ジブトラストも
カミカミファイナンシャルも海外の香奈ファイナンシャルも個人ではなく