<おでいげ>においでおいで

たのしくおしゃべり。そう、おしゃべりは楽しいよ。

人のことばには神が活動している

2014年07月09日 17時52分35秒 | Weblog
ことばには神が宿っている。マザー・テレサのことばを読んでいるとそれがほんとうだと信じられてくる。神は宿っているだけではなく、ことばのフィールドで活動をしている。人は神にはなれないが、人の発したことばには神が働いて来る。偉大な人、マザー・テレサのことばを聞いていると、いつのまにかこちらの腰骨が自然と立ち上がってくる。
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しないでいいことはしないでいたい

2014年07月09日 16時57分40秒 | Weblog
蕩(とろ)けたいのである。身も心もとろとろと蕩けたいのである。



堅いままの固形物が煮崩れてやわらかくなってしまうまで。バターが熱いフライパンの上で解けてしまうように。



ついでに、腹の中で煮えている怒りや不満といったごたごたもいっしょになくなってしまうと上出来だ。



この世のことどもはもうどうでもいいという気分に誘われる。あの世の不安も心配も投げ捨てよう。



そうする。投げ捨てる。軽くなる。締まりがなくなってきてだらりとする。



筋肉の緊張がほぐれる。弛緩が始まる。雲の布団に横になって寝そべった気分だ。目がとろんとして来る。



たましいが安楽の姿勢をして自堕落の酒に酔っている。腸(はらわた)がうっとりしだす。己を締め付けていた桶の箍(たが)が音を立てて瓦解する。



がんじがらめに縛っていた自己拘束から解放される。道徳が外へ滲みだして行って川の流れに流れて行く。ここにはもはや社会正義もない。道義心もない。



外からの批評・評価を気にすることほどばかばかしいことはない。体裁を保っていようとすれば肩が凝る。



ばかばかしいことに手を染めているのは止めにしたいのである。是非善悪のがんじがらめの束縛を擦り抜けたいのである。



しなくてもいいことはしないでいたいのである。足を投げ出していたいのである。自由放蕩にしていたいのである。



道教の仙人はもういい歳である。髭が長い。彼はまず山に入った。峰の巌の上で長嘯してみた。風が吹いて来て心地よい。



それから樹林へ辿った。そこは雑木林である。小鳥たちが迎えてくれる。樹林を貫いて小川が流れている。



野猿のほかは誰も来ない。老仙人は幼い子どものこころを保っているらしい。彼は裸足になって小川に入ってみた。白い砂が足裏をくすぐってきた。



道教の仙人のする「蕩け三昧行」は、三昧にしては簡単だ。行にしては易行だ。遊ぶ夏雲の遊戯(ゆげ)ようなものだ。



小川に降り立って、裸足になって、足裏を白い砂にくすぐらせていればそれで出来上がるのだ。
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最後に下唇と上唇を嘗めて終わる

2014年07月09日 12時59分37秒 | Weblog
近くにアイスクリーム製造屋さんがある。子どもの頃からある。規模はあまり大きくない。学校帰りに立ち寄ったりした。



棒キャンデーと箱入りがある。小豆の入ったのとミルクの匂いのするのと二種類ある。今日、おやつに食べたのはミルクの棒キャンデーだった。



冷蔵庫の冷凍室に収めてあるのを見つけて食べた。これを食べると血糖値は高くなるので、控えているのだが、食べてはいけないものほど欲しくなる。禁じられるほど、おいしく感じる。



甘いものはそれほど好きだったわけでもないのに、この頃はそれがそうでもない。間食なんかして来なかったのに、この頃は密かな間食を覚えてしまっている。



よくない。よくないよくないと自分を戒めているつもりだが、慎みがなくなる。ひっそりと密かに盗み食いをするなんて、よくない。そう思うのだが、怺えきれない。



ちびりちびり、嘗めるようにして棒キャンデーはついに食べ尽きた。最後にぺろりと長い舌を出して下唇と上唇を嘗める。



我が家に生息するコモドオオトカゲの舌は長い。全長が2m近くある。怠け者である。肉食だが、気は至ってやさしい。
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それをしていながら、していないと言い切ろうとする三郎

2014年07月09日 12時21分33秒 | Weblog
不妄語。妄語することなかれ。嘘をつくな。



不妄語は、五悪、十悪の一つ。



五悪は五戒に背くこと。五戒とは不殺生、不偸盗、不妄語、不邪淫、不飲酒。すなわち、殺すなかれ、盗むなかれ、嘘をつくなかれ、犯すなかれ、酒を飲んで乱るなかれ。



五戒に背けば五悪趣(ごあくしゅ)五悪道に堕ちる。(「趣」は「世界」の意)



背けば、いまここで餓鬼になる。畜生になる。地獄の鬼になる。



十悪は、身口意(しんくい)の三業(さんごう)によって造る十種類の罪悪罪業。五戒の禁止事項に続けて、綺語(きご)、悪口、両舌、貪欲(とんよく)、瞋恚(しんい)、邪見(または愚痴)がある。



