<おでいげ>においでおいで

たのしくおしゃべり。そう、おしゃべりは楽しいよ。

ちったあ 張り切ったらどうなんだ おい三郎

2014年07月08日 11時27分33秒 | Weblog
ぶらぶらしているのが得意である、三郎は。

で、慣性の法則によって、いつもいつもぶらぶらして過ごしている。

仕事をしない。何でもいいから何かの役に立とう、そういう意気込みを持たない。

そこへもって病気が重なる。

するといよいよ三郎のぶらぶらは権利を持つ。

安静にしているというのが権利になる。

使わない足の筋肉は山羊の顎髭のように垂れてくることになるが、それでもお構いなしである。

よほどの怠け者なのだ、三郎は。

やらせてみれば、三郎にだって草取りくらいはできるのだ。それをやらない。のほほんとしている。

こんな楽楽を決め込んでいるから、三郎には進歩というものが見えない。

もうすぐ人間業の廃業に追い込まれようとしているというのに、相変わらずだ。

ちったあ張り切ったらどうなんだ、おい、三郎!

広がった夏空が三郎に叫んでいるが、三郎はこれを聞こうともしない。
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除外すると風景に穴が空いてしまう

2014年07月08日 11時10分00秒 | Weblog
金木犀を駆け上っていってそこに瓢箪が重たい実を提げている。細い蔓を金木犀の葉っぱに絡みつかせて、みずからの重量に耐えている。

実はでかい。いかにも重たそうだ。登って行って、か弱い植物の負担を軽くして差し上げようとも思うのだが、この瓢箪が立派に風景を作っているのだ。

瓢箪は風景の作者である。そこで威厳を為している。

ぶら下がった瓢箪の重量を除外してしまうと風景に穴が空いてしまうのだ。それほどにマッチしているのだ。

三郎は、夏の日のこの見事な風景バランスを理解する理解者である。理解者が、除外に手を染めることはあってはならない。
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嬉しさが、彼の死火山に噴き上げてくる

2014年07月08日 10時47分31秒 | Weblog
三郎は感極まって泣き出すことがある。鳴き声は立てないが、内面は、おおおん、おおおんと泣く幼児に近い。



おれのような者に光が降って来ている。そう思うときだ。



三郎は、それだけの値打ちはないと思っている。光が三郎目掛けて一目散に降ってくるだけの、値打ちはない。



それを更地(さらち)にして、そこへ光が燦々と降ってくるのである。値打ちがあるなしは一切問われないでいる。



光の輝きに輝かされると三郎の影などは吹っ飛んでいってしまう。喧嘩にならない。三郎の暗さは消滅する。するといきなり涙が迸(ほとばし)ってくる。



対抗馬にならないのである。光と、三郎の暗さは、所詮、釣り合わないのである。



暗さは、仏教の教える「無明」である。無明は蒙昧である。混濁である。見えない暗部である。



三郎の無明はヒマラヤの氷河で解け出すことはない。厚い厚い無知に覆われている。誤謬に覆われている。打つ手がない。



無明を無明としているにもかかわらず、光が一方的に三郎を照らしてくる。照らして輝かしてくる。三郎はどうしようもなくころりと明るくなってしまう。



そしてそれを嬉しがるのだ。おれのような者に光が降って来ていることを嬉しがるのだ。



嬉しさはしだいに熱を帯びてくる。マグマになって、三郎の死火山に噴き上げてくる。
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おおい 夏蝉が鳴きだしたぞ

2014年07月08日 09時55分02秒 | Weblog
雨が止んだ。日が照っている。青空も広がってきた。夏蝉が鳴きだした。向日葵の蕾が日一日と大きくなっていく。



三郎は、腰痛がぶり返してやすんでいる。布団に横になっているだけで、治療はしない。麻痺の左脚が、筋肉を失って一本の細い樫の木だ。ふくらはぎまでもが、痩せ細っていく。血流が悪いので、鉄のようにひんやりしている。



人生の舞台から退却退却を余儀なくされている老兵である。三郎はそれを日増しに強く感じる。抵抗をして、一箭を報いることが何かないか。見渡してみても、何もなさそうである。



友人が中国雲南省の高山に分け入って薬草採集の旅をしてきた。12日間。昆明北部の3000m~4000m級の山々を越えたらしい。採集はできないから、写真に撮るだけだったようだが。で、その写真を、さっそく見せてもらった。



見たこともないような花である。美しい。堪能した。そこに住むチベット民族が放牧しているヤクも映っていて、珍しかった。薬草を研究している専門家たちといっしょにツアーを組んで回ったようだ。



彼は三郎と同い年だ。元気だ。三郎は、ひ弱になっている三郎ではできないことをやり遂げてきた友人を見上げた。達成感に満ちていかにも晴れ晴れとしていた。



高価な冬虫夏草と現地の人たちの被る帽子を土産にもらった。冬虫夏草は、初めて目にした。冬は虫になっているが、夏になると虫に草が寄生して、草であって虫になっている。潰して粉にして食すると強精剤になるらしい。



三郎は、旅行に行っても土産を買わない主義(うろうろうろついて買うのが面倒なのだ)だから、こういうふうに友人に土産を進呈したことはない。だから、もらうだけだ。一方的だ。なんだか三郎はずるい。三郎の友人は、しかし、人情がことのほか厚くできている。見上げた根性だと三郎は思う。



大型の、非常に強い勢力の台風が日本を目掛けて襲撃をかけている。明日明後日頃には九州地方に達するとの予報が流れている。金木犀にぶら下がった瓢箪が、この特別警報の大風に当たったら、あっけなく落ちてしまうだろう。

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