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<おでいげ>においでおいで

たのしくおしゃべり。そう、おしゃべりは楽しいよ。

何でもないところには何でもある。

2023年08月26日 16時12分06秒 | Weblog

無一物中無尽蔵 むいちぶつちゅう むじんぞう

これは蘇東坡の詩偈。「花有り月有り楼台有り」と続く。

何にもないところには何でもある。

行き暮れて輝く星を仰ぎけり    釈 応帰

ないないないをひっくり返えすとあるあるあるになる。この世は不可思議世界なり。

絶望の深さに導かれていた者は、それだけの高い歓喜に導かれている者である。それがやがて分かる時が来る。

有限は無限を蔵している。

有限を爆発させると無限が発覚する。

この世を、己の狭い裁量で切り捨てて、つまらないところにしてはなりませんぞ。己に言い聞かす。

何でもないとしたところへ堕ちて、地獄に呻いて、突発的に<何でもある>が発見できると、<無限大自己爆発>が起きて来る。見ている自分と見られている世界が輝いて輝いて一億兆x一億兆ルックスになる。

<ないないない・ないない>の否定を突き抜けて行くと、<あるあるある・あるある>の絶対肯定処に辿り着く。

Behind nothing inside,behind nothing outside,there's everything brightening limitlessly.

*

地獄があるということが極楽があるということを証明する。

手が鉛筆を握っていると、手は鉛筆以外を握ることが出来ない。執着の手を持つ人間だが、その同じ手に無執着を握らせることも可能だ。

放てば手に満つ。自己所有を放棄すると、無所有所有の大所有が顔を見せて来る。

わたしが欲しいものを所有してなくとも、わたしの進歩がいかに遅いものであろうと、わたしには美しい花があり輝く月があり広大無限な宇宙がある。

小さきは小さきままに花咲ける野辺の小草の安けきを見よ

高田保馬

蘇東坡の詩歌からあれこれいろいろと連想してみました。暗い考えにうち沈んでいる人がいたら、どうか、蘇東坡の説く明るい考えに照らされてみて下さい。

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これを過分の幸福にする。

2023年08月26日 15時54分12秒 | Weblog

大好きな小鰯を醤油と酒と味醂で煮てもらう。唐辛子をちょっとだけ加えて。辛みを付けて。日が暮れる。夕食は7時。腹を空かせておく。食卓に着く。お皿に煮物を注ぎ分ける。箸で突く。口に運ぶ。小鰯は脂がのっていて旨い。酒をちょびちょび飲みながら、舌鼓を打つ。里山で暮らす老爺は、これを過分の幸福にする。

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読み手が付かない。

2023年08月26日 15時51分04秒 | Weblog

ブログを投稿するのだが読み手が付かない。書いたというところで満足することにする。

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我が師大塚文彦先生に漢文を習う

2023年08月26日 14時51分05秒 | Weblog

「飲酒 其の六」  陶淵明

 

廬(ろ)を結んで人境に在り 而(し)かも車馬の喧(かしま)しきなし 君に問う何ぞ能(よ)く爾(しか)ると 心遠くして地も自ずから偏(へん)なればなり 菊を采(と)る東籬の下(もと) 悠然として南山を見る 山気は日夕(にっせき)に佳(よ)く 飛ぶ鳥は相(あい)与(とも)に還る 此の中に真意有り 辨ぜんと欲して已に言を忘る 

この詩を、大塚文彦先生にお習いした。漢文の授業で。先生の巧みな誘いによって、高校一年生の幼い僕は、漢詩の魔力と幼く対峙することとなった。以来、陶淵明が大好きになった。図書館に潜んで貪った。孤独がこれで癒された。

その佳人は、粗末な庵(いおり)を結んでそこに住んでようやくに人心地ついているけれども、かといっても此処はうるさい役人が乗る車馬の賑わいが聞こえて来るところでもない。よくまあそんなところに粗末にして暮らしておられるなあと、問い質してみると、この佳人答えて曰く、「そりゃあ、きみこころのありようさ、こせこせしていなければ、そこが人境を超えたところになるのさ」「東の籬(まがき)へ行って菊を摘もうとしていると、そこに悠揚迫らず南山(廬山)が現れて来るが如し、さ」「廬山の山の清々しさの中で日暮れを迎えていると、鳥たちがいっしょになって山の塒(ねぐら)へと帰って行く」「そこでハタと手を打って我が意を得るのだ」「しかし、それをあれこれ弁じようとする気持ちもない。言辞を逸脱しているところ、此の中にわが人生が美しく厳かに完成しているんだ」

