goo blog サービス終了のお知らせ 

<おでいげ>においでおいで

たのしくおしゃべり。そう、おしゃべりは楽しいよ。

「風の授業」 N新聞新春読者文芸入選作。

2022年01月17日 12時07分44秒 | Weblog

「風の授業」       山鳩暮風

 

生きているみんながそうしているのです

始めから終わりまでたがいを

輝かそう輝かそうとしているのです

「何のために?」「星にするためです」

ここは学校 僕もいます

teacherは丘の上の新しい春の風です

お日様が空と大地を照らしています

おっほん 咳払いが聞こえました

そうです 根源はお日様です

でもそれだけでは終わらないのです

その根源の力がさまざまに作用し合って

力が力を生んで 新しい力を生んで

こんどはみんなの思いの中心核に

互いを輝かそうとする意志が灯ります

万年億年ぶつかり合って火花を散らします

おっほん また咳払いが聞こえました

思いの明るさは増して光のbodyは膨らみ

1000の1000乗倍のルクスになって

最後にはあのオリオン座のリゲルのように

みな美しい星になって自己完結するのです

 

選評がありました。

 

「全体が隠喩になっている。生きているみんなが、互いに輝かせ合って、最後に美しい星になる。そんな世界がいつか来るだろうか。詩の中の、爽やかな風に触れたい。

 

 

僕のこの詩の作品がN新聞の新春読者文芸大会詩の部門の1席になりました。嬉しいです。選者に200%の理解をしてもらって、嬉しいです。でも、果たしてそれだけの作品になっているかどうか、内心でははらはら、危ぶんでもいます。制限行数は20行です。

 

 

仏教では、人はみな最後は仏陀=自己完結者になっていくとされています。最後の最後には必ずそうなるのです。仏陀になって輝くのです。他者を輝かすためです。仏陀になった後からではなく、仏陀になる以前でもそうです。互い互いに輝かし合って明度を増し加えて行くのです。僕はそういう理解をしています。

 

でもそこまで進んで行く間にはいろいろなドラマを経ていかねばなりません。悲しみにも出遭います。苦しみも引き受けます。そこを経ていかなければ、重力がついていかないためです。僕はそういう理解をして、相反する位置にある自分を慰撫しています。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする