<おでいげ>においでおいで

たのしくおしゃべり。そう、おしゃべりは楽しいよ。

沈まないで浮くくらいがいい

2014年07月17日 17時21分10秒 | Weblog
へっへっへ。ほっほっほ。ふっふっふ。軽妙だ。軽いのがいい。沈まないで浮くくらいがいい。

だったら、蜻蛉なんかそうだろう。へっへっへ、ほっほっほ、ふっふっふと言葉のシャボン玉を飛ばし飛ばし大空を飛び回っているのかもしれない。

重たいのがいいという人間もいる。重鎮と言われたがっている人間もいる。重厚だと評価されてよろこんでいる人間もいる。

だから、一概に軽妙を重鎮の上に置くこともできない。

「あいつは軽い」「軽々しい」と言われるよりも、「あの方はどっしりして重量感がある」「重々しい威厳がある」と言われた方が嬉しいかもしれない。

水を張った田圃が広がっている。稲の早苗が青々としている。ここをよく見るとアメンボウが遊んでいる。水の表面をすいすいすいと走っている。軽量なので水に沈むということがない。

アメンボが走り去った後の水田にはへっへっへ、ほっほっほ、ふっふっふの音楽が鳴っているようで、三郎は耳を澄ましてみた。
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「匂い薬夏空」は病気から回復する薬だ

2014年07月17日 16時37分31秒 | Weblog
あんまり暑いのでシャワーを浴びた。雨が止んで日が照りだしたとたん、身体が汗ばんでじとじとじとじとする。三郎は暑がりである。うどん一杯食べただけで汗が噴き出してしまう。特に、頭頂に。脱毛症だから、はげ山である。つるつるしている。汗の水滴はここにはとどまれない。噴き出したが最後滝になって落下するしかない。



さてここからが眉唾ものだが、三郎は汗の臭いがしない。しないと思っている。というよりもむしろ、果物の匂いがしている。腐った果物ではなく、新鮮な果物のそれである。脇の下に糖度の高いサクランボが実っているのではないかと思うくらいだ。これはしかし多分に彼の血糖値の高さがそうしているのかもしれないのだが。家族の者にそれを言うと、否定される。着ているシャツなんかやっぱり汗臭いわよと言われる。だからこれは三郎の独り合点に過ぎないようだ。

三郎は自分はもしかしたら無味無臭かも知れないと思うときがある。特徴がない。秀でているところがない。ということは劣っているところだらけということになる。そうなるとそこに臭気が漂うことになるから、無味無臭というわけでもなさそうだ。しかし、無味無臭に憧れているのかもしれない。そこにいてもちっとも気づかれないですむことになる。存在感に乏しい男ということになりそうだが、その淡泊さがいいように思う。爽やかでいいようにも思う。



山に岩がある。これなんかも無味無臭である。風の匂いがあたりに流れているだけで、岩の匂いはしていない。海は海の匂いがしている。潮の匂いがしている。空はどうか。空の匂いを嗅いだらどんな匂いがしているか。空はあんまり大きいので鼻先をどこに当てたらいいか分からないだろうが、鼻を長く雲の先の先までくらい延ばしてみたら、どんな匂いがするか。考えてみる。何かいい匂いがしていそうな気がするのだ。いい匂いがしてきて欲しいように思うのだ。

夏の大空の匂いを嗅いだら、途端に元気になれるかも知れない。もしそうだったら、これを薬に製薬して病気をしている人に届けてやればいいのかもしれない。「匂い薬・夏空」として。薬価は安くしていいだろう。
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ことばは嘘をまことにして喋る癖がある

2014年07月17日 08時55分10秒 | Weblog
金柑の花が咲き出した。小さな白い花。ジャスミンの香が薫る。香を伝って揚羽蝶が吸い付けられてくるようだ。花にとまってひらひらひらひら羽を動かしている。あたりでは夏蝉が時をおかずに鳴き続けている。ときおり夏燕がスピードに乗って視界を過ぎって行く。燕の声がその後へばらまかれて。鹿の子百合のピンクが今朝から花の宴大舞台に登場してきた。庭と畑には青紫蘇が藪を作って繁茂している。種を蒔いたわけではないのだが、旺盛な繁殖力だ。



梅雨はまだ明けない。曇り空。雨はしばらく止んでいる。それほど蒸し暑くはない。



ことばはお喋り屋である。さかんに喋りたがる。その割には意味がない。喋っても喋らなくともいいような内容で、ただ音を楽しんでいるだけのようにも見える。これは書き言葉でも話し言葉ででもあまり変わらない。聞く人がない場合でもことばは勝手に喋っている。ことばはバイオリンを鳴らしたりピアノを叩いたりもする。愉快になりたいのだろう、きっと。ポップスがラジオから流れてきた。これもことばだ。伝えたいことがあんまりないような台詞を連ねている。



肉体には性器が埋めてある。性器の奥には金塊が埋めてある。プラチナも埋めてある。この鉱脈は存在の深海まで続いている。深海の底の底に情愛が埋めてある。

これを掘り当てもせず、掘り出しもせず、手にとっても見ずに、この歓楽街の肉体を霹靂することなしに去ってしまう者(魂?)もいる。ここが歓楽街だとは知らないで彼は死地に趣くことになる。

肉体は形骸である。肉体の門を通らずしてこころを得ることは至難の業だが、これを経由しないで愉快を味わうことができる哲学者もたまにはいる。たまにはいるくらいで、本通りはあくまで肉体という大道を通っていくことになっている。そういう作りの家なのだ、人間が棲んでいる家は。

ことばが勝手にそんなことを喋り出した。ことばは嘘をまことにして喋る癖がある。それをそうと知って聞き流すに限る。

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