佳人はもちろん作者陶淵明その人である。彼は、山気を食べて暮らしていられる隠者なのだ。

「菊を采(と)る東籬の下、悠然として南山を見る」の句にもっとも強く惹かれたが、洟垂れの高校一年生に、いかんせん、その風景が見えたはずはないだろう。

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気分なりとも涼しく

2023年08月26日 14時17分40秒 | Weblog

我が里に大雪降れり大原の古りにし里に降らまくは後    天武天皇

このところ長々と猛暑が続いているので、気分なりとも涼しくなれるように、万葉集の中の、大雪降れりの作品を挙げて見る。作者は天武天皇。天皇はこのとき、飛鳥の清御原においでになった。歌は贈答歌である。この歌は、しばらく大原に戻っている藤原夫人(ふじわらのぶにん)五百重娘(いおへのいらつめ)に贈られた。夫人(ぶにん)の称号は妃の次の位にあたる。夫人は、いまをときめく藤原鎌足の娘である。

早く会いたいから、わたしのいる飛鳥宮殿に戻って来てくださいよ、というメッセージが込められている。歌は恋歌。此処ではもうから美しい雪が降って世界を輝かせているよ、あなたのいる古びた里ではそれはかなわないだろう、もう少し後になるだろう。さあ、さあ早く、と急き立てているようだ。

話し言葉を其の儘に詩歌にしているような作品だ。直截な思いが、降って来た雪を題材にして、趣を得て、ストレートに述べられている。

こんな恋歌を歌って恋する人に贈ってみたいが、この老人にそのロマンチックは許されていない。致し方がない。万葉集をひもといて自足する。

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雀は毛虫を食べる益鳥

2023年08月26日 14時06分36秒 | Weblog

午後2時。炎天が続いている。南の空にはむくむくむくと白い雲が湧き上がっている。

庭先の酔芙蓉の葉っぱに集(たか)る毛虫、虎のような縞模様のある小さな毛虫を、雀が駆除して食べてくれているようだ。助かる。雀は益鳥だなあ。人間の僕から見ると、雀は<働いている>ように映る。

であるのに、肝心要の酔芙蓉さんはまだ花を着けない。今日こそは今日こそはと待っているのに。

地球上に生きている生き物はたくさんいる。みなそれぞれの生き方をしている。僕のように、昼間っからぐうたらぐうたらしている生き物もいるが、それもそれで寛容されている。

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人には愁いがある。世には憂鬱がある。

2023年08月26日 09時30分43秒 | Weblog

「秋浦歌」   李白

 

白髪三千丈 はくはつさんぜんじょう

縁愁似箇長 うれいによって かくのごとく ながし

不知明鏡裏 しらず めいきょうのうち

何処得秋霜 いずれのところにか しゅうそうを えたる

人には愁いがある。この世には憂鬱がある。歎きがある。後悔がある。あれこれと思い煩う。こころが乱れる。どうしていいか分からなくなる。それを間近に見た頭髪はそれを憐れんで白くなる、長々と長くなる。ある朝、朝日の射す明るい鏡を覗いていたら、なんとまあこの愁いが秋の白い霜になって鏡の中を占めていた。この人嘆かわしい人生の風景が、いったい何処から侵入して来たものかを、わたしは知らない。

李白は、わたしの大好きな詩人である。これを詩吟にして歌う。

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是は是で楽しいのだが、

2023年08月26日 09時23分01秒 | Weblog

行きたいところがない。だったら、家の中に居るしかない。しかし、強いて行くところをつくることもないではないか、と思う。それに賛成する。こうやって毎日が過ぎていく。必然、閉じ籠もってばかりになる。今日も行くところがない。行ったとしても、そこにわたしを待っていてくれる人も、ない。

ごろごろしているだけになる。それじゃつまらないから、瞑想をする。瞑想の旅に出る。そうやって新地開拓のパイオニアになってみる。これはこれで楽しいのだが。

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プラス効果の現象か、これは。

2023年08月26日 09時08分36秒 | Weblog

酔芙蓉の花の開花時期をネットで調べたら、<7月~10月>と回答して来た。

我が家の庭のそれはまだ咲かない。蕾さえつけていない。あきらかに<拒否している>ように見える。

勢いはある。有り余りほどある。繁茂している。縦横2・5mほどもある。葉っぱだけに栄養が偏ったのだろうか。

見たい。のに、見られない。するとそれだけいっそう、そのものの持つ価値が勝って行くから、この待ち呆けはいい結果を招こうとするプラス効果現象なのかもしれない。などとも思う。

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文字を綴るという営為は、

2023年08月26日 08時50分30秒 | Weblog

生きているわたしのエネルギーがこの世の地上に、文字として残ることになるような気がする、こうしてその時その時の思いの丈を綴る文章を書いていると。

エンルギーそのものは目には見えないけれど。何処かに。風を受けてそよいで。たとえは、畑の片隅の韮の花になって、白く。小さくほんのりと。

それを頼りにして、わたしの思い出が探しに来ると、それが在処を指し示してくれるようなことが、あるのかもしれないではないか。

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