多病息災発達障害者こよりの日常

両手で数えきれない障害と持病を抱えつつ毎日元気に活動中。発達障害の息子たちの子育ても終え、悠々自適の毎日です。

夫の進歩

2017-07-04 18:05:53 | 
発達凸凹同士の結婚生活

私の 夫は たぶん 発達凸凹である。私も そうである。だが 日常の 生活スキルは 私のほうが はるかに高い。夫は 携帯の メールが 使えないしATMで 現金......



一年前のブログを見て、夫もこの一年でいろいろ変わったなあ、と思った。


できないこともおおいけれど、私を助けてくれることも 一杯あったし、


私が 沖縄に行っている3日間も、いろいろ息子達と


一緒に 家事や買い物などを してくれていた。


今日の大雨の中、夫は 息子達を迎えに行ってくれている。


その後で 私がどこにいるか心配して、電話をくれた。


朝「今日は家に居るよ」と 伝えておいたのだけれど、


もしかしたら、と 確認の電話をくれた。



「ありがとう、私は家にいるから 迎えはいいから」と伝えて


今は 3人の帰りを待っているところ。


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私が ハンス・アスペルガーの名を知った本

2017-07-04 16:21:38 | 
私が自分の「周囲の子どもとの違い」に 気付いたのは2・3歳のころで、


入園後は ますます その思いが顕著になった。


小学校入学時には 小学校で習う漢字は一通り読めたので、


子どもの本では つまらなく、家にある 父の本や


母の婦人雑誌まで、なんでも読んだ。


医学書も読んだが、「家庭の医学」だったので、大したことは書いてない。


学校にある本もつまらないので、


私は 滞納した水道料金の 支払いのために バス代と 支払い書とお金の入った封筒を持って


町に行くたび、図書館に寄った。


両親は 毎日 働いていたから、遅く帰宅しても 怒られることはない。


時間ぎりぎりまで 大人の本のある所に行って、


いろんな本を読んだ。楽しかった。


その中で 私に答えを与えてくれた本が、


「ある自閉児の記録 全6巻」である。


その本によると、ハンス・アスペルガーは 1944年に 論文を発表しているが、


オーストリア人の彼の 論文は 訳されることがなく、注目を集めなかった。



アスペルガーは、1966年に 日本児童精神医学総会のため来日している。


私がその事実を知ったのは、1977年の事である。


自分が アスペルガーの言う「知的障害を持たないが、自閉症の特徴をもつタイプのこどもたち」であることを


知り、「これが 私が 家や 学校や 社会で うまくいかない理由なんだ」と


腑に落ちたことを今でも 覚えている。


このシリーズは 当時で 一冊1800円したので、当時の私には


買えるはずもなく、図書館に行くたびに 読んで、楽しんだ。


そのほかにも フロイトや ユング、様々な本を読み、それが身になっていったように思う。


就職してから 古書店を回り、1冊 1冊探して 買い求めた。


今も手元に 全6巻がそろっている。


「アスペルガー、なんて 最近言い出したことだよね」という声を聞くと


不思議に 思う。


1977年には 地方都市の 普通の図書館にも この手の本が並んでいたんだし、


専門家なら もっと詳しい情報も得られただろうと思う。


水道代にも事欠く家庭の 子どもでも 得られた情報なのに、


豊かな家の 高学歴の人たちが アスペルガー没後37年も経つ今も


情報を求めて 錯綜しているのを 不思議な気持ちで見ている。



 


ある自閉児の記録〈4〉ママぼくカレンダー人間だって (1977年)
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創世記
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遺伝の不思議

2017-07-04 14:37:26 | 発達凸凹
私は 発達障害だが、両親や きょうだいは皆 定型である。


だが 私の息子たちは 発達障害である。


息子たちの 発達障害、特に 知的な障害がある次男については、


「うちの家系に そんな子はいない!」と


私の母から 強い拒否をされた。


実家に連れて来るな、等々。


まあ 私が幼かった頃、というか未熟児で生まれた後、


母も 難産で状態が悪かったのだが、面会ができるようになった頃、


訪れた 自分のきょうだいに向かって、「次は 良い子を産む」と


言ったそうだから、「普通の子が欲しい」願望が かなり強かったのだろうと思う。


遺伝の不思議というか、相撲界の関取の 取り組みのときなど、


TVで「今日はOO関のご両親も観戦に来ています」と画面に映る方が、


体格の良い方かというと そうでない事の方が多い。


私の長男は 180cmを優に超すが、私は 背が低いし、夫も高い方ではない。


過去をさかのぼっても 背が高かった、という人は 見当たらない。


だが 長男は 4キロを超す体重で生まれ、大男に育った。


男の子に出やすい、という発達障害だが、私は 女性でも 発達障害だし、


遺伝子の 不思議というか 面白さを感じる。


私は もし 息子が結婚して 子どもを授かるようなことになったら、


発達障害の孫がほしいなあと 思っているのだが


こればかりは 私がどうこうできるものではないので、


どんな命も 「さずかりもの」として 慈しんでいきたいと思うだけである。










人間脳の根っこを育てる 進化の過程をたどる発達の近道
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みんなに好かれなくてもいいじゃないか

