西瓜と瓜の畑へ行って、まずは草取りをした。夏草は図太い。頑丈だ。なかなか抜けない。力を込める。
ヤマタノオロチのように四方八方へ伸びた西瓜や瓜の蔓の下に、麦藁を敷いて回った。
日が暮れた。汗が胸元や背中を流れた。
西瓜と瓜の畑へ行って、まずは草取りをした。夏草は図太い。頑丈だ。なかなか抜けない。力を込める。
ヤマタノオロチのように四方八方へ伸びた西瓜や瓜の蔓の下に、麦藁を敷いて回った。
日が暮れた。汗が胸元や背中を流れた。
さぶろうにはさぶろうの、お母さんがいます。お父さんがいます。
二人に生んでもらいました、さぶろうを。
生んだ後、育てて頂きました。愛情をたっぷりたっぷり掛けていただきました。
よそ様の赤ん坊を見ていると、ふっとさぶろうはそれがさぶろう自身の幼い頃の姿に見えて来てしまいます。
ああ、あんなふうにして愛されていたんだな、ああ、あんなふうにおっぱいを口にふくませてもらっていたんだな、ああ、あんなふうに声を掛けられていたんだな、ああ、あんなふうに抱き上げてもらっていたんだな、ああ、あんなふうに頬刷りをしてもらっていたんだな、ああ、あんな風に手を引いていてもらってたんだな、ああ、あんなふうに頭を撫でてもらっていたんだな、ああ、あんなふうにじっとじっと眺めてもらえていたんだな、などなどなどと。
そして目頭が熱くなってしまいます。涙がじわりじわり湧き出てきます。大事に大事に育ててもらったのです。まちがいがありません。
もうさぶろうのお母さんはこの世にはいません。さぶろうのお父さんもこの世にはいません。でも、どこかにいてくださっているような気持ちがします。寄り添っていてくださっているような気持ちがします。ふたりのさぶろうへの愛情はちっとも褪せることがない、そんなふうに思って、深い安堵をもらいます。
さぶろうにお母さんがいる。さぶろうにお父さんがいる。さぶろうは愛されて愛されていた。過去形ではなくて現在形で、いまもなお変わることなく愛されている、に違いない。それだけの愛情をもらえるだけのさぶろうというのは、いったいどんなさぶろうなんだろう。愛されるに値するだけのさぶろう、そのさぶろうを生きているさぶろう。