「山中与幽人対酌」 李白
両人対酌 山花開く
一杯一杯復(また)一杯
我酔うて眠らんと欲す 卿(きみ)且(しばら)く去れ
明朝 意あらば琴を抱いて来たれ
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わたしも李白になります。なりすまします。風呂の中でいい気持ちになって詩吟を吟じます。
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「幽人」は山中の隠者。世に現れることを嫌って、世を隠れています。世捨て人の仙人道は幽邃道。好きなことをしてひっそり暮らします。気の合う隠者仲間が来て、竹林で琴を掻き鳴らしながら、詩を吟じ、酒を飲み交わします。琴の糸が切れてていれば、琴を鼓にします。
時は春。春の山に山藤の花が咲いて、ぷらりと垂れて、酔狂の興を深めます。興が深まれば、一杯は二杯になり三杯になり、すぐに酔いが回ります。飲みっぷりがいいのです。すると酩酊します。眠くなって横になってしまいます。早い者勝ち。目が閉じてしまいます。「今日はこれまでとしよう。明日の朝、目が覚めて、もしまた会いに来たくなったら、その時はまたそのおんぼろな琴でも抱いて、この山中に来ておくれ」
万古の憂いを消す忘憂酒。湿っぽさがない。三百六十日 日々酔うて泥の如し。1年の内で飲まない日はたったの5日しかない。ときにこの詩を書いたのは李白56歳の頃であった。
「我酔うて眠らんと欲す 卿(きみ)且く去れ」は、李白が憧れた詩人陶淵明の詩にさかのぼっている。
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このわたし、お爺さんのわたしは、李白の詩が好きだが、そんなに酒が飲めない。晩酌は日本酒の1合2合止まり。スケールがよほど小さい。世捨て人(捨てられ人)だが、隠者仲間がいるわけでもない。李白の詩に酔って、歌って、ちょこんとしているキリだ。
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