1
惑染凡夫信心発 証知生死則涅槃 必至無量光明土 諸有衆生皆普化
浄土真宗経典 「正信念仏偈」より
2
わくぜんぼんぶーしんじんぽーつ しょーちしょーじそくねーはーん ひっしーむーりょうこうみょうどー しょーうーしゅーじょうかいふーけーえ
3
惑染の凡夫も信心を発(おこ)せば、(迷いの)生死則ち涅槃と証知せしめらるなり 必ず無量光明土に至りついて、諸々の有(情)を皆、普(あまね)く化せるなり。
4
惑染の凡夫:煩悩に染まって惑乱しているわれら凡夫衆生。
生死則涅槃:迷いの人生中にも信心を得れば安養の浄土があるという悟り。
無量光明土:阿弥陀仏が建設した極楽浄土を指す。不可思議光の仏国土。
諸有衆生:もろもろの有情、もろもろの衆生。
化(け):迷いの人を教化して救済すること。
5
煩悩のわれら衆生もひとたび信心をたまわれば、この迷いの人生こそが安養の浄土(化土)であると教えられることになる。無量光明土の仏国土に往生浄土して、成仏したあとは、ありとあらゆる迷いの有情をことごとく救済する利他活動に加わることになる。
(わたしのは行き届かない解釈だから、読者諸氏はご自分の解釈をされてください)
6
生死即涅槃。生死は涅槃である。この偈が嬉しい。これは、信心をたまわった後の、人生法則なのだろう。この煩悩の人生、惑乱の生死こそが、ひいては安養の浄土へと生まれて行く前提になっているという受け取りだろうか。迷いが否定されていない。むしろ肯定されている。仏教は、ここでも大肯定をしている。
7
わたしの迷いの人生が無駄になっていない。無量光明土へ行く旅の前段の1過程になっている。というのなら、有り難いではないか。
8
ああ、嬉しい嬉しい。仏教経典を読むと、経典はわたしをいつもいつも嬉しがらせてくれる。そのたんびに、わたしは、うひひうひひになる。
9
毎朝、庭に朝顔が咲きます。夏の朝はいいです。よろこびをくれます。4月に苗を植えていたのが、いまは花になっています。