ピューピューピュピュー ピューーー ピューー
駅から家まで、いつもなら12分程度で着く距離
何分かかっただろうか。
さむーーー
ピューピューー ピュピュピューーー さむー ピューピュー
旅人の外套を脱がせるゲームでは、お日様が勝った。あの時の北風は、みんなに白い目で見られて・・・そう、あの童話を読んだすべての人が、北風は悪いやつ、お日様に負けてざまーみろ・・・と、思われているはずだ。
でも、今日の北風は、強かった。北風が良いやつか悪いやつかは別にして、今日は強かった。雲ひとつない晴天、日差し満杯なのに、寒いーーー。
この童話の外套を脱がせるゲームでは、太陽が勝ったが、太陽と北風のどっちが強いかは別であり、この童話は最初から太陽を勝たせるための話であったことに、今日気がついた。
[啼かせてみよう 本歌鳥のコーナー]
「お月天道さん黒雲たより わたしゃあんたのお足がたより」
来年に、持ち越しいっぱいあるけど、とにかく、仕事納め。
今日は、うなぎで〆た。ごちそうさんです。
食いすぎたー、日本橋から、神田に出たが電車に乗る気になれず、フーラフラ・・・
スタバに、入って、コーヒーたのんで、水もらって、胃薬飲んで、コーヒーの入る余地なし、
残してしまった。
スタバに行くと、ロスのスタバで、結構でかいカップを店の中で、ひっくり返してしまったことを思い出す。
とうとう秋葉原まで、歩いてしまった。人がたくさん、街はキラキラ、でも、オタク、オタク見習い、オタクOBの男性が、多い。やっぱり銀座と、チョイト違う。
途中でお茶を買う。
上野まできたー。改札を出てしまった。糸の切れた凧だー。もうすぐ正月だなー。
駅のエントランを歩く、今夜は、カップルが多い。ほほえまし。
やっと、家路の電車にのる。電車の中では、暴睡。乗り越さなくてよかった。
[啼かせてみよう 本歌鳥のコーナー]
「宝貝 いくら積んでも貝の山」
彼に安住の地はあったのだろうかと、思ってしまう。
長野にも、東京にも、アメリカにも、
これは、ただ私が思っていることであり、どうでもいいことかもしれない。
はじめ、彼の存在は、なぞであった。
名前だけが先行し、作品を見る機会はすくなかった。
そのうち、見る事が多くなった作品は、アメリカからのものであった。
その、耽美でやわらかい表現は、池田満寿夫そのものに見えた。
アメリカ人を日本的に表現したとでも言うべきか。
私は、表紙に掲載されている彼の作品のために、MIZUEを毎号買った。
私にとって、池田満寿夫は、横尾忠則とならぶ双璧であった。
だから、欲を言えば、彼にはずっとアメリカに居てほしかった。
そして、アメリカで日本人池田満寿夫を、発信していてほしかったのだ。
いま、彼を過去形で、呼びたくなかった。
しかし、彼の仏塔の作品をみると、すべてが自然であるように去っていったのであろう。
[啼かせてみよう 本歌鳥のコーナー]
「冗談半分で言ったことの、残りの半分が冗談だったなんて、冗談じゃない」
ぼくらの若いとき、
横尾忠則と、
池田満寿夫は、
ぼくにとって、偉大な双璧だった。
堀切に、住んでいた友達が、ある日、うわさに聞いていた深沢七郎が開いた今川焼きの店「夢屋」の包装紙を、持ってきた。
それは、車内ポスター大の紙に、モンロー風?の女が描かれていて、回りの地が、ピンクと赤だったと思う。
ぼく等は、
深沢七郎が、今川焼きの店を開いたことに、狂喜。
横尾忠則が、包装紙を描いたことに、狂喜。
深沢七郎と、横尾忠則の、ジョイントに、狂喜 した。
横尾忠則氏は、今でも精力的な仕事をしてる。 すごい。
天井桟敷は、偉大な作家を育てた。
[啼かせてみよう 本歌鳥のコーナー]
「親の因果のその果ての 刹那心に帆をかけて」