2017-07-04 11:59:22 | 言葉あそび
うちに 御木幽石の 日めくりがある。


あいだみつをとか こういうのが 好きな人は多いようである。


私は こういうのをみると 似た言葉や もじりをみつけて 遊ぶのが常である。





「悲しい時は がまんせず 悲しい顔をしよう。


くらーい顔が一杯集まって 仕事や 遊びどころじゃなくなるね。」


「あなたの 笑顔、自分じゃ素敵だとおもうんだろうね。言わないけど ちょっと不気味。」


「あなたにしか できないことが たくさんあるけど、食べたお皿くらいは 片づけよう。」


「あせらず ゆっくり じっくりと。待っていたら この年になってしまった。」


「念ずれば 花開く。でも 水と肥やしはやらないと。」


「あなたといると 幸せな私。いつも他力本願。」










御木幽石《一日一語 幽石の言葉めくり-卓上版-》日めくり万年カレンダー☆和風暦通販☆
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幸せは歩いてこない 作るもの 感じるもの

2017-07-04 11:32:30 | 幸運
「山の あなたの空遠く・・・」の 詩が、


私には 理解できなかった。内容は理解できても、


「幸せを探しにいく」という 感覚がわからなかった。


私にとっての幸せは、


幼少期は 読書であったし、


学童期は 生活苦の中、親やきょうだいが 機嫌よくしている事だった。


未熟児で生まれた私は きょうだいを背負う力もなく、


ランドセルに中味を入れて背負ったら 歩けないどころか


ひっくり返ったくらい力がなかった。その私にとって


走り回るきょうだいを 静止したり 泣きわめくのを


黙らせたりは 至難の業であった。


思春期は 生活が 落ち着いてきたので、また読書に没頭し、


高校卒業後は 大学進学は 経済的に無理で、


働きに出た。そこで 場面緘黙を 克服し、初めての給料で


欲しかった本を買い、残りの半額を 母親に 手渡した。


自分の能力を 存分に発揮できるのはうれしかったし、


社会は 私の 能力を 評価してくれたから、やりがいがあった。


夫と出会い、結婚し、夫の家族との 同居で 様々な事があったけれど、


夫の家族は 私にあれこれ 言ってきたけれど


「これが この人たちのマイルールなんだなあ」と思えば


別に 何とも感じなかったし、


「いついつに水道を止めます」とか言うお知らせも来ないし


家のローンの 心配もない。


「あんたは なんにもできないねえ!」と言われても


それは 事実だから はいはいと返事して


どうすれば それができるかを考えて 実行する毎日だった。


焼き魚定食が 欲しい人に


キャビアやフォアグラ出したって 不満がつのるだけだし、


その逆もそうだろう。


相手の 望むものを 与えられないのだから、文句が来るのは


当然である。


あいまいな 暗黙のルールで 一杯だった 学校や


実家より 非常に簡単な ルールである。


オーダー通りだしても それは当たり前だから、


ほめられたりはしない。


オーダー間違ったら クレームがでるのは 当たり前である。


文句で済めばいいが、下手したら 「お詫びの品」やらを


出さなければならない事もある。


だから 世間の人から見て 過酷で不幸に見えても、


私は 幸せな人生を 送ってきたし、これからも


何が起きても 幸せである。



先日の 沖縄講演の 食事会で、「愛知出身」という人に


あれこれ 言われたが、住んでいる土地でどうのこうの、というのは


私にはどうでもいい事である。


夫は 住んでいる土地に 愛着を持っているので 多分一生ここに住むだろう。


不便な土地なので、どちらかが 動けなくなったら 買い物にも行けず


生活に困るが、その時はその時で考えようと思う。


老後の心配より 今日の夕飯である。


米櫃は一杯だし、味噌も醤油も 野菜もある。


今日も 生きられる幸せ。


本を読んだり パソコンで遊べる幸せ。


日日是好日である。









支援者なくとも、自閉っ子は育つ 親子でラクになる34のヒント
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