20F アクリルペインティング
「・・・・・・に花束を」
花束を贈る。。。
ぱずかしくて、なかなかできないけど、いいですよね。。。
素材として自分で買うことは、多い方だと思うんだけど、
素材といっても、いける、飾る、めでる、はある意味、神様仏様を含めて誰かに捧げる。。。ような意味がありそう。。。
この時期は、花屋さんもキラキラしてる。
いいですよね。
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夏至も過ぎて、陽がすっかり短くなったと思っていたら、、、あと二週間で冬至???
ま、冬至過ぎれば後は陽が長くなるはずだから、それを楽しみにしよう。。。
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え!? この絵、花束というよりPOPカップアイスみたいね!! って??
図星。。。そうなんです、最初はワールドコーンカップを描くつもりで、コーンカップにのるのはアイスだったけど、
どうしても、黄色系のバックにしたくて、それで、なんか、こんな感じになってしまった。。。
ま、背景を黄色系にしたいというのがテーマだったから、コーンカップが花束になっても主題がずれたわけではない、なんていいわけ、いいわけないか??
でも、どこかに、テーマがあっちゃこっちゃで、一本筋に通らない銘画ってないのかな? あるかも。。。探してみよう!!
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花束といえば、「アルジャーノンに花束を」が頭の隅にあった。
この小説は、学校の推薦図書になってるようだが、年齢を積んだ人が読むと、大まかにいうと人生の極端な縮図のようにも読み取れる。。。
主人公のチャーリーとアルジャーノンの能力開花とその萎む曲線グラフと、それでもチャーリーはチャーリー、アルジャーノンはアルジャーノンという曲線のない最初から最後までフラットな線。。。
なんか、人生の縮図。。。。
アルジャーノンに、今日描いた花束を一つ贈りたい。。。
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F20 アクリルペインティング
今回のタイトルは「まなざし」です。。。
え!? 眼も口もないのに、まなざしだって?? って?
はい、その思いだけで描きました。。。
いいんです、心の眼というのもあるし。。。
まぶたの裏に映る情景もあるし、
眼病みでも、まなざしを送ることはできるはず。。。
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ま、わたしが、眼口を描かないのは、前にも書いたかな?
そう、上手く描けないから、、、
分類的にそれらしくは描けるかもしれないけど、でも、違うんだよね!!ってなっちゃうんだよね。
だから、描かない方がいいということになってしまう。。。
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それはそうと、今朝挙げたブログのライスハンバーグ、
朝は、ハンバーグのつもりで、熱々をソースケチャップで食べたけど、
さっき、冷蔵庫から出して、めんつゆ醤油で食べたら、
美味しい~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~!!
これは、ハンバーグじゃなくて、焼きおにぎりのカテゴリーに入るものだった。。。
焼きおにぎりとして食べれば、美味しい~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~!!
ということでした。。。
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F20 アクリルペインティング
こんな季節の雨。。。
ここ数日、こんな天気であると予報されていたから、描いた。。。
ちょっとどんより寂しい雨だけど、、、
行き場のない雨が、どこかでほっとする気分にする。。。
わたしだったら、相合い傘かへへののもへじを描いたかもしれない。。。
濡れた道を走るタイヤの音や、学校帰りの子供の声が聞えても、特に意味ある音は聞えない。。。
静寂。。。
音もなくガラスをつたう滴。。。
こうすると、外の風景がいつものように見えるので、外からも自分がこんな風に見えるのだろうかと思う。
実際見えるのだろうけど、気にとめる者はいないだろう。。。
そんな雨。。。
いつか、描きたいと思っていたこんな季節の雨。。。
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20F アクリルペインティング
「プラスワン」
え!? プラスワン?それで?? って?
