「最近の川越は観光客に大人気」とは聞いていましたが、ほんとに人が多かったですね。川越を訪れたのは30年ほど前かなあ。本当に久しぶりでした。
昨日、私が通っているデイサービスの元気ジムが計画した「秋の日帰りツアー・小江戸川越」にばあばと共に参加して来ました。大型観光バスで家族を含む通所者40名に元気ジムのスタッフ6名が同行しました。
バスの発着は元気ジム・ひばりが丘でしたが、家との送迎は元気ジムがやってくれ、又、自分の車いすを持って行けたので、この事も楽でしたね。
午前10時出発、大泉から関越自動車道に入り三芳PAでトイレタイムを取って川越で高速を降りて川越市内へ。11時20分ごろにお昼を頂く、いも料理の老舗「いも膳」に到着しました。
食前酒の「いも膳カクテル」に始まって、お椀も出て来る料理も、デザートまでおいも一色。さすがにちょっとのどが詰まりそう( ◠‿◠ ) そうそう、お茶まで「いも茶」で、飲むとおいもの味がしました。
食べ終わって、仲居さんに「緑茶はいただけませんか」と聞いたら、「いも茶だけなんです」との答え。徹底してますね( ◠‿◠ )
午後1時に「いも膳」を出発。町中の駐車場へ。車を降りて「蔵造りの町並み」通りへ。昨日はお祭りらしくて、「蔵造りの町並み」通りは歩行者天国になっていました。踊りを披露するグループが数組出ていて、大変賑やか。人出もとても多かったですね。この辺り、以前はどんな風だったか記憶はありませんが、電柱は地中化され車道と歩道の段差はなくされ、すっきりとした町並みになっていました。
先ず行ったのは「陶舗やまわ」が開いている「陶芸・絵付け体験」。一階がお店になっている立派な蔵の裏の方が教室になっていました。
直径15㎝のお皿に、指導員の人の指導を受けながら絵付けをします。鉛筆で下書きをしても直接絵の具を塗ってもOK。絵の具は、黒・青・緑・黄色・赤の5色でした。絵、文字、模様、何でもいいですよと言われても、さて、何を書いたものやら( ◠‿◠ ) ばあばは、来年の干支・猪の字を書いていたようですが、絵心がない私は結局ごく普通の赤い柿を描きました。茶色の絵の具が無いのと輪郭を描きたい細い筆が無かったので、焼き上がりがどんな風になるのか、不安と楽しみが半々。1か月後に出来上がりのお皿が届くので、ご披露はその時までお待ちください( ◠‿◠ )
1時間ほどで終了し、蔵造りの町並み通り、時の鐘がある鐘つき通りを散策。途中、元気ジムのスタッフが「ここの抹茶は美味しいですよ」と言うので、濃い方の抹茶ソフトクリームを食べました。確かに美味しかったです。お店の名前は確か「茶和々(さわわ)」だったと思います。
少し離れたお菓子横丁にも行って見ましたが大変な混雑で、車いすで進むにも引返すにも一苦労するほどの人でした。
おいものお菓子とお漬物をお土産に買って、4時ちょっと前に駐車場のバスに戻りました。
帰りは、関越の川越入口までと所沢で下りてから川越街道に出るまでが結構渋滞して、ひばりが丘に帰って来たのは6時ちょっと過ぎでした。それから、スタッフの運転で家に送ってもらいました。
6時半ごろでしたね。テレビを点けると、稀勢の里が負けていました。ありゃー、今場所もハラハラの15日間になりそうです( ◠‿◠ )
元気ジムのスタッフが「この旅行は日頃元気ジムでやっているリハビリの効果を確かめると言う意味もあるんですよ」と言っていましたが、あんなに人が一杯じゃ、危なくて、とても歩けません。と言うのが殆ど歩かず車いすばっかり乗っていた私の言い訳です( ◠‿◠ )
絶好の天気にも恵まれ、楽しい一日でした。
川越ですか、もう何年も行ってないですね。でも20年近く前、会社の部下の仲人を川越の氷川神社でやったことがありました。中々立派な神社で巫女さんの踊りが良かったのを覚えています。その後何度か神社の式に招かれたことがありましたが、今思うと巫女さんの踊りは何処も似たようなものですね。
もう一つ川越の思い出、川越の地主の○○さんの近い親戚だと云う上司と川越の川魚の料理屋へ行った時のこと、最初にウナギの頭の甘露煮のようなものが出たのですが、一つに魚の針(ようなもの)が入っていて驚いたことがありました。ケガは無かったのですが、店主が恐縮しつつ、これが天然の魚であったと話し合った思い出があります。(本当かは知りません)
川越の思い出横丁とか、興味はありませんでしたね。保存された街並みは素敵ですが、如何にも同化し作られた建物はドウかと思いました。
でも東上線沿線には時々古い土蔵などが残っていて素敵な所がありますよ。
へへへ、では
所で、小江戸と言うけど、そもそもその大江戸は超近代的な街になっているので、余り意味がない呼称のような気がしますがどうでしょう。小京都(金沢など)なら少しは判るような気がしますが。そう言えば、北の鎌倉(我孫子)なんて言うのもありましたね。
じいじ様の皿絵がどんな仕上がりになっているのか楽しみです。でも、じいじ様にしては珍しく「絵心がない私」とか「茶色の絵の具がなかった」「細い筆がなかった」と弱気のことを仰っているのが気になります。でも、結果は絵心がないは「ご謙遜」、細い筆がなかったは「弘法筆を選ばず」の見事な出来上がりを期待しています。
これらの写真で見る限りでは、確かに人で一杯ですね。しかも若い方が多いような気がします。これならじいじ様が仰る通り車いすでも仕方がありませんね。でも、奥様からは「そんな甘いことを言わないで下さい」と言われそうですが。またこうした街並みは私もあちこちで見かけたような気がします。飛騨高山、金沢、倉敷、萩など。
エイム・ハイ様のコメントを拝見していて、そう言えば、会社時代のお客様に連れられて東京を横切ってうなぎ料理(川沿いの店)や鴨料理(小屋風の店)を食べに行ったことを思い出しました。これって、ひょっとしたら、川越の近くだったのでしょうか。
このまま引退になってしまうのでしょうか?
川越は、一時ずいぶん行っていました。
最近は、人出がすごいということで、ごぶさたしています。
喜多院の庭園の紅葉もそろそろ見頃かなあ、菊花展はまだ続いているかなあ、などと思いながら拝見しています。
じいじさまは、川越で、陶芸の絵付けを体験されてきたそうですが、ごようつつじも、小川町で、手漉き和紙の体験をしてきました。
13日(火)、自由学園のLA(リビングアカデミー)のフィールドワークで、小川町の埼玉伝統工芸館へ行ってきました。
午前中は、和紙の紙漉き体験をしました。
まず、映像展示室で紙漉きの映画を見た後、紙漉き工房で小川和紙の紙漉き体験。
専門の職人さんに指導していただきながら、あらかじめ用意されている木型に、どろどろの楮を漉き、できた和紙に、季節の草花や色付けした楮の繊維などを使ってオリジナルの作品(?)を作り、その上に、職人さんが漉いてくれたミツマタの薄い和紙をのせて、作業は終わり。
後は、乾燥させて、郵送してくれるということでした。
われながら驚くほどの集中力にちょっと感動しましたが、他のみなさんも同じことを言っていました。
麺工房かたくりで、地元産の小麦100%使用の手打ちうどんでまんぷくになった後は、特別企画「和紙ファイバーアート」展へ。
和紙ファイバーアートは、1985年以降、国重要無形文化財に指定されている、細川紙(楮100%の手漉き和紙)を使った独自の絵画表現技法を目指し、画工の渡会不二男さんが、試行錯誤を繰り返し生み出した表現技法、と紹介されていましたが、どんな絵画か、これでは想像すらできませんでした。
自由学園の先生が下見に行ってくださった時、偶然、渡会先生に会われて、意気投合。
そのご縁で、13日に、わざわざ、越谷から、私達のため、お越しくださっていました。
とにかく、作品を拝見して、圧倒されるばかりでした。
いったい、どうやって、こんな作品を!!と思うばかりでした。
渡会先生は、実演しながら、お話くださいました。
お話しながら、色紙二枚ができあがり、なんと、それを私達にくださいました。
使用するのは、色付けした和紙と糊(ごくふつうの大和糊)と手と指だけ。
まったくの独学で、しかもなんと47歳で脱サラしてこの道一筋とのこと。(現在78歳)
日本で(世界で)ただひとりの和紙ファイバーアーティストの渡会先生自らによる実演とお話に、このうえない濃密な時間を過ごしてきました。
渡会先生は、2015年「現代の名工」に選定され、昨年は喜授褒章を授賞されています。
道の駅もあって、おまんじゅうや晩酌用にと地酒を買ってきた人もいました。
朝7時半に家を出て、帰ったのは夕方7時前、もう真っ暗でした。
10日(土)国立能楽堂でお能を観た時は暑いくらいで、冷房がほしいなあと思ったことでしたが、その後は朝夕暖房の日になっています。