のら猫の三文小説

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次平の挑戦 No.10

2012-12-04 10:21:15 | 次平の挑戦

お香と鉄平は、今までの事業を整理する事にした。



お香は、鉄平が家にいる時に、鉄平に言った。

お香「私の考えは甘かったかもしれない。鴻池のご隠居も、考えは分かるが商売としてはどうでしょうと言っていた通り、何で屋は結局失敗したし、裁縫と織物などは、松江と長崎はこじんまりとして、内職の斡旋などもそんなに多くの人に役に立っているとは言えない。福岡は鉄工部門や細工物、裁縫など大きくなって、人を沢山雇えるようになったけど、それは最初批判的だった大元様が応援して、助言してくれたおかげだし、その上鉄工部門、細工物そして織物なども熱心な人が来てくれたおかげだと思うの。大坂の物産問屋も私の指示一つだせば、理平が十やってくれている感じだし。江戸では、大坂のやり方通りにやってるがそんなに儲かると言うほどではない。江戸には行きたいと思うけど、私は動けないし。」

鉄平「そんな事はないよ。お前はよくやっているよ。俺はお前と理平の話しているのを聞いていてもよく分からない。源三なんかこのままでは物産問屋の方が大きくなりそうですねと言っている。何でも屋では、結局失敗したけど、金を配ったと思えばいいよ。」

お香「何でも屋ではだいぶ損をした。」

鉄平「俺もこの所、帳簿や報告をよくみているけど、料理屋なんかは儲かってはなく、損しているかもしれない。本来の目的では、はずれるけど、板前などが腕を振るえる場所も必要だろうと軽くはじめた高級店だけが繁盛していて、全体の収益を支えている。もっとも次平の医院からの指図で入れている食事なんか赤字だと料理店の番頭は、こぼしているけど、今更止められないし。人入れ屋なんか元々そんなに儲かっていない。」、

お香「色々整理してみようよ。失敗した事には原因があるよ。成功した理由は案外わかりにくいけど、失敗した事の方が分かりやすい気がする。」、

鉄平「そうだな。薬種問屋もいつまでの儲けを続けられるものでもないし、それに薬種問屋は次平の評判に支えられていると痛感している。大坂は鴻池の力もあるし、薬に混ぜ物を入れて商売して稼ごうとする悪質な薬種問屋はほとんど消えた。これからは難しくなるぜ。」



低収益や赤字の部門などは整理した方がいいのに決まっているが、本来の人を助けるためにはじめたので、整理したくないし、それに困る人も出てくる。整理の方法として、それぞれがやっている事業をまとめて、その事業の収益構造を、お互いに質問するして考える事にした。鉄平もお香も負けず嫌いだったので、やりこめられないように、それぞれの事業の番頭に資料を提出するようにいった。源三や理平は、各店は旦那たちは何をする気なんかと各店の番頭は不安がっていますよとそれぞれ言ってきた。鉄平とお香はそれぞれ説明し、今までただ前を見て頑張ってきたが、色々と整理して、直すべき所は直していきたい。番頭たちに伝えてほしい。それぞれ今後どうしたいという意見があれば、この機会に言って欲しいと。

源三と理平は、言っていた。「旦那やお香さんの指示は的確で、お店は繁盛してますよ。鴻池の旦那やご隠居も驚いています。忠助の江戸店もいまや江戸一の薬種問屋とも言われてますし、お香さんが行った事のない江戸の物産問屋も、時折届くお香さんの指示に吃驚して番頭以下店の者も頑張って、成長していると思います。
この4店だけで、他の店が多少の赤字になったとしても吹き飛ばせますよ。それに長崎や福岡は手堅くやってます。
」 

鉄平とお香は言った。「それが油断だ。困ってからではもう遅い。お香がそんなに動けないので、今ゆっくりと成功や失敗の原因や要素を見直していきたい。お香が動き回れば、ゆっくり考える時間もなくなる。」



色々な資料が届くと鉄平とお香はそれぞれに説明しだした。特にお香は身重にも拘わらず質問は厳しかった。数日間では答えきれない事もあって、各店へ質問をもう一度出して、20日後にもう一度やり直す事になった。

