ホルモン屋徒然草~珍しホルブロだ

新米ホルモン屋の親爺の日々。ホルモンのこと、店の出来事、周辺の自然や話題。

ボジョレだべ~ ヌーボーだべ~

2007-11-15 08:10:43 | 第1紀 をかしら屋
11月15日は「ボジョレ・ヌーボー」解禁日。
いつもは相方と安ワインがぶ飲みの私も、この日(11月第3木曜日)だけはボジョレを授かることにしている。
この日に合わせ、仲間と温泉の自炊部で飲み交わしたことも何回か。
なにかにかこつけて飲みたがるやからには、とても都合のいい日である。

さて、「をかしら屋」でもボジョレを仕入れる。
キリン(メルシャンと統合したから今年はメルシャンが発売元)さんのご推薦で、「ボージョレ・ヴィラージュ・ヌーヴォー ラ・トレイユ」を入荷。

楽しみである。

ホルモンとあうかどうかは問題ではない。
ただただ、「ボジョレ・ヌーボー」に酔いしいれたい。

今日は、飲むぞ!!

「をかしら屋」は「をかしら屋」、勝手だけど我が道を行く

2007-11-15 01:25:05 | 第1紀 をかしら屋
火曜日の夜、「をかしら屋盛岡大通店」店員二人が閉店後、飯を食いに行こうと言う。

目指すは、「をかしら屋松園東黒石野店」の常連、実は大通にある「焼肉店」の店員さん二名がいる店である。
いつも来ていただいているのに、こちらが行かないわけにはいかないとT嬢が言う。
もっともだ。仁義を尽くさねば。

と、勇んで行ったのだが肝心のお二人がいない。非番だ。
店に対する仁義はない。この二人に対する仁義はある。しかし二人はいない。

という事だから、違う店に行こうと決めた。

で、「をかしら屋盛岡大通店」が開店する前に、同じ大通に開店したG店に行く。
開店前に店員一同様で「をかしら屋松園東黒石野店」に、普通小型自動車に六名乗りあわせで来ていただいたお店である。
こちらも返礼でお食事せねば。

と、行く。
イケメンが売りの店であるから、当店の店員二名(うら若き美女達!!)の興味は同業者の視察にあるのか、男の値踏みにあるのかはわからないが・・・。

店の評価は控える。
一言で言えば、盛岡に無かった「いい店」である。
主張もあって頼もしい。

で、感じたことは、同じ内蔵系を売りにする店であるが、やはり「をかしら屋」とは違う。
いや、「をかしら屋」がこの手の一般的な焼肉ホルモン屋と違うことを、あらためて認識させられたと言うことだ。

原材料は同じなんだけど、提供のしかた、サービスのしかた、ターゲット、タレ、調理方法、全てが違う。

この店が違うのではなく、たぶん、私の店=「をかしら屋」が違うのだろう。

タレ。
多くの焼肉屋、ホルモン店はタレで肉を、ホルモンを食わす。
この店のタレも確かに秀逸だ。

でも、私から見れば、タレがまさって肉が死ぬ。いい肉なのに。

「をかしら屋」のモミダレはツケダレを水で薄めたようなものだ。
それも、「揉まない」。
ただ、かけるだけである。薄いタレを。
原料のホルモンや肉の素の味をいかすためのモミダレである。引き立てるためのタレである。
隠したり、美しくするためのタレではない。

もちろん、ツケダレも同じである。
決して弱いタレではない。
しかし、素材を引き立てるためにあるタレである。
ホルモンという、各々の部位が各々の風味・食感を持つ内臓の、それぞれを引き立てるためのタレである。
「をかしら屋」のタレは素材に勝らない。

この店の秀逸なタレは勝る。
しかし、新鮮な素材にこだわっていると聞く、各々の内蔵をすべて同じ味に包み込む。
一口、二口はうまい。
甘みもあり、うまみも辛みも、バランスもすごくいい。
でも、そうたくさんは食べれない。

「をかしら屋」の常連さんは、一週間に二三度来られる方が珍しくない。
二日続けて来られる常連さんも多い。
そういう提供の仕方だし、素材をいかすタレの味もそう作っている。

甘みは本能的に受け入れられる「うまさ」の要素だ。
そして、あえて「をかしら屋」はそれを避けている。

「をかしら屋」はやはり「をかしら屋」だ。
それは店員が一番よく知っている。
なぜなら、彼女らは毎日と言っていいほど、賄いや試食で「ホルモン」を食べているから。
もちろん「をかしら屋」のタレをつけて。

とびっきりの「うまいタレ」、「タレ」で喰わせるなんていう趣向のタレではない。
だから毎日食べれる。

「をかしら屋」は「をかしら屋」である。
他がどうかは、やはり私には関係ないような気がする。
完成はしていないが、他と比べることは止めよう。
自分の目指すものにいくら近づけれるのかを指標としよう。

「をかしら屋」が「をかしら屋」でありつづけるために。