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おおこしひろし//あーとわーくえとせとら

脈絡はないと言えばないが

2014-03-30 | 日記・エッセイ・コラム

221エゴイスト、

抒情、

ミロのビーナス、

の言葉がでてきた、

これらの言葉に脈絡はない、

ただ、

ちょっと、今はあまり使われない?言葉、

  エゴイイストといってもファッションブランドではない、 自己主張が強いくらいはいいが、我水引田されるのは困る、 水だって、死んでも流れてやるもんかと思うだろう、 我水引田は、間違った絵を描く恐れがある、 ・ ・ ・ 抒情、 現代における抒情とはなにか、 いま、わたしの中に流れている血のようなものか? いい絵かどうかは、血が通っているかどうかで決まる、 ・ ・ ・ ミロのビーナス、 プロポーションについて考えてみたら、 ミロのビーナスが頭をよぎった、 初めて、あのプロポーションがいいのだと思った、 つまり、中肉中背、黄金分割、 今のモデルは服を映えさせるためのモデル、 あれがいいと勘違いしないでほしいものだ、 ・ ・ ・

桜咲く

2014-03-29 | 日記・エッセイ・コラム

219ちょっと外に出れば桜のみごろのようだ、

でも、

桜とは関係なく、

外からも内からも、変革の時が、

もう、新しい目的はできたのかい?

もう、進んでるのかな、

それならいいが、

桜が毎年この時期咲くように、

いや、桜とは関係なく、

次のステージが待っているはず、

そう考えたい、

進んでいれば、10年、20年先がはっきり見えなくとも、

10年、20年先は変わっているはず、

ひとつのステージを完結させるのに20年かかったひともいた、

完結といっても、第一章の完結にすぎないだろうが、

うん、目的ができていれば、進むだけだ、

目的がなければ、自分を篩の上でゆさぶり残ったものが自分の使命、

なれば、それに没頭すればいい、

10年、20年、

気にやむことはない、

自信がないなんて思うこともない、

完結なんてもともとないのだから、やれるだけやるだけ、

目標を高くもって、

進むだけ、

自分の目標を達成できなくたっていい、

どんなに偉いひとだって、みんなそうなんだから、

ま、

これもわたしの想いにすぎないかもしれないが、


春のとある休日

2014-03-21 | 日記・エッセイ・コラム

218春のとある休日、

つまり、今日だけど、

ちょっと、悲しい、

いや、ちょっとじゃない、

人間というのは、なぜに個々に差あるんだろう、

あたりまえのことであり、そうでなければ人類全体として生存していくことが叶わないのだろうし、

皆同じではつまらないのだけど、

やはり、差があることが、むしょうに悲しい、

物質的な差、そんなのは個人の必要な分があればいいのだ、

物や金があったらあったで悩む人もいれば、あるがゆえの悩みもある、

心の差、これがちょっとやっかいだ、

言葉ひとつでも、受け取り方が違う、

風景をみても、そこから受ける印象は違うと思われる、

だったら、一つの林檎をみても、それぞれ違う林檎にみえるのだろう、

一つの発した言葉が、違うふうに受け取られる、

受け取った人間がわたしでない限り、違うふうに受け取られるのはしかたないか、

でも、違うふうに受け取られるのは淋しいことだ、

これが、違いを説明すれば意図を理解してもらえるならまだしも、

その言葉をやりとりした時点で、理解してもらえないことが判ってしまったときの淋しさ、

そして、その言葉がわたしの意図する言葉とはかけ離れた言葉となって増長されあらぬ方向にいってしまう、

そんなとき、

人間の心に差があることが、悲しい、

こんなことを感じるのはわたしだけではないだろう、

たぶん、みんな、そう感じながら、それでも生きていく、のだろう、

こんなことを、親はどう感じていたのだろう、聞いてみたかった、

ま、

こんなことは、昔話や小説や論語にだって書いてあること、

永遠のテーマ、

いや、こんな悲しみがあるから、小説は成り立っている、ようでもありそうだ、

・・・・

そっか、

昔話も小説も論語も、林檎と同じ、人によって受け取り方が違うということだね、

そんなことで、

春のとある休日、

ちょっと、悲しい、

いや、

この悲しみを絵にするか、

・・・・

できるかな・・・・

運良くできたとしても、

この悲しみがわかってもらえるのかな、

そういえば、

むかし、お笑いコンビかなんかで、

「わかるかな~~~、わかんねえだろうな~~~~」って、言ってた人がいたね、

ふと、思い出した、

お笑いにしておちゃらける、

これも、同じようなことかもね、

そして、たぶん庶民文化の底流をなすものかもしれないね、

笑うしかないのかい?

そうかもね、

でも、

笑うしかない・・・・

例えば、その言葉が、わたしの発した言葉がわたしの意図とかけ離れ、その言葉が誰かの人生を方向転換させても、

笑うしかないのかい?

・・・・・

良い方向にいけばそれはそれでいいのだが・・・


記憶

2014-03-16 | 日記・エッセイ・コラム

217記憶、という言葉がでてきた、

で、

わたしの記憶について考えてみた、

若い時は、幼児の記憶が芽生えた頃から、若い時の当時の現在までに見聞きしたことがおおむね記憶の範疇であった、

それ以前のことは、歴史の知識として脳にインプットされているにすぎなかったはずだ、

つまり、脳が記憶するという認識であった、

しかし、

最近は、記憶という言葉を聞くと、

幼児の記憶が芽生えた以前の、どうしても消えない幻想的な画像も記憶の範疇として入っているのではないかと思えるし、

そうすると、よく言う、お腹に入っている赤ちゃんの記憶というものもあるだろうと思われる、

いや、それ以前の親の代、そして祖先にも遡る想念が記憶の範疇に入ってくるのである、

たぶん、これが受け継がれていくDNAというものか、

そして、このDNAが、歴史書の史実等にも反応し、記憶としてインプットされる、

この記憶が強烈であったとき、タイムスリップ??