今度は驚いた事に各店から番頭や手代などが直接持ってきて、同席させて欲しいと言ってきた。思わず鉄平グループの幹部会になってしまった。資料は極秘処理扱いとしたが、鴻池には流れる事は予想された。禁裏御用のための京店は除外していたし、黒田公関係、毛利公関係については、鉄平とお香は話し合って、お城関係は鉄平の直接管理分として対象から外した。お香のやっている福岡の事業もお城御用として、お香の直接管理分として、資料と討議から除外した。



昼夜通して討議したと言うことではなく、お香の体調をみながらだったので、時間を制限して5日間行った。後から考えるとこれは冷静になる時間もあってよかった。


自分の店や事業場の討議が終わると帰ってもいいと言っていたが、結局誰も帰らなかった。



最後の日 鉄平の薬種問屋は好調である事は確認されたが、次平の名前が相当寄与している事や大坂店では鴻池の関与が信用に箔を付けている事を再認識した。

そこで鉄平はそれがなかった時の影響を聞いた。各店毎に、影響は違っていたがかなり厳しいという事であった。そこで鉄平は次平の医院に対して、病人の病状に応じた薬の処方例などの薬の臨床例などを提供してもらい、それに対価を払い、各地の薬屋や医者に対して説明するとともに、次平だけでない各地で有名だったり、高名な医者に対しても積極的に対応して、薬を紹介すると共に、薬や各種の情報を聞くようにする事などを指示し、意見を求めたが異論も出なかった。薬草園は各地の問屋で色々と開発していたが、管理が不足気味の所もあった。江戸や大坂で農学者等を雇い、次平の医院に相談料を払い、協力しながら管理してもらう等の事を決めた。



料理屋や口入れ屋については赤字であったり、ほとんど儲かっていなかった。今後どうするかという相談になった時に、お香はいった。「各地の薬種問屋の管理ではなく、私がやっていきたい」大坂と江戸の番頭は黙っていた。前日にお香から計画を聞かされていたからである。


鉄平「赤字とか、ほとんど儲かっていない事業だよ。それでもいいのか?」

お香「次平先生やお前さんの夢なので、赤字だから止めるという事はできない事は分かっています。だから2年間だけ薬種問屋の利益総額の1割を次平先生に対する協力費として頂戴。その中でやっていかなければいけないと思うの。それに薬種問屋のある場所だけにあるのも変でしょう。各地の物産についての情報も入るし、やり方次第では赤字は解消すると思うの。」


お香の事業についても討議されていたが、収益にはかなり差が見られた。松江や長崎、そして萩でもかなり停滞していた。

お香「元々利益をだすためにやった事じゃないし、赤字でなけれはいいと思うの。今は利益が上がっているのは、福岡の事業と大坂と江戸の物産問屋だけといってもいい。その三カ所では単独で会計をまとめ、利益の半分は出資金への利益分配として、薬種問屋と同様に2割は店の者への還元する事にします。他の事業は料理屋と人入れ屋とその他と三分割して、利益が上がれば出資金の半分は出資者へ還元するのは同じだけれども、3割を店の者に還元します。 

三分に分けたグループには、私名義で得た利益計上金が、二千両たまっている。それぞれ六百両を出資するから、利益の上がる方法や新しい出店など考え欲しい。細かく分けたら、何にも出来ないから、一つづつ確実に計算して頂戴。」

鉄平「俺も四百両つづ出すよ。それぞれ千両で考えた方がいいいよ。」

お香「なにか異論があれば、言ってください」

薬種問屋の番頭たちは、お荷物がなくなった事にほっとしていた。

料理店の番頭「今している事は、そのままでいいのでしょうか? 各医院に対して安く料理や病人向けの食事を提供している事が赤字になる原因ですが。」、

お香「そのために作ったので、それがなければ存在する理由がなくなると思うの。むしろその事で得た経験や知識をどうやって利用するか考える方がいいと思うの。だから利益還元比率を上げたの。儲けるためじゃないけど、損を続けていたら、働いている人のやる気もなくなるでしょうし、やがてやっていけなくなる。協力金は2年間だけよ。でも料理店をやっている人には、どうしたらいいか分かる筈と思う。単に儲けるだけの商売ではない料理屋を存続させる方法が。」

