罪滅ぼし。と、言うけれど、罪って滅ぼせるのかなあ? 償えるのかなあ。
他者に対して悪を為せばそれは罪となる。処罰を受けねばならぬ。法の下に裁かれる。社会的には処罰される。
他者に対して善を為さなかった場合でも、実は同様なのではないか。
善を己の牧場だけで栽培していたことになる。それでそれの悉くを自利に費やしてきたことになる。しかしこれは処罰の対象にはならない。
善人の顔は保たれる。罪滅ぼしも、なくてすむことになる。
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利他の行いへ進まねばならね。大乗仏教はその考えに進んだ。実践を重んじるようになった。経典を読んで悟りへ近付いても、菩薩道とは言えないとした。社会性を持った菩薩道である。悟りの洞窟を出て、社会の中へ、現実社会の奥へ奥へと進んでいく。
実践でしか、罪滅ぼしができない。そういうことなのだろうか。災害が勃発すると、災害地へ赴いてボランティア活動をする人たちが増えているようだ。
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さぶろうはそれもしない。寝椅子に寝て、不善を為して、ごろんごろんとしている。