夕暮れ。気温は7・7℃。わずかに風が吹いているようだ。畑の大根の葉が震えている。暗くなっていく。まもなく6時になる。
僕は大相撲テレビ観戦中。再起を賭けた阿炎が一敗を守り切った。阿炎の顔が、石に彫られた大仏に見えて来る。声援を送る。
相撲中継は終わった。もうすぐ夕食。今日は早い。寒いので、熱燗にしたい。飲んで、パワーアップに繋げたい。といっても多くは飲めないが。
夕暮れ。気温は7・7℃。わずかに風が吹いているようだ。畑の大根の葉が震えている。暗くなっていく。まもなく6時になる。
僕は大相撲テレビ観戦中。再起を賭けた阿炎が一敗を守り切った。阿炎の顔が、石に彫られた大仏に見えて来る。声援を送る。
相撲中継は終わった。もうすぐ夕食。今日は早い。寒いので、熱燗にしたい。飲んで、パワーアップに繋げたい。といっても多くは飲めないが。
ついてないなあ。昨日はパンク。今日は自損事故。宅急便を出しに行っての帰りがけ、バックしていてフェンスにぶつかった。後部が大破した。注意して運転しているけれど、こうなってしまった。その後ですぐに修理を依頼しに行ったが、修理工場は休みだった。たぶん数十万円は覚悟しなければなるまい。
今年は正月明けてすぐに入院。10日を過ごした。やっと帰宅したら、パンク、続いて明くる日は自損事故。ついてない。しばらくは謹慎して閉門蟄居すべきか。
人身事故でなくてよかった。車は大破したが、怪我をしないでよかった。そう思い直して慰めている。
境界線はあるようで、ない。死の境界線と生の境界線は同一の境界線だから、死ぬと生まれている。生まれると死んでいる。ドイツの国境を越えたらそこはもうフランスである。出たところからするとそこは死の国であり、入るところからすると、そこが生の国である。
連綿と連綿と続いていて、切断がない。切断はないが、転がある。一区切りが設けられている。ステップアップするための区切りになっている。いのちは宇宙のいのちだから、切れようがないのである。
だから、心配をしないでいていいのである。心配をしていてもいいが、その心配通りになるわけではない。そこを遙かに遙かに逸脱した超無限大エネルギーが動いているからである。いままでもそうだったのである。これからもそうである。
<小さな私>を超えたところに発動している<おまかせの世界>を生きているのである、わたしたちは誰もが。
☆
家内は畑に出て、いまはブロッコリーと蕪(かぶ)を収穫しているようだ。京都に住んでいる娘に宅急便を送るつもりらしい。ベランダに吊している干し柿も段ボール箱に収めている。今朝は早起きしておこわご飯を蒸していた。それを俵型のごま塩おにぎりにしていた。それが娘の好物だから。
10時半。さ、外に出ようか。外は日射しが明るい。日向ぼっこをしようか。ベランダは風も吹き込まない。
エアコンは消そう。一晩ずっと消せなかった。
我がこころは、蝋燭の炎、燃え上がってあっちへ揺れこっちへ揺れる。悲しみへ揺れ安らぎへ戻す。
そうだ、なるようにしかならない。抗うまい。そう諦めながらまた抗う。悲しみに沈む。雲の行方にまかせられない。
猫のAちゃんもベランダの濡れ縁に来ている。暖を取っている。山里のお爺さんよ、お爺さんよ。日向に来て、ベランダの椅子にもたれながら、童話の世界に遊ぶお爺さんでいなさい。
如来さまの「如来」は、「真如より来られた方」の謂である。真如はこの宇宙を統べる真理である。法=ダンマそのものである。お仕事が済めば、またそこへ帰って行かれるので、「如去(にょこ)さま」でもある。
お仕事? わたしが苦悩を経て安心に至るまでが如来さまのお仕事である。わたしが安心を得たら、如来さまは如去さまになってお帰りになる。
この世に真如=法=ダンマがなければ、衆生はいっときも生きてはいられない。衆生はみな真如を吸って生きている。だから真如=法=ダンマは空気のようなものである。真如を吸って吐いて呼吸を続けている。
だから如来さまはいつもわたしといっしょである。仏教の独占物ではない。宇宙の命のわたしの命そのものである。
わたしとはまことにまことに途方もなく尊い存在である。尊く尊くあらしめられている存在である。わたしがそれに気付こうと気付くまいと。
1月19日。苦しいことのまっただ中にいようとも、暗い顔などしておられるか。
1
わたしの苦しみは如来さまの苦しみである。
2
わたしの安心は如来さまの安心である。
3
わたしの苦しみは如来さまにとってよそ事ではない。見て聞いておられるはずである。我が身の苦しみとされておられるはずである。
4
わたしの安心は如来さまがお授けになった安心である。わたしの安心をも見て聞いておられるはずである。わたしの安心をよろこんでおられるのも如来さまである。
5
わたしと如来さまは一心同体である。分離がない。除外がない。同等とされて差別がない。
おはようございます。明け方、マイナス4℃まで気温が下がりました。霜の朝になりました。日が射してきましたので、解けるのはもうじきです。
☆
<よいこと>もこれまでに百万千万受け取って来ましたので、<そうでないこと>もまた抗わずに、駄々をこねずに、受け取るべきではないのか。今朝方、わたしはそんなことをちらっと考えていました。
<百万千万よいことずくめ>はあまりにも虫が良すぎるのではないか。これまでずっと途切れずに体力養生力をつけさせてもらったのである。<よくないこと>を負担する力、分担できる力、凌げる力も若干ならついているはずである。
☆
畑のカリフラワーは葉っぱが巨大である。その分だけ、日を多く受け止め得た。よって、その分だけ多く霜が降りて、ぐにゃりと萎れている。大袈裟に無惨に萎れている。でも大丈夫。日の光が届き始めている。やがて、葉っぱの霜は解けて、徐々におもむろに立ち上がって来るであろう。
☆
受け取ったのは百千万のよいこと。億兆のよいこと。であれば、それを外れることをも、受け取れるはずである。一五十くらいは。