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<おでいげ>においでおいで

たのしくおしゃべり。そう、おしゃべりは楽しいよ。

発見だけがやたらと続く

2016年03月01日 22時13分17秒 | Weblog

与えられて与えられて与えられている。それが見えるようになった。そんなに与えられていても使いきれない。使いきれないのにまた新しく与えられる。与えられていることを発見する。また発見する。わたしは宝島のシンドバット。でもすっかり老いたシンドバット。目が眩むこともない。せっかくここに降りたってもそれをどうすることもできない。金も銀も眺めているだけで、自己所有の興味も失っている。持ったところで持ち腐れだ。ここが宝島だとようやくにして分かったときにはこうだ。与えられて与えられて与えられているということが分かったときにはもうすっかり老いていた。欲望の胃袋は小さく小さくなっていた。小さな胃袋にはほんの少しで足りているようになったのに、発見だけがやたらと続く。

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黒砂糖の塊がどさりどさりと

2016年03月01日 21時37分42秒 | Weblog

昔、黒砂糖というのがあった。今もあるのかもしれない。子供の頃の黒砂糖だ。塊がどさりとあった。これを嘗めた。口に入れて歯で割って、とろとろにして嘗めた。漫画本を読みながら休み休みに手を伸ばして味わった。今それがそこにあったとしても、あれほどに甘くはあるまい。あれほどに切なくはあるまい。

それが、しかし、あったのである。どさりと。どさりと置かれたのである。このところ、ほとんど毎日毎日。塊がどさりと目の前に置かれる。そんなに食べられたものじゃない。まあ、午前中にほんの少し、欠片を少しをかじってみるだけだ。夜更けになるとそれは消えてしまう。鼠が引いてしまう。

でもそれでいいのである。けちることはない。朝になるとまた真新しいのがどさりと置かれている。食べ切れたものじゃない。そこにどういう意図があるのか。考えてみる。さぶろうは老人だ。子供じゃない。提供しているのは誰なのか。何の為なのか。もう見ているだけである。口にはほとんど入らない。

これだけ大量な、上質の幸福をいったいどうせよというのだ。毎日毎日、毎朝毎朝どうせよというのだ。どうしていいのか途方に暮れて眺めているうちに、日が暮れる。日が暮れると鼠たちが大挙して押し寄せて、大騒ぎして嬉しそうにえんやらえんやら引きずって行く。

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峠道の気温は1度cだった

2016年03月01日 17時31分08秒 | Weblog

途中、山間の七山峠あたりの気温は1度cでした。11ヶ月になるお孫さんが座るためのベビーシートを、唐津の親類のお宅に届けてきました。あちらこちらで白梅、紅梅を見て楽しむことが出来ました。

我が家の孫はこのところ此処へ来る予定は夏までありませんから、お貸ししました。働きに出たお母さんが赤ちゃんを施設に預けに行くときに必要になる1台、赤ちゃんのお父さんが迎えに行くときに必要になるのが1台、計2台。そのうちの1台をこちらが用立てたわけです。可愛い赤ちゃんにお会いしました。ちょうど人見知りが始まったらしく、この醜悪なのっぺらぼうの老人を見て泣きだしてしまいました。

帰宅してすぐにサイクリングに出ました。手袋もせずに、軽装で。風が冷たくてたまりません。とうとう途中で引き返して来てしまいました。5・6キロで終わりました。日の隈山公園の二つの池にたくさんの鴨が泳いでいました。池の水に足を下ろしている鴨は寒いだろうなあなどと素っ頓狂な心配をしてしまいました。

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魚料理屋さんへ

2016年03月01日 12時27分08秒 | Weblog

唐津へ。ちょうどお昼。唐津は海の町。海は魚。魚を食いたい。「玄洋」という魚料理屋に寄る。昼膳の「松華堂」を頼む。1000円。豪華だ。

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おれさまは力持ち

2016年03月01日 06時19分21秒 | Weblog

おはようございます。北向きの屋根に雪が積もっている。うっすらとだが。日が射してきた。ここからは解けるしかない。

おいらは風の子、風太郎だい。ジャガ芋を植え終わった。鼻水をずんだりずんだり垂らして拭いもせず。花粉症を超克したと思い込んでいたが、長時間畑に出ていると鼻が刺激されているらしい。だらしがないぞ風太郎! 叱ってやった。

病気は病院に行って治してもらうというのも一策だが、気合いで治すというのも一策である。瞑想で治すというのも一策である。病院でだけしか治させないというのは思い込みだ。人間には自然治癒力というのが具わっている。免疫抗体もある。これをもっと大胆に信頼してもいい。

「オ・レ・サ・マ・ハ・チ・カ・ラ・モ・チ」「ハ・ネ・カ・エ・ス・チ・カ・ラ・ノ・モ・チ・ヌ・シ・ナ・リ」の毒舌を吐いてみることも大事なことなのだ。自己信頼が命を春にしてくれるだろう。力という若草を芽吹かせてくれるだろう。

素戔嗚尊も大国主命も己を力持ちとしたことで神となった。神の風格を得た。威風堂々となった。他者にも威厳を分け与えることが出来るまでに神通の力の自己膨張をして見せた。

麦畑に雲雀が鳴いている。麦畑は青々としている。空が霞の空になって朧だ。麗らかだ。腹で呼吸をしてみる。日がさんさんと射して来て自ずと身心に清新の気が漲って来る。

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