ま、

歳をますごとに、脳の記憶より、DNAの記憶の方が、その時の生きて行くうえでの比重が重くなるようだ、

たぶん、これが親子の関係、近しい親族の関係が重視される所以かもしれない、

つまり、親の言うことには聞く耳を持った方がいいのだろう、

逆に言えば、いくら目上でも他人の言うことは注意深く吟味する必要がある、

なぜなら、他人は記憶のルートが違うからだ、

こうして記憶について考えてみると、

年寄りにありがちな、子供帰りの言動も理解できる、

昔のことばかり言う人も同様かも、

これは脳の記憶されたもののうちの、都合の良い部分や鮮烈な部分だけが残っているのかもしれない、

だから、若い人は、年寄りに対し、ぼけたとか、また同じことを言って、とか思うのはかまわないが、その年寄りの言動はちゃんと自分の胸に留保しておくといいのだろう、

うん、

とにかく、

わたしの場合、若い時の記憶の概念と、歳を重ねてからの記憶の概念が違ってきたことを感じる、

これもまた、ひとそれぞれであるだろうが、

そんなことをトイレで感じた、

トイレの神様が、こんなきれいでもないトイレに降りてきてくれたのか?


玉葱

2014-03-15 | 日記・エッセイ・コラム

215玉葱に芽が生えていたために、

玉葱の味噌汁を作るのに、こんな絵を作るはめに陥った、

必然的に生えた玉葱の芽を偶然目撃し、必然的に絵を作ったともいえるし、

必然的に生えた玉葱の芽を偶然目撃し、必然的に味噌汁を作ったともいえる、かも、

それにしても、

もうちょっと、玉葱の表現に色気がほしかったな!

 


口からでまかせ袋

2014-03-15 | 日記・エッセイ・コラム

214ほらほら、

なにやってんの、

秋の陽はつるべ落としというけれど、

春だって24時間しかないんだよ、

ほら、もう夕方だ!

歳をとると時間が短いっていうけど、

若くたって24時間しかないんだからね、

何をやっていいかわかんないって言って、無駄しちゃいけない、

気の着いたことをこつこつやってるやつが勝ちさ、

こつこつだって、こつを一つやらなきゃ次のこつが見えてこない、

こつこつしたってなんになる、って?

そりゃそうだ、

わたしも若い時はそう思った、

なにかでかいことが閃くまでと思っていた、

でもね、目の前にジャンボ飛行機が落ちてくるようなでかいことは起きなかった、

それで、ジャンボ飛行機が落ちてくるんじゃないかって、いろんな所を彷徨った、

でね、

とうとうジャンボ飛行機は落ちてこなかった、いまのところ、

だけど、彷徨ったことでなにかが形成された?ような気がする、

形成されたなんて実感できない、って?

そりゃそうさ、

彷徨うたびに、ボディーブローみたいの効いてくるのさ、

わたしの場合、彷徨っても親が容認してくれた、

そういう意味では、親に感謝するし、自由だった、

本当の自由なんてない、って思うだろうけど、

余ったエネルギーを発散させるだけの自由は必要だし、

それを妨げるなにおもをも、許せるものではないと思っている、

水は流れが止まると腐る、

そんな時は水の流れに沿って道を作ってあげるのが人の道ってもんだろう、

おおおうに、あらぬ方向に流すやつもいるが、そんなのは言語道断、

水に流れたい方向を聞くべきだ、

ま、

わたしの場合、

人が作った大河と大河の間をすり抜けて流れているのかもしれないけど、

これもまた一興、

大河が見えるからね、

大河に入っちまったら、大河にいることさえ自覚できない、

ま、たまにはその大河に飲み込まれ、それを実感するのもいいけどね、

と、書いてきて、

もう夕暮れ時じゃないか、

ま、

夕方から夕暮れ時になったことを実感できるくらいに、自分のなにかを形成できればいいんだが、

そうもいかないのが現実、

でも、

口からでまかせ袋から、すこし言葉を出して文字にできたかな、

この作業、ストレス発散にはなるかもしれないけど、

どういう言葉が出てくるか、出るまでわかんないところが難点で、

また、そこが面白いところかも、

ま、このストレス発散、あくびみたいなもんだから、

そんなの読んでないで、自分のことを考えなくちゃね、

そっか!

彷徨ったり、堂々巡りもいいのか、

それでも、なにかが形成される・・・

かも、

でも、なにかのアクションも必要だよね、

そのアクションから想定される答えが出なくたって、

なにかが変わるはず、

水だって始終かき回していれば腐らない、

カレー鍋だって焦げ付かない、

たまに、読み返してみて、自分でも不明な文があるんだよね、

まったく、口からでまかせ袋って、いいかげんなんだから、困るよ、


CDを2枚

2014-03-09 | 日記・エッセイ・コラム

214今日、ビリー・ホリデイとジミヘンのCDを買った、

で、

ジミヘンを聴いてたら、こんな絵になった、

なんじゃ!これなら自分だって描ける、って?

そうさ!

だれだって描ける、

描けないとしたら、自分は絵が下手だって思ってるからさ、

人に恥ずかしいところをみせたくないって思ってるからさ、

絵なんて、ご飯を食べることぐらい簡単さ!

あ!

確かに、ジミヘンを聴いていたらこんな絵になったけど、

ジミヘンのギターは、繊細でストイックだよ、

少なくともギターはね、

他は知らないけど、