人入れ屋の番頭「私どもでも、医院から紹介されると、前渡し金を払ったりしています。そのままいなくなる事もあります。これをなくせば、利益は改善できると思います。」

お香「今やっている事をやめれば、単なる人入れ屋じゃないの。鉄平はそんなために作ったと思うの。料理屋さんの番頭さんにも言ったけど、みんな損だとか赤字だと言うけど、何の為にやっているかを考え欲しいの。むしろその事で得た事を生かしてどうするかを考えて欲しい。他の人たちではやっていない事だから、逆の意味では誰もしらない経験ですよ。」

松江や萩と長崎の織物や鉄工所の人たちはひそひそ話をしていたが、代表として長崎の時造が言った。

長崎の時造「われわれは一番小さい集団です。福岡は単独で大きいけど、除外されてます。一体何をやればいいのでしょうか。千両もあれば両替屋でも預け、運用した方がいいと思います。」、

「実は一番期待しているのです。福岡は、藩の協力もあった事もあったけれども、熱心な人を招いた事が成功した結果だと思うの。福岡では50人を超える人に働いてもらっているし、より多くの人に内職をお願いしている。それなりの資本を投入しないと中途半端なものになると思うの。大坂の番頭である理平さんや江戸の番頭である市蔵さんに相談して、それぞれの地域の拡充してもいいし、思い切って江戸の近くでもいいと思うの。私の夢じゃなくてみんなの夢を形にしてください。私は1年程度は旅は無理だけれども相談がまとまったら、私たちで相談して決めましょう。そのために分けたのだから。販売先は特に私たちの物産問屋に限定する必要もないので、自由に検討して下さい。一番利益還元が得られやすいと思うけれども」



大体の議論が出た後、
鉄平は言った。
薬種問屋のみなさんは、むしろこれからが大変だと思う。利益を出している集団とみんな思っているようだが、今はそうでもこれからもそうあり続ける方がむしろ難しい。気を引き締めてください。

大坂の料理屋は、食事の準備をさせます。遠慮なく言ってくださいと声をかけていたが、薬種問屋の番頭だけが参加し、それ以外の人は、みんな厳しい顔で、それぞれ足早に帰っていった。



料理店は、京から東海道の間で、料理店を数軒購入し、次平の医院がない地方でも病人向けの料理を配達できるようになった。料理店集団でも一定の利益を上げる事ができた。



人入れ屋も従来寸断されていた地方にも人入れ屋を作れたし、大坂や江戸にも拠点を作る事ができた。またそこでの求人情報や諸国の情報も、物産問屋に提供してなにがしかの情報量を貰っていた。

また才能や経験があっても困っている人には、就職準備金を与えたので、有能な人が多くあつまった。そのため そんな高額ではなかったが、利益を得る事が出来た。



織物や手作業と鉄工の集団はお香と相談して、少額を各地の拡充費に使用して、比較的大きな鉄工所を江戸郊外につくる事にした。各地の集団は大きく伸びそうな企画が思いつかず、江戸の市蔵に頼んだと云うのが実態だった。江戸の物産問屋で売りやすい物を作ればいいと簡単に思った。江戸の市蔵が、江戸の熱心な人たちを紹介し、その人たちの夢をお香が採用して、細工物、鉄材や工作機器などを作りはじめた。



その人たちは、自分の作り出した試作品を熱心に説いてまわり、説明する事を嫌がらなかった。江戸近郊だったので、江戸ではその製品が販売できるのに、時間が掛からなかった。

福岡よりは時間は掛からなず、利益が上がってきた。そして松江、萩、長崎と併せて福岡の事業と会計を合体した。利益配分の比率は、当座2割5分とした。みんな手取りとしては増えてきていたので、特に不満はなかった。





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