<おでいげ>においでおいで

たのしくおしゃべり。そう、おしゃべりは楽しいよ。

窓の中の僕は至って平凡な暮らしをしている。

2021年06月17日 07時14分27秒 | Weblog

すっきり晴れたいい朝を迎えている。爽やかな気分になれる。気温は22・2℃。ちょうどいい。適温。呼吸が楽。すううっと息を吸う、ふうううっと長く吐く。

7時半、朝ご飯を食べた。白米ご飯。高菜漬けの油炒め。削ぎ牛蒡の味噌汁。皮湯剥きしたミニトマト。目玉焼き。牛乳。ジャガイモのバター炒め。みなおいしく頂く。

コスモスが庭に群れて咲いている。みな赤い色の。細長い茎のとっぺんさきに。風がないのでじっとしている。そこにそうしているだけで、にんげんの僕は癒される。美しい人に遇っているときのように。

雀が餌場に来ている。来るのは一羽だけになってしまった。この季節は餌になる毛虫類が多いので穀類など食べなくていいのだろう。ときどき近くの木の枝に来て、じっとして動かずに、窓の中の僕を見ている。見ているようにしている。

窓の中の僕は平凡だ。平凡にしている。そして時折、「ああ、おれはいま生きているんだな」と思う。老いて、そういう思いが強くなっている。生かされている時間が短くなって来て、生きている事実が重みを増しているのだろう。

重みが増しているのだが、何もしていない。ぼんやりとして風景を眺めている。移り変わる季節の風景を。何かをしなければいけないということでもない。何もしなくていい。美しい眺めを楽しんで、余計な雑念を抱かず、ただうっとりと惚れ惚れとしていればいいのかもしれない。

今日は暑くなりそうだ。予報では31℃が最高気温。昼からは曇るらしい。雨が降ることはなさそうだ。隣家の紫陽花がきれいだ。紫陽花は季節の申し子。写真を撮りたくなる。

 

 

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胡瓜が胡瓜をしていていいのは、

2021年06月17日 04時35分15秒 | Weblog

胡瓜が胡瓜をしていていいのは、茄子が茄子をしていていいからである。茄子が茄子をしていていいのは、トマトがトマトをしていていいからである。トマトがトマトをしていていいのは、胡瓜が胡瓜をしていていいからである。

みな宇宙全体の宇宙生命を生きているからである。分担分担をして生きているからである。全体には秩序があり、全体には調和があり、欠けているところがない。

みながみなパーフェクトを生きているのである。宇宙生命がパーフェクトだから、それを構成するわれわれの分子たちもパーフェクトをしていられるのである。そうでなかったら、一瞬で崩壊してしまっているはずである。

胡瓜も茄子もトマトも、「みな大丈夫だよ大丈夫だよ安心をしていていいのだよ」ということを説いている。仏陀と同じことを説いているのである。胡瓜も茄子もトマトも仏陀を生きているからである。

5 

「天使・エンジェル」は天のみ使いである。神の意志の実行者、実演者、実践者である。エンジェルの姿を取らないでも、われわれはみなみ使いである。仏陀(完成した人)の法の実践者・実演者である。洩れる者はいない。

 

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すべての人が、何があっても安心をしていていいという世界を、生きている。

2021年06月17日 03時56分36秒 | Weblog

サーリプッタよ、阿弥陀仏は、どうして阿弥陀と呼ばれているのだろうか。サーリプッタよ、阿弥陀仏の放たれる光明が無量であって、十方の国々をくまなく照らしているからである。この光に遇わない者がいないからである。この故に、かの仏は阿弥陀と呼ばれているのである。   「仏説阿弥陀経」より

2☆

教えを説いているのはお釈迦様である。サーリプッタはお釈迦様に付き添っている尊者である。説法を聞く代表者である。お釈迦様は名前を上げて確かめながら法を説いておられる。場所はインドの国の祇園精舎。お釈迦様の教えを聞こうとする人々であふれている。

3☆

阿弥陀仏のことを説いておられる。

どうしてこの仏は「阿弥陀」と呼ばれているか、此処から説き起こしておられる。

阿弥陀はサンスクリット語「アミターユ、アミターユス」を音訳した漢字である。意味は「無量光・無量寿」「計り知ることができないいのちの空間・計り知ることができないいのちの時間」。無量は無尽蔵・無限大・無際限。アンカウンタブル。人間の思量を超えている。

無量光・無量寿を生きている仏陀の名前が阿弥陀仏である。阿弥陀仏が無量光・無量寿を生きておられる、ということはすなわちわたしたちがみな無量光・無量寿のいのちを生きているということである。仏陀だけが特別枠なのではない。それでは仏陀と称することには成らない。阿弥陀仏はわれわれすべての代表者の一人なのである。

