ARTWORK.ETC

おおこしひろし//あーとわーくえとせとら

2008-04-29 | 陶器

5y5 自分は今日、何をしていたんだろう と思う。

でも、手は何をしていたか、すべて知っているようだ。

手に聞いてみると、指先がかなり疲れているという。

自分は、なにやら物足りない一日だったのだが、手はまんざらでもなさそうだ。


マッカーサー通り(2)

2008-04-28 | 日記・エッセイ・コラム

011 手負いの日本兵が、うずくまっている。

手前の池は、3月10日の隅田川のようだ。

都市は、はたして良い方に変化していくのだろうか。

私にしてみれば、高層ビルより、この家のほうが、うつくしい。

この再開発で、この家と池をそのまま残すなどという粋なはからいは、絶対ありえないだろうな。


猫のひたい

2008-04-26 | 日記・エッセイ・コラム

Img465 春になると、猫のひたいに花が咲く。

猫のひたいには、2種類の紫の花が咲く。

都忘れともう一つ、調べてみたらアジュガと言う草だということが判った。

近い花に、十二単というのがあることも判った。

十二単なら、都忘れとイメージ的に合うだろうに、アジュガだとさ。

このアジュガ、なかなかのくせものなのだ。

都忘れと、アジュガは、もう十数年、猫のひたいで、毎年 花を咲かせている。

都忘れは、律儀ものだから、子供が小さいときに造った四角い砂場の跡地に植えられて以来、一歩(一本)たりとも四角い砂場から出ていない。

これに比べ、アジュガは、初めベランダから一番遠い壁際に花を咲かせていたのだが、今年は、ベランダ沿いに咲いている。

落ち着きのない奴だ。

アジュガについて、また、調べてみたら、西洋十二単と言うらしい。

おまえイタリア系か!

でも、きれいだ。


2008-04-25 | 陶器

048 最近、雨が多い。

この時期は、子供のころ、笹の芽をつんで、遊んだような気がする。

それも飽きると、廊下にねっころがって、軒から落ちる雨だれを目で追ったものだ。

その軒は樋がなかったので、軒下には土がえぐれて水たまりができ、雨だれがポチャ ポチャ  と、音をたてて半球形の泡をつくった。

泡は、できては消え、できては消えた。

だからだろうか、ショパンの「あまだれ」には、思い入れがある。


かめむし

2008-04-20 | 日記・エッセイ・コラム

010 きみを よく みかけるのだが いまいち きみを りかいできない。

きみも いっぱんてきな こんちゅうと おなじ せいたい だとおもっているのだが。

いまいち わからん。

じみ だし。

いつも かげの すみっこのほうにいるし。

ごがつも ちかいというのに じっとうごかないし。

きみの ともだちには たいように むかって とんでゆき やけしんだような むこうみずなやつは いないのかい?

わたしは きみをせめているのではない。

ただ、きみの 人生観 いや カメムシ観を しりたいのだ。


青信号

2008-04-19 | まち歩き

Dsd 最近では、信号はほとんど発光ダイオードの粒々の寄せ集めだ。

私は、あの粒々を数えたことがない。

いや、正確には、最後まで数えたことがない。

青信号を数えているうちに、黄色に変わってしまうのだ。

粒々を数えることにあまり意味はないが、黄色信号をあらためて数えているうちに、こんどは、赤に変わってしまい、あらためて数えなおす。

この、繰り返しに、意味があるかないかは別として、世の中のはやりすたりに似ているように思える。

これは、楽しむしかない。