ポケットにつっこんだ手のひらの中に、10円玉が握られている。
今日は、電車のなかで、息子の置いていった「あきはばら@DEEP」をよんだ。
久しぶりに、香りがした。
いままで、海軍ものばかり読んでいたので、「あきはばら@DEEP」には、若者のいとしさとせつなさをひめた香りがあった。
と、いってもまだ読み始めだが。
これとは関係ない話だが、帰り道、ポケットの中に握られた10円玉が孫悟空に思えた。
おれの手は、仏の手のひらか・・・いや、いや、ちがう。
仏の手が宇宙より大きくとも、孫悟空は、手のひらの中でもてあそばれたりしない。
きっと、孫悟空は、この手のひらをすり抜けて、羽ばたくはずだ。
いや、もう羽ばたいている。
所詮、仏の手のひらの中よ、と言っているやつよりも、じたばたしているやつのほうが、魅力的なのだ。
じたばたしているやつほど、いつか高みに上るだろう。
この手に握られた10円玉も、明日にもおれのてから離れ、これから数千キロにもおよぶ旅をするのだ。
飛べ、10円玉、きんとん雲に乗って駆け巡れ。
しかし、福沢諭吉先生は、そっけない、いつも、ちょっと寄って、せわしなく何処かへ行ってしまう。
[啼かせてみよう 本歌鳥のコーナー]
「仏に三千に救いの手あらば、人に三千の煩悩ありか」
と、いうより地面にちょっと顔を出しているたけのこの話をしていると、大家さんが、持てっていいよ、と言ってくれた。
わーお、今年も美味しいたけのこがたべられる。
しかし、掘るのが、たいへんなんだよなー。
素人が鍬で掘っても、やたら周りばかり掘ってしまい、あげくの果てに、たけのこに中途半端に鍬を入れてしまい、悔しい思いをする。
だから、スコップで掘るのだが、これもまた、地面にはいつくばって結構たいへんなのだ。
竹の根が縦横に這っていて、スッコプを振り下ろすと、根にカチーンとぶつかり、去年は、手のひらの皮を剥いてしまった。
今年のたけのこは、まだ、小ぶりであったが、やわらかく、みずみずしい。
早速、味噌汁にする。
また、たけのこをいただけるお祝いに、蓮根のきんぴらと、かぼちゃの煮しめと、にんにくの茎と豚肉の炒め物を作った。
こりゃあ、はなまつり だ。
いや、昨日は、本当のはなまつりの日であった。
おしゃかさま、ごめんなさい。
[啼かせてみよう 本歌鳥のコーナー]
「まんじりと 重箱の隅に座する飯粒」
いや、くせと言うより、もろ、性格がでる。
読み取り窓を、スイカでふき取るように、こすりつける人。
べちょっと押し付けて、一瞬止める人。
スイカの端を、指先で持ってポンとたたく人。
読み取り窓にたたきつけるひと。
いいかげんにかざして、通りすぎようとして、ピンポンとなり、それでも、元の位置に戻らず体をよじって手だけのばす人。
今日も、私の3人くらい前にいた人のところで、ピンポンと鳴った。
その人は、あれ!おかしいというけげんな顔で、スイカを見ていた。
そして、改札の向こう側で、おじさんが、もしや俺かも、というちょっと不安そうな顔で、スイカをみていた。
結局だれが鳴らしたか、私にはわからないまま、改札を通りすぎ、いつものように電車に乗ってしまった。
ピンポンと鳴るのは、いわゆる警報なのであるが、みんな気にもしない日常の音になっているようだ。
[啼かせてみよう 本歌鳥のコーナー]
「スイカわり さんべん回ってワンと啼く」