わたしたちは命を生きているのである。宇宙の命を生きているのである。個々人を生きているように見えているがそうではない。全体を生きているのである。宇宙生命の全体を生きているのである。生まれ変わり死に変わりしながらも、永遠の宇宙生命を生きているのである。物質の宇宙はその間に何度も何度も生滅を繰り返しているけれども、本質の宇宙はこれを超えている。超えている世界(=無量光・無量寿の世界)がある、ということを説いておられるのである。

さぶろうが、しかし、これを合点しているか。合点していない。合点していないでもいいからである。仏陀が合点していればそれで完了完結しているからである。

安心をしていていい。何があっても安心をしていていい。そういうことを説かれているのである。わたしたちは一人一人みな思量を超えた世界を生きてる、からである。守られて導かれて、助けられて救われて、永遠の命を生きているからである。

そいいう説法を聞いているさぶろうがいる。ここにいる。彼の目は涙に潤んでいる。「仏陀の説法を聞いている人間」になっていられるからである。

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農産物の収穫が最盛期。

2021年06月17日 03時30分10秒 | Weblog

夜中、僕の書いたブログを読んでくださる方がいらっしゃる。アクセス解析にそれが出て来る。起きていらっしゃるんだろうか。

いつもきまって12名ほどの読者。これは昼も同じだ。それ以上にも以下にもならない。コンスタントだ。どなたかは知らない。同じ方ではないのかもしれない。

ズッキーニ(緑と黄色)、胡瓜、茄子、トマト、ピーマン、インゲン豆、韓国南瓜の収穫が続いている。最盛期に入っている。夕方と早朝の2回、家内が畑を見回って、籠に摘んで持ち帰る。我が家だけで食べきれる量を超えている。

捨てるわけにも行かない。人様にも差し上げるが、それでも余る。家内が、近くの道の駅に出荷を始めた。忙しくなった。といっても、すべて買ってもらえるわけではない。ありふれている。出荷数が多い。今日で三日目。売上代金はまだ800円ほどらしい。

朝、出荷して、夕方、売れなかった品を引き取りに行く。売れなかった品が多い。安くしてあるが、それでも買い手がつかない。そこに出荷されている絶対量が多すぎているのだろう。

まもなく午前4時になる。ラジオを付けて深夜便でも聞こうかな。5時半には外が明るくなるだろう。

 

 

 

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夜が明けるまでまだ数時間がある。

2021年06月17日 02時46分47秒 | Weblog

今日は6月17日。木曜日。まもなく午前3時。目が覚めた。もう寝足りた。起きる。パソコンを開く。いつものように音楽を聴く。安らぐ。

「いつものように」が実現しているけれど、それはいつ切断されてしまうか、分からないこと。危ういこと。海に出て波の上を歩いているようなこと。奇跡を演じていること。そういう奇跡の人の己を生きている眩(まばゆ)さ。かがやき。

気温は20・6℃。ひんやりするので長袖を着込んだ。下半身は半ズボンのままだから、肌寒く感じる。雨は上がっているようだ。障子の向こうには雨音がしていない。

花の季節を通り越した姫林檎が今年もたくさん実を着けている。全身にゆさゆさちりばめている。見事だ。姫という名がつく通り至って小さい。小さい青い実。食べられはしない。小鳥も食べに来ないので、やがて根元に落下する。

夜が明けるまでまだ数時間ある。何をしようか。もう一度布団に戻ってやすんでもいい。それも選択肢。その選択肢を捨てて、ゆっくり呼吸する。下腹を膨らませて深呼吸をする。すうすうはあはあ。ゆっくり、大きく。生きていることを味わう、全身で。

今日は友人がやって来てくれる日。西瓜畑に囲いを設けてくれることになっている。彼を9時50分に駅に迎えに行く。まずは近くの竹林に行って、真竹を切って来る。一仕事だ。この真竹を適当な長さに切って杭にする。そして網を張って行く。すべては彼の善意の労働奉仕による。僕は助手をするだけでいい。

これでアナグマや猪、烏などの侵入を防ぐ。西瓜の蔓をこれに這わせることもできる。油粕を施肥してあげたので、蔓の勢いがいい。葉っぱもしっかりしている。力がみなぎっているという感じだ。もうソフトボール大の実が幾つもついている。

西瓜畑は、しかし、南、西、北と3カ所にある。3カ所全部を一日ではすませられまい。夕方には温泉に行って彼を慰労しよう。そして宿泊をしてこよう。明後日、雨が降っていなければ、作業続行となるかもしれない。

 

 

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