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大いなる放棄

2007年11月29日 16時30分24秒 | Weblog
仏教で出家というときに、その「出家」は「大いなる放棄」と訳されることがあります。

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「あれもしながらこれも」ではなく、「これもあれも捨ててただ仏道を歩む」ということでしょうか。

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反省させられます。「これもあれも」の欲望が多いのです。これではとても出家はできません。出家が僧侶になるということならなおさらできません。在家でいながら、そこで仏道が歩むことが許されているのですが、肝心な「仏道を歩む」ということができません。

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「仏道を歩む」よりももっともっといいものがあると思っていて、それに取り憑かれているのです。欲望がたくさんたくさん芽生えてきます。そのどれも捨てられません。

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仏道を歩むより大切なものはないのです。すくなくとも仏教徒にとっては。仏の教えをいただこうとする者にとっては。それが仏道を歩むよりもどれもこれもが大切に大事に見えてきてしようがないのです。

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家を捨てなさい。持っているものをすべて捨てなさい。家族を捨てなさい。愛する者、愛する物をすべて捨てなさい。財産を捨てなさい。自分の物と思っている物をすべて捨てなさい。これは原始仏教の教えです。

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それよりも「大事な道」があることが、愛する者、愛する物を所有していたのでは見えてこないのでした。こうしてわたしは結局のところ、その大切な仏道を歩まないままこの世をおさらばしていくようです。

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残念なことです。人に生まれたこと、このたびこそは仏道を歩もうとしていたはずなのですが、それが今回もお流れになってしまいそうです。

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「大いなる放棄」ができない。ささやかな放棄もできない。無所有にならなければ見えてこなかったのに、煩悩や愛着を所有することで、人生のすべての価値を満足してしまったのだ。

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あれもこれもの所有でもって、とうとう無所有の大切さが分からないで終わったのだ。悲しい。仏陀ご自身の「大いなる放棄」が少しも分かっていないのだ。
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