日本成長促進法案が可決
例の法案は、新規投資を呼び込み、日本の成長を促進するとかをうたい文句として、信じられない速さで法案が成立した。
配当分離課税が復活し、投資促進減税、ベンチャー企業促進税制などの成長するために投資した時には、それぞれの法人所得に控除枠ができ、企業も配当を出せば、幾らか減税される事になった。
配当による所得は減税したものの、配当に出せば、受け取った人はやっぱり税金を払うが、配当を出せばその法人の税金は、出した配当額に応じて、幾らか税金が安くなった。儲けたお金は配当に出して、みんなの所得を上げようとした。
やっぱり配当課税は一種の二重課税を維持していたので、税収も上がると云う計算だった。
創業者優遇税制は、会社が上場した時には、今まで株を持っていた人や企業が、その株を売った時の所得は分離課税として、通常所得課税より相当下げた。
いい会社には、上場してもらい、多くの人がその株式を持てるようにとの目的だった。今までの雇用促進税制、そして社会福祉法人への寄付控除は維持された。
これは、雇用している人への報酬およびその人数に応じて、所得控除が異なり、人を雇用している人数が多いほど、所得控除額が増え、税金が下がり、報酬を払っている金額が高い程、税金控除額が増え、税金も下がった。ただ報酬額はモデルケースを用意して、経営陣がごっそり貰い、従業員が安い報酬では、この控除額は増えなかった。
社会福祉法人寄付特別控除は、利益の一定範囲を寄付すれば、その分は所得から控除された。すべての控除を引いた後の法人所得でその額が高くなると、冗談のように高くなる、累進型の法人課税率の体系は維持された。これは陽太や竹花の爺さんの作った税制のままだった。そして、他国との二重税についても、日本で得られた所得については、日本で課税する。他国から利子、配当等で得られた所得も他国で課税されていようといまいと、それは所得とする事も陽太や竹花の爺さんは断固として守りぬいていた。
他国で安い製品を作って、日本で売買して儲けようとしても、日本で雇用している人が少なく、雇用している人の報酬も少ない時は、やっぱりごっそり税金を取った。
不関税障壁とかなんとかいわれても、日本は、健康で文化的な生活を国民に保障している国なのだ、そして国民に健康で文化的な生活を保障できるのは、税収しかないと陽太は、この点では、どんな国の要求も跳ね除けていた。それも維持された。
極端に言えば、人もそんなに雇わず、配当もせず、さして投資もせず、寄付もしない法人では、冗談のような高い法人税のままだった。これは外国の企業でも日本で活動する企業には、内外国の区別なしに適用していた。外国の企業でも日本での雇用を増やしている企業には減税した。これはアメリカのポチのような世界機関でも認めざるを得なかった。こうした点も維持されていた。
ただ投資促進のための減税には、証券優遇税制もついていた。これは、長期間保有している人の含み益については所得としないから、当然課税せず、売買した時の売買差益も長期間、1年以上保有していた時は、配当分離課税に比べると高い税率ではあるが、通常の所得税率よりはずっと低い分離課税を適応すると云うものであった。
これは株式投資を促進し、そして長期間保有してくれる人たちを優遇しようとする目的であった。ただ短期間で売買する人たちまで優遇する必要はないとしていた。
投資は優遇するが、投機目的の活動は優遇する必要はないと考えていた。これが、ごきげん党主流派の限界だった。
成長重視のごきげん党主流派とは云え、陽太の福祉第一主義の旗の下に一時的でも集まった人たちだった。投資と投機はやはり別物との考えが強くあった。投資と投機は紙一つの差しかないとは思わなかった。
短期間で売買する人たち、つまりヘッジファンド、ディトレーダーなどの短期トレーダーたちにとっては、今までの税率そのままなのに、増税のような気がしていた。短期間しか保有しない時は、証券優遇税制での適用はなく、ごっそりと税金を取られる今まで通りの通常所得とみなされていた。それでも陽太や竹花の爺さんたちが取っていた税制よりは、ずっと投資を優遇しようとする税制に変わった。