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<おでいげ>においでおいで

たのしくおしゃべり。そう、おしゃべりは楽しいよ。

魔法のようです。

2024年11月29日 20時26分56秒 | Weblog

4泊5日間の入院をして白内障手術を受けたら、視力が若い頃に戻りました。新聞が裸眼で読めます。もう車の運転免許も「眼鏡つき」の条項を外してもらっていいようになりました。目の老化現象が改善されました、まさしく目の覚めるように。魔法のようです。

こういう魔法の技術が、物忘れ症・認知症などにも適用できたら老人はみんな拍手喝采することでしょう。ついでに、心身の諸部位諸器官なども数日の入院手術で一気呵成に機能改善されたらどんなにいいでしょうね。

老化しなくなったら、しかし、死ねなくなってしまいますね。これも不自然ですよね、ふふ。

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退院祝いをしてもらいました。

2024年11月29日 20時14分28秒 | Weblog

よかったなあと思います、家族が居てくれて。

今日は退院祝いをしてもらいました。

といっても、夕食時に「おめでとう」を言ってもらっただけなんですが。

でも、これでよかったんです。あたたかなこころが汲み取れました。

一区切りがつきました。次へ進めます。明日へ進めます。

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4日ぶりでお風呂に入りました。

2024年11月29日 20時03分52秒 | Weblog

4日ぶりにお風呂に入りました。入院中は、湿ったタオルで体を拭くだけでした。

(病院にはお風呂がありませんでした。シャワーがかかれました)

わたしはシャワー室には行かずに、部屋の熱湯水道の湯で体を拭き上げました。

退院できたので、入浴しました。清潔に保つための(度数無し)眼鏡をつけたまま。

お風呂はいいですね、あたたまりました。幸福です。

4日ぶりだから、湯船に浸かる前に、入念に全身を石鹸でこすって、不潔な気分を洗い流しました。

清潔になった気がします。気持ちいいです。

我慢していた分、それだけ開放感が生まれています。

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わたし一人を導くために

2024年11月29日 17時46分30秒 | Weblog

平等説法 如為一人 

びょうどうせっぽう にょいいちにん

(仏陀は)平等に法を説くとも 一人の為にするが如くす

法華経 「薬草諭品(やくそうゆぼん)第5」より

お母さんが赤ん坊にお乳を含ませています。これは1対1でなされます。説法というお乳も1対1です。

仏陀はたくさんの人に平等に説法をして導いておられますが、少しずつの分割ではありません。わたし一人に向き合って、必要とするお乳の全部をまるごと一人一人に授乳させておられます。

わたし一人のために法を説いてわたしを元気にさせようとしておられるという受け取りが、(受け取り側には)成立します。

そうするともう涙無しにはいられなくなります。

なにせ、仏とわたしが1対1になって、肌を合わせているのですから。

 

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一山を越えて来ました、無事に。

2024年11月29日 17時23分16秒 | Weblog

一山を越えて来ました、ぶじに。

ぶじに越えさせてもらいました。

尊いお慈悲を感じます。

わたしが山を超えて行けるだけのパワーを頂いたからにほかなりません。

越えさせてもらった、ああ、よかったよかった、でいいのかなあ? 

そういう疑問があぶくになって沼の底からちらりと浮かび上がってきます。

何かお返しをしなくちゃならないのではないか、というクエスチョンです。

白内障手術を受けました。目が見えるようになっています。新聞が裸眼で読めます。拡大鏡なしで本が読めます。明るい未来が開けています。

わたしはいままでよりも一歩二歩三歩先に進められています。良い方へ進められています。

ということは? 

何かをせよということではないか? 

次の段階に進めということではないか?

そこでしかやれないことをやりなさい、ということではないか?

じっとしていられないぞ、ふっとそういう考えが浮かんで来ます。

でも、どうしていいかは分かりません。回答は浮かんで来ません。

またまたいつものように、わたしは怠け者をしてそれでけろりして過ごしそうな気もします。

わたしを後押ししてきた善意好意の持ち主は、それだと、がっかりするかもしれません。

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我が家の冬は寒いです。

2024年11月29日 17時16分08秒 | Weblog

入院中は朝も昼も夜も空調が効いていて、ちっとも寒さを感じなかったのですが、我が家の冬は寒いです。(ここにはたしかに冬が住んでいます)

おまけに、当地は雨になっています。気温が急変しています。

で、すぐにたくさん着込んで防寒をしました。暖かい南国から北国に移住して来た感じがします。

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正午過ぎに退院をして来ました。

2024年11月29日 17時04分34秒 | Weblog

正午過ぎに退院をしてきました。我が家に帰ってきました、4日ぶりに。

まるで40日を他国で過ごしてきたかのような、新鮮な錯覚に落ちて、戸惑っています。

大袈裟に表現すれば、死して、蘇って、またふるさとに帰国したかのよう!

いや、いずれそういう日(=死後復活を果たす日)が来そうな予感を覚えて、感極まっています。

すぐさま畑を一巡しました。新鮮な眺めでした。大きな変化はなかったのですが、初めて降り立った月面のようでした。

ふふふ、たまには我が家を留守にするべきなんでしょうね。

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なんだか安心をもらってしまった!

2024年11月29日 16時37分30秒 | Weblog

常与師倶生

じょうよしぐしょう。

常に師与(と)倶に生まるるなり

法華経 化城諭品(けじょうゆぼん)第7より

此処を去って新しい国に生まれてもそこでもはやり師とする仏といっしょであった。いつもわたしは、死ぬのも生まれるのも生きるのも、「仏の導きとともに」であった。

仏がわたしについて回っておられるのか、わたしが仏について回っているのか。さて、どっちなんだろう?

忍土を死んだわたしは、次は新しい宇宙の、ロマンに満ちた新しい国、遠い遠い国に移住して、そこでおもいっきり冒険をしたいと思っているのだが、移住を果たしてみると、そこにも同じようにわたしが師と仰ぐ仏が、先回りをしておいでになって、待ち受けていらっしゃる。そういうドラマがわたしを待ち受けている、というのだ。

わたしは孫悟空の気分になって、遠い国に行って冒険をしていると思っていても、案外、そこは仏様の手の平の、親指と小指の間隔しかなかったのかもしれない。

死と生が連続していたのだ! ミクロの世界で見ていたわたしの死と、生。一見して断絶をしたように見える両者。それがマクロの世界ではいささか趣を異にしているらしい。

なんだか安心をもらってしまった。

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今日は退院の日です

2024年11月29日 08時44分01秒 | Weblog

今日退院できます。月曜日に入院しました。この日に、名医のドクターに、右目の白内障手術をしてもらいました。1日置いて水曜日に左目の白内障手術をしてもらいました。術後経過も順調です。

明るい未来が明るく開かれました。裸眼で本が読めます。遠くも近くもはっきり見えます。すべてが美しく見えています。

朝の光が部屋の窓から明るく眩しく差し込んで来ます。退院を祝ってくれているように感じます❗

 

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