言葉によって己を飾るなかれ。人を悪人とするなかれ。二枚舌を使ってすり抜けるなかれ。不所持を貪るなかれ。腹を立てるな。仏法の明るさを避けて暗くなることなかれ。



どの一つの悪からも逃れられない。



十悪を重ねた者は重悪人である。



十悪を縦に重ねて動き回っていながら、それをそうしていないと言い切ろうとするのが三郎である。十悪を横に広げていながら、そうしていないという大きな顔をして大通りを通っている者が三郎である。



嘘をつくな。これ一つでも守れてはいない。このブログに書き散らしているものもすべては妄語である。
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邪淫の目で通り過ぎる異性を見る

2014年07月09日 11時39分24秒 | Weblog
いい歳をこいて可笑しいぞ、三郎! 三郎は三郎のこころの中を罵る。三郎という理科室の骸骨の標本にも、まだ狂気があるのである。肉なんかそげてしまっているのに、女性にこころを動かされてしまうのである。彼は妄執を叱る。叱るけれども、妄執は姿を消さない。



三郎は昨日大型ショッピングセンターの中にある本屋さんに行ってみた。買いたい本が特別にあったわけではない。家の中があまりにも蒸し蒸しして暑かったので、クーラーの中で涼みたくなっただけである。家族の者は、それぞれ買いたいものがあるらしくて、その場へ駈けていく。三郎は、入り口に置いてある車椅子を拝借する。すると、奥まったところにある本屋さんにまで行き着けるのである。



そこへ車椅子を手で押して進んだ。深々と帽子を被って、帽子を隠れ蓑にして隠れたつもりになって、行き交う人を眺めた。脚線美が通り過ぎて行くたびに、三郎はそこへ目をやってしまう。若い人の若いいのちがそこでいのちを謳歌している。ビーナスの出現に嘆息する。車椅子の手が止まる。



それっきりである。



声をかけるわけでもない。ビーナスが三郎に微笑んでくれるわけでもない。その場は一瞬で終わる。対象の脚線の白さは透明になる。それっきりだが、三郎は、自分の淫靡さに鼻しらむ。地上に生息する美しい生き物。そのいのちの躍動をそこに見たことが、しかし、どうしてそんなに三郎を恥ずかしがらせるのか。



異性を心の中に棲まわせているということが恥ずかしいことなのかどうか。見ず知らずの異性を片時棲まわせていたということがどうしてこうも三郎を萎縮させるのか。実行には移せないが、下心があるからである。白日夢の狂気に堕ちるからである。淫靡の虫になるからである。



三郎は仏陀の戒めを守っていない。不殺生。不偸盗(ふちゅうとう)。不邪淫。不妄語。不飲酒(ふおんじゅ)。これが五戒だ。邪淫のこころを抱いてはならない。邪淫の目で異性を見てはならない。三郎はそれらをことごとく犯してばかりだ。



不偸盗の偸盗は、人のものを盗むなと己を戒めることと同時に、「わたしのものを盗むな!」と他者に向かって言うことでもある。この世のいっさいをわたしの所有にしてはならない、のである。三郎は不飲酒も守ったことがない。殺生をしなければ一日たりと生命を維持することはできなかったのである。
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腹を立てる元気も、元気の一種だ

2014年07月09日 11時12分58秒 | Weblog
おはようございます。といって、もうお昼近くですけど。



ベランダの、雨が降れば濡れる場所に、野菜栽培用の幅広プランター7個を列べています。ここに先日夏蒔きホウレン草と人参の種を植え付けておきました。土作りを施した後で。だから、土がほかほかになっています。もちろん、種蒔きの後にはたっぷりと水撒きもしました。

しかし、その次の次の日、このプランターの土は無残に荒らされていました。猫が絶好の糞の場所ととらえたらしい。なにしろ、合計で9匹の猫が、我が家にはたむろしている。家の中に入れない。小屋の周辺に寝泊まりしている。三郎は野良猫として扱っているが、家族の者はすでにこれに情愛を感じて可愛がっている。猫餌もたっぷり与えている。三郎は、外へ出てこれを追い散らす。

種を蒔いたプランターはことごとく深い穴を掘られていた。そこに糞をしてさらに蓋をしている。当然、悪臭がする。蒔いた種はもうこれで台無しである。三郎は腹を立てた。かんかんになって腹を立てて、そこらにいる猫どもを怒鳴りつけた。

幼児のように地団駄を踏んだ。猫は、何をそんなに怒られているのか分からずにきょとんとしているきりだ。いよいよ癪に障る。顔を赤くして癇癪を起こす。

しばらくそうしていたが、そのうちにばかばかしくもなってきた。そして、おやまあ、骸骨の生きた標本のようにしているおれには、まだこんな元気が残っていたのかと思い直した。ほう、と声が出た。腹を立てる元気。これも元気の一種であることに間違いはない。



そろそろと風が出てきたみたいだ。台風接近が現実のものになってきたようだ。カラスよけ対策の赤白のテープが、胡瓜畑の竹棚の間でゆらゆら揺れている。雨が胡瓜の葉を打つ。
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