に歩いて大通入口の信号のすぐ次の2つ目の信号を左に曲がり、ハンバーグのベルさんをすぎてすぐの角にあります。」
「ああ、ベルね。」
(おっ、わかったようだ。」)
「それでは、お待ちしております。」
丁寧に書くとこんな感じだ。
しかしランチタイムの閉店時間まで、とうとう声から察するご老人は来店されなかった。
そして一週間後のその夜も。
地震の年の、その直前から認知症に入った母をあずかっている。
いただいてた薬のせいもあろうが、一口に認知症といっても、四六時中ぼけているわけではない。
なにせ息子のこの私が、まわりがちょっと時々へんじゃないのと言われても、そんなことないよと全然気がつかなかったほどだ。
調子のいいときは、全く普通の会話をするのだが、ある何かが一つ抜けたりする。
悪いときはぼっとして(これは薬の加減だとも思うのだが)静かにしているだけだ。
これが不規則に交わる。
さっきまでは少し昔話をしていたのに、今は問いかけても答えないとか、
「A先生」知っていると、すぐ最近までたいへんおせわになった内科医の事を聞くと、「ああ、小学校のときの先生ね」と、はるか以前の記憶の方がよみがえる。
だからという訳ではないが、
否、だからこそ推測するのだが、たぶん、その方も母と同じで、ときどき何かのきっかけで自分が岩手公園にいて、これからその方が気になっていた当店へ行ってみようかと、手帳か何かを出して電話番号を確認しかけているのだと。
そんな勝手な想いを呼び出したのは、昨夜の同業者の某ママさんの電話からだ。
ここ数週間、高齢の女性の声で遅くに電話が来るそうだ。
それも決まって月曜日か火曜日の週始め。
時々は無言で電話を切り、この前は何時までやっていますかと問われたという。
職業柄(まぁ老いても夜のてふてふでしょうから)、常連男性のご夫人のやっかみか何かのストーカーじゃないかと怖がっている。
でも、たぶんワタシは先程の当店への電話のご老人と同じような、ある程度の認知症の方がかけているんではないかと推測した。
夫のポケットから出てきた何枚かの携帯電話番号入り(店の電話にも、携帯にもかかってくるらしい)名刺から、気になるその店(あるいは複数の)に何気なく電話している。
正常のときは大人の女としてほったらかしておいたけど、心の奥すみに引っかかっていた事が、歯止めの無い行為につながる。
そんな気がした。
だから、気にすることはないんだろうと電話で伝えた。
認知症のかかりはじめは、お金のこと(貯金通帳がなくなったとか、暗証番号が勝手に変わっていたとか)、来訪者のこと(知り合いが訪ねてきたとか、玄関に誰かいるとか、泥棒が勝手に出入りしているとか)、身近の人の悪口とか(いつもにこにこ接していて、まして人の悪口なんて言わない昔気質の人が、ね)、そんな事から始まる。
通帳のことは同じ境遇の、親の介護をしている何人もの方から、同じ経験をしたときく。
そんな事なのだ。
だから人は(ワタシも片足を突っ込んでいるが)歳をとると「ボケ」になるのが怖いのだ。
普段は微塵も感じていない事に固守したり、自分でない自分が現れたりするのを見て、そうはなりたくないという恐怖心を感じるのだ。
うん、少しツライおはなし。
そういうワタシは、これを打っているあいだ、頻繁にミスタッチをして、あら、いつもより多いなとじっと手を見る、いや指を見る。
そんな、今日この頃。
電話を受けた従業員が、これからお一方、来られますとのこと。
しかし、しばらくたっても来ない。
従業員に確認した。
「それはおじいちゃんだったか。」
「はい。
いま、岩手公園にいるけど、どのへんにあるのかという問い合わせでした。」
なるほど、その内容の電話は、ほぼ一週間前のランチ時にワタシが受けたものと同じようだ。
「いま、岩手公園にいるけど、どうやったらいける。」
「盛岡の方ですか」
「そうだよ」
「サンビル、わかりますか。」
「いや。」
(あらっ、目の前にあるはずだけど)
「岩手公園ですよね。大通に入る交差点の角がサンビルです。ですから、岩手公園から駅側に歩いて大通入口の信号のすぐ次の2つ目の信号を左に曲がり、ハンバーグのベルさんをすぎてすぐの角にあります。」
「ああ、ベルね。」
(おっ、わかったようだ。」)
「それでは、お待ちしております。」
丁寧に書くとこんな感じだ。
しかしランチタイムの閉店時間まで、とうとう声から察するご老人は来店されなかった。
そして一週間後のその夜も。
地震の年の、その直前から認知症に入った母をあずかっている。
いただいてた薬のせいもあろうが、一口に認知症といっても、四六時中ぼけているわけではない。
なにせ息子のこの私が、まわりがちょっと時々へんじゃないのと言われても、そんなことないよと全然気がつかなかったほどだ。
調子のいいときは、全く普通の会話をするのだが、ある何かが一つ抜けたりする。
悪いときはぼっとして(これは薬の加減だとも思うのだが)静かにしているだけだ。
これが不規則に交わる。
さっきまでは少し昔話をしていたのに、今は問いかけても答えないとか、
「A先生」知っていると、すぐ最近までたいへんおせわになった内科医の事を聞くと、「ああ、小学校のときの先生ね」と、はるか以前の記憶の方がよみがえる。
だからという訳ではないが、
否、だからこそ推測するのだが、たぶん、その方も母と同じで、ときどき何かのきっかけで自分が岩手公園にいて、これからその方が気になっていた当店へ行ってみようかと、手帳か何かを出して電話番号を確認しかけているのだと。
そんな勝手な想いを呼び出したのは、昨夜の同業者の某ママさんの電話からだ。
ここ数週間、高齢の女性の声で遅くに電話が来るそうだ。
それも決まって月曜日か火曜日の週始め。
時々は無言で電話を切り、この前は何時までやっていますかと問われたという。
職業柄(まぁ老いても夜のてふてふでしょうから)、常連男性のご夫人のやっかみか何かのストーカーじゃないかと怖がっている。
でも、たぶんワタシは先程の当店への電話のご老人と同じような、ある程度の認知症の方がかけているんではないかと推測した。
夫のポケットから出てきた何枚かの携帯電話番号入り(店の電話にも、携帯にもかかってくるらしい)名刺から、気になるその店(あるいは複数の)に何気なく電話している。
正常のときは大人の女としてほったらかしておいたけど、心の奥すみに引っかかっていた事が、歯止めの無い行為につながる。
そんな気がした。
だから、気にすることはないんだろうと電話で伝えた。
認知症のかかりはじめは、お金のこと(貯金通帳がなくなったとか、暗証番号が勝手に変わっていたとか)、来訪者のこと(知り合いが訪ねてきたとか、玄関に誰かいるとか、泥棒が勝手に出入りしているとか)、身近の人の悪口とか(いつもにこにこ接していて、まして人の悪口なんて言わない昔気質の人が、ね)、そんな事から始まる。
通帳のことは同じ境遇の、親の介護をしている何人もの方から、同じ経験をしたときく。
そんな事なのだ。
だから人は(ワタシも片足を突っ込んでいるが)歳をとると「ボケ」になるのが怖いのだ。
普段は微塵も感じていない事に固守したり、自分でない自分が現れたりするのを見て、そうはなりたくないという恐怖心を感じるのだ。
うん、少しツライおはなし。
そういうワタシは、これを打っているあいだ、頻繁にミスタッチをして、あら、いつもより多いなとじっと手を見る、いや指を見る。
そんな、今日この頃。