「山の あなたの空遠く・・・」の 詩が、
私には 理解できなかった。内容は理解できても、
「幸せを探しにいく」という 感覚がわからなかった。
私にとっての幸せは、
幼少期は 読書であったし、
学童期は 生活苦の中、親やきょうだいが 機嫌よくしている事だった。
未熟児で生まれた私は きょうだいを背負う力もなく、
ランドセルに中味を入れて背負ったら 歩けないどころか
ひっくり返ったくらい力がなかった。その私にとって
走り回るきょうだいを 静止したり 泣きわめくのを
黙らせたりは 至難の業であった。
思春期は 生活が 落ち着いてきたので、また読書に没頭し、
高校卒業後は 大学進学は 経済的に無理で、
働きに出た。そこで 場面緘黙を 克服し、初めての給料で
欲しかった本を買い、残りの半額を 母親に 手渡した。
自分の能力を 存分に発揮できるのはうれしかったし、
社会は 私の 能力を 評価してくれたから、やりがいがあった。
夫と出会い、結婚し、夫の家族との 同居で 様々な事があったけれど、
夫の家族は 私にあれこれ 言ってきたけれど
「これが この人たちのマイルールなんだなあ」と思えば
別に 何とも感じなかったし、
「いついつに水道を止めます」とか言うお知らせも来ないし
家のローンの 心配もない。
「あんたは なんにもできないねえ!」と言われても
それは 事実だから はいはいと返事して
どうすれば それができるかを考えて 実行する毎日だった。
焼き魚定食が 欲しい人に
キャビアやフォアグラ出したって 不満がつのるだけだし、
その逆もそうだろう。
相手の 望むものを 与えられないのだから、文句が来るのは
当然である。
あいまいな 暗黙のルールで 一杯だった 学校や
実家より 非常に簡単な ルールである。
オーダー通りだしても それは当たり前だから、
ほめられたりはしない。
オーダー間違ったら クレームがでるのは 当たり前である。
文句で済めばいいが、下手したら 「お詫びの品」やらを
出さなければならない事もある。
だから 世間の人から見て 過酷で不幸に見えても、
私は 幸せな人生を 送ってきたし、これからも
何が起きても 幸せである。
先日の 沖縄講演の 食事会で、「愛知出身」という人に
あれこれ 言われたが、住んでいる土地でどうのこうの、というのは
私にはどうでもいい事である。
夫は 住んでいる土地に 愛着を持っているので 多分一生ここに住むだろう。
不便な土地なので、どちらかが 動けなくなったら 買い物にも行けず
生活に困るが、その時はその時で考えようと思う。
老後の心配より 今日の夕飯である。
米櫃は一杯だし、味噌も醤油も 野菜もある。
今日も 生きられる幸せ。
本を読んだり パソコンで遊べる幸せ。
日日是好日である。