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おおこしひろし//あーとわーくえとせとら

戦後60余年

2008-03-30 | 日記・エッセイ・コラム

025 戦後60余年になる。

この歳になって、大正、昭和(戦前、戦中)のことが、気になる。

日清、日露~太平洋戦争に至る経緯がなぞであった。

父は海軍の技術屋であったが、当時、政治的判断などしようもなかったであろう。

ましてや、中国の状況にも、米英の戦略にも 、無知であっただろうし、特に知らされてもいなかっただろう。

日本自体が、欧米の潮流のなかで、右往左往していた時代でもあった。

今は知らないが、私の子供のころに習った歴史は、せいぜい日清、日露位までである。

戦後、米国の統制や、共産主義のベールにより、知ることなどできない時期でもあった。

そして、戦後60余年。

日本人だけでも、数百万の死者を出したことを考えると、自分が1個人として生きている今、人間とは・・・と思う限りだ。

ちなみに、父は、子供たちに、「質実剛健」という言葉しかのこさなかった。

それは、言葉たらずであると思えるが、大きな言葉でもあると思える。


木星

2008-03-28 | 日記・エッセイ・コラム

027_2 このあいだ、TV番組の「ニッポンの教養」で、太田君が、木星は、意思をもって、太陽の周り回っているかも、という様なことを言っていた。

そもそもの話は、人間などの生物は意思をもって行動するが、星や太陽には意思がある訳ではないという話であったと思う。

私は、人間の行動も、星や太陽の動きと同じように、一つの現象であると思う。

人間の行動が意思に基づくというのであれば、宇宙の動きも意思に基づくのではないかと考える。

いや、人間の行動は、宇宙の意思に基づくものではないかと考えている。


ピカソ

2008-03-26 | 日記・エッセイ・コラム

026 ピカソの良さがわからないって?

もっともだ。

こどもが描いたのと同じじゃないかって?

もっともだ。

ピカソが、ピカソである訳は、西洋美術史の流れをたどらねば解らんことだ。

そして、ヨーロッパでなければ生まれなかったであろうということだ。

だから、ピカソを解ってもいいが、解らんでもいいのだ。

でも、北斎は解っていてほしいものだ。


ホテイアオイ

2008-03-22 | 日記・エッセイ・コラム

001 久しぶりに、ペット館に行く。

めだかの餌を買ったついでに、館内を見てまわっていたら、元気なホテイアオイを売っていた。

まだ、外に出すには季節が早いだろうと思いながら、つやのある葉を見ていた。

家では、冬越しにチャレンジしたホテイアオイが、息たえだえに、わずかに緑を残している。

ねばれ!ねばれ!もう少し暖かくなったら、元気になれるかも。


石原莞爾と昭和の夢

2008-03-16 | 日記・エッセイ・コラム

Hteh 石原莞爾と昭和の夢を読んでいる。

そこで、一つの文が気になった。

「世界大戦のような大きな事件を、独力で起こしうるような、いかなる巨大な悪意もこの世には存在しないのであり、この事こそがいかな巨大な悪意よりも恐ろしいのだ。つまりは人間の当たり前の判断や認識と、その齟齬こそが重大な結果をうむという事実よりおそろしいものはこの世に存在しはしないのである。」

これは、国家も個人も同じく適用される認識だろう。

まずは、自分が良いと思う判断や認識は一度疑うべきだろう。

そして、いかなる具体的な神や教義等の過去のものをも。

当たり前の判断や認識は、どこにでもあり、しかも良いものばかりではないのだから。