まあ、そうなんだけど、、、
そうなんです。
世の中なんて、プラスマイナスゼロで帳尻があうんだろうけど、
こんな時代だから、それがあたりまえに思えるんだろうけど、
それでも、どっかで、プラスがあって、
どこかで、だれかが、一時でも、幸せだと思える時が、ひとつ増えたらいいじゃないですか。。。
そう、ものは考えようということで。。。
70億の民が、「ものは考えよう」ということを気にとめてくれたら、ちょっといいでしょ。。。
なんて思いがあって、
プラスワン。。。
カレーにらっきょうをトッピング、くらいのプラスワンでもいいから。。。。
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20F アクリルペインティング
読書の秋。いいんじゃないですか。。。
ちょっと、心の蓄えも欲しくなる時期。。。
「書を捨てよ町に出よう」は、少なくとも、「書を捨てて町に出よう」を読んでからでないと、当時の「書を捨てて町に出よう」の意味がわからないんでしょうね。
この言葉、今後、どうなるんでしょう。。。
それはいいとして、
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絵の世界も、時代の寵児を生み続けてきたような。。。
そこにはいつも、時代を背景にした革新の眼があったと思う。
そう考えなければ、ピカソもウオーホルも到底理解できない。印象派すら理解できたとはいえない。
じゃ、現在は、、、
きっと、印象派の時代も、ピカソの時代も、ウオーホルの時代も、くそみそ一緒に右往左往しながら絵描きがもがいていたんだろうなって思うから。
現在も、、、
しっかりと見据えブレのないようにしなければ、才能のない人はくそみそにしかなれない。
でも、そこに意味がないわけではない。。。。でしょうが。
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それはそうと、ピカソのゲルニカを初めて覧たのは、中学か高校の美術の教科書であった。それはピカソのゲルニカを知るきっかけにはなったが、当時のゲルニカの町がどうであったか、それを知るピカソの心の作用がどうであったか、は教えてもらえなかった。
ウオーホルのスープ缶は、今の美術の教科書に載ってるんですかね? 載ってたら、どう説明されてるのか聞いてみたい気がします。
芸術は爆発だ!! スープ缶を温めると爆発する~~~~!!!
たぶん、そんな閉塞感の打破が、スープ缶や芸術は爆発だ!!に繋がると解釈して、いいのかな??
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ま、そんなこんなで、
わたしの描いてる、趣味みたいな絵も、スープ缶の味がすればいいのだけど、、、、
それはいいとして、
今は、なにも美術館に行くだけが絵を感じることではないような気がする。。。
町に出れば、そのエッセンスが散りばめられてられている。
だけど、そのエッセンスを汲み取るには、その能力が必要な気がする。
そして、その能力を引き出すものとして、書はまだまだ有効なはず。。。
わたしの絵の彼女が読んでる書が、そんなことに少しでも関われられればと思うんですけどね、、、、
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あ! こんな風に理屈?をこねくりまわして書いたけど、気の付くままに書いただけで、今回のわたしの絵の善し悪しとは関係ありませんので、、、
あしからず。。です。。。
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昨日、えらいものをみつけてしまった。。。
実は、今年の秋口だったか、スズケンさんという方のツイッターを覧てからのこと、、、
わたしは盲目的にデュシャンを愛していたが、その美について一歩踏み込みたくなった。。。
その美術活動については、19世紀から現代にいたるうねりの中にあったものとおもわれる。
ま、それも、わたしの盲目的に感じていたことであり、
その美術における活動の変化、概念の変化、個々の脳内における変化は、わたしにとって不思議の域だった。
ま、勉強不足ではあるが、生来の頭のできもあるから、それなりにそれなりということか!?
それはいいとして、
スズケンさんのデュシャンを受けて、今年の10月19日のブログで、
「革新」と「見たて」を元に、デュシャンの泉と利休の黒楽を比較検討したら、もっとデュシャンに近づけるのではないかと閃いた。。。。
そんなことを、気にとめていたら、
昨日、、、、
丁度一年前の2018年10月2日から、国立博物館で「マルセルデュシャンと日本美術」をやっていたのだ。。。
もしかして、わたしの脳裏に記憶としてあったのか???そして、それが一年後に呼び覚まされただけなのか???
わたしの閃きではなかったかも知れないことに残念。。。。
そして、
デュシャンが利休を知っていた可能性がなくはない。。。と思われることに目から鱗。。。
また、デュシャンが固定概念からの脱却、革新、すり替え(見たて)を、利休にみたかもしれないと思うとちょっとワクワクするわたしにとっての朗報だといえる。
ま、革新、見たては歴史的には利休を取り上げるまでもないだろう。
鍋の蓋を薪にして燃やしてしまった!!じゃ、そこらの朴葉でも鍋に被せておけ!!も「見たて」であるから。。。
でもそんなことを、美術に応用し、概念を変えてしまったこと、そしてその概念が今後も、あたりまえのこととして残って行くだろうことを考えると。。。
もしかして、美術の潮流に与えた日本文化の影響が多大なものだったかも、なんてひいき目でみたくなる。。。
わたしにとって、デュシャンがより身近になった気がする。。。
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20F アクリルペインティング
タイトルは「ピオニーライスボール」
和文字にすると、一瞬にして、ばかばかしいと思われる感じだから横文字にした。。。
直訳すれば、ピオニーライスボール = ぼた餅。。。
この直訳は、中学生でわたし程度のレベルの頭ならわかるはず。。。。
ちなみに、外人には通じない。。。
ぼた餅、英語にすれば、BOTAMOCHI。。。
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それはいいとして、
今回の絵は観ての通り。
棚の上のぼた餅を探す女子。。。
女子 「あれ?どこだろう?ない?」
わたし「あああ、もちょっと左、左!!」
女子 「左??うそ!さっき探したわよ!!」
わたし「うん、とにかくもう少し左に手を伸ばして!!」
女子 「えええ、もしかして、あんたの言ってる左は、あたしから見たら右じゃないの??」
わたし「うんうん、そ、そうだよね、たぶん、、、」
と、言いながら、わたしは女子と同じ格好をして、こっちが右手でこっちが左手と、確かめる。
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人間万事塞翁が馬という諺なんて、塞翁が馬なんてなんだ?ということでめんどくさくて意味を理解しないようにしていたついこの間まで、
わたしの座右の銘の一つは「棚からぼた餅」だった。
もっとも、わたしの座右の銘は、八百萬あると自負している。
そのうち、八百は嘘だけど。
え!? あんたの嘘は、八百萬分の八百??嘘でしょ!! って?
まあね。。。
でも、常々考えるのは、冗談半分の残りの半分も冗談だった、と思えても、
逆立ちしてみれば、100%冗談も噛みしめればなかなかいい味を出している人生訓になるかも、ということかな。。。
え!? つまり、八百萬分の八百を逆さにみれば、八百萬ひく八百の残りがあんたの嘘。わかるわかる!! って??
えええ、そうなるの??そんなつもりで生きてないし、、、
なんだか、こんがらがってきた、、、
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そうそう、棚からぼた餅に戻れば、
重要なアイテムが棚である。
つまり、棚の上というのは、観ようによっては結界。異次元ですね。
御棚に祀り、祈願なんて普通にします。
それはそうと、
棚卸し、、、意外な結果で悲喜こもごも。。。まず、帳簿と合わないのが常。。。
棚ざらい、、掘り出し物が出てくる予感でワクワクするが、ほぼ二束三文。。。
棚上げ、、、徹夜で考えたプレゼンが時間切れで、次回に棚上げ、、、
あれ?いずれも、棚からぼた餅、瓢箪から駒、濡れ手に粟、漁夫の利、等々とはほど遠い感じ、、、、
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そんなこんなで、
棚からぼた餅を、自分なりに絵にしてみて、
その絵から紡ぎ出される?言葉を表すとこうなるんだね。。。
・・・・・・・・・・・
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なんか、変???
棚からぼた餅について感じたことを並べてみたけど、
なんか、ずれてる、、、
その仕草、あいらしく描けたかな?で、いいのか!?
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20F アクリルペインティング
タイトルは、「ペーパーバッグ」
ま、紙袋の方が身近だけど、「紙袋」なんていうタイトル、日本じゃ通用しない。。。ですよね。
でも、「ペーパーバッグ」にすれば、
パリだったら、バケットの2~3本顔を出しているペーパーバックを籠に乗せたママチャリがスイスイ。。。
NYだったら、美人さんが交差点で靴紐を直そうとしたら、袋からオレンジが2~3個落ちてコロコロコロ。。。
って、日本人は考えるのが普通ですよね。。。。??
ま、この絵のペーパーバックはバケットの入るような大きさではないけれど、
何が入ってるんだろう?と思ってもらえることがテーマです。
たぶんこの絵の彼女は「ふふふ。。。何が入ってると思う??」と言って、教えてくれないでしょう。
わたしは、たぶん、肉まんか、焼き芋じゃないかと思うんですけど、
彼女のとっても好きなもの、大事なものなんでしょう。
ま、肉まんとか焼き芋じゃなくても、
なにかほっこりするもの、が入ってるかも。。。
例えば、冗談半分の残りの半分も冗談とか、滑って引っかからない引っかけ問題とか、
そんなんだったらいいですよね。
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