魚沼の散歩道

魚沼での、無農薬での野菜作りと四季の変化を徒然にお知らせします。

震災三ヶ月で考えること。

2011-06-11 22:57:25 | 節電、災害
今日で、震災後三ヶ月です。
久しぶりに雨が降りましたが、畑は、もう少し湿りが足りません。

福島の原発被害は、どんどん広がっているようで、伊達市まで、避難しなくてはならなくなりそうです。
母乳からもセシウムが検出されました。
震災の被害だけでなく、原発の被害で復旧もどんどん遅れるようです。

この頃、テレビで、海岸の風景を見ると、津波が来たらどうなるのか?何て,つい思ってしまいます。
以前なら、美しい海岸、海だなーなんて思っていただけなのに。
震災からは、心穏やかに見えなくなりました。
今日も、鎌倉の風景を見て、海が近いし、すぐ側に家が建っています。
津波が来たらどうなるのか?
何て思ってしまいます。
実家も愛媛のリアス式海岸で海の側に家が並んでいます。
後ろには、すぐ山が迫っています。
津波など経験したことがありませんでした。
子供の頃から、台風が来ても、湾の入り口に塩後と言われる三島があり、村は大した被害にも合いませんでした。
松島も大小の島があるので、大きな津波がなく、被害が少なかったようです。
巨大な堤防を築くのでなく、波の力を削いでしまうような巨大な波消しブロックのような物を置いたほうが好いのでは、何て考えます。
でも、南海地震が起きると言われています。
伊方原発もあります。
やっぱり心配です。

原発で、避難しなくてはならなくなったら、どうするか?
この年になれば避難、したくありません。
子供は、まだ将来があるから避難させたいけれど、私は、逃げたくありません。
旦那さまは、逃げるなんて言っています。
チェルノブイリでも、避難しないで暮している人たちがいるそうです。

避難したい人は、避難し避難したくない人は、残る自由を与えたほうがいいのではないかと思います。
我家にも、90歳を過ぎた姑がいます。
毎日草取りや縫い物をして過ごしています。
老人たちが長年住みなれた家を離れて、避難所に行ってもすることもなく、ぼーと一日過ごしていれば、ボケてしまいます。
残り少ない余生を気ままにのんびりと過ごせないお年寄りが沢山います。
ただ、長生きはしたくありません。
有意義に生きたいと思います。
急性の放射線被爆でなければ、すぐに健康に被害は、出ません。
老人など、反って避難所などに行くと寿命が縮まることもあるのではと思います。
そんなことを思えば、我家に残りたい人は、残る自由を与えても良いのではなんて思います。
でも胎児、乳児、幼児などは、絶対に避難させないといけないと思います。
10年、20年後なんて、まだまだ、人生長いのですから。
子供たちが過ごす学校や通学路は、線量は、ゼロに近いほど安全なのだし、将来、健康の被害が心配です。
チェルノブイリでも、幼い子供たちが病気になっています。

国会では、やっぱり政権争いが続いています。
この黒幕は、誰か?何て考えていました。
東電の大株主たちか?
莫大な補償金を支払っていれば、今まで、高額な配当金を受け取っていた株主たちは、受け取れなくなります。
菅政権は、まず東電に責任を取らせようと考えています。
これを国の補償にしたいと考える人たちが暗躍しているのかなんて考えたりしています。
東電から毎年政治献金を受け取っている自民党が政権に復帰すれば、結局国民の負担が増える仕組みにされてしまうのかなんて考えます。
義援金の支給の遅れは、町村合併や公務員の削減による所が大きいのではないかと思います。
災害が起きると、公務員が一番に動かないといけません。
今回、亡くなった公務員も沢山いるようですが、行政改革なんていいながら、公務員を減らしてきたことも影響していると思います。
合併して良くなった実感はあまりありません。
きめ細かい対応は地元に住んでいる公務員がいれば、もう少しスムーズに進んでいたのではないかと思います。

原発、震災、電力不足などで、これまでの生活スタイルが見直されていることは、良い事です。
今まで、何て、電気を無駄に使っていたことでしょう。
みんなの意識が少し変わるだけで、こんなに節電できるのですから。
原発なんか本当は、必要なかったのではないかなんて考えます。

まだまだ、行方不明の方が大勢いますし、避難所暮らしの人も沢山います。
でも、復興計画には、地元の人たちの思いが入った計画を立ててもらいたいと思います。
地元に戻って暮したいと思える安心安全な復興計画を実行してもらいたいと思います。
先の見通しが立てば、後何ヶ月と我慢出来るものです。
だんだん、暑くなり、避難所での生活も大変になってきています。
早く復興計画と予算を可決して、実行してもらいたいと思います。
そのためには、政権争いなどしないで、与野党が一緒になり頑張ってもらいたいと思います。

いろいろな思いがあり、一日では、書き上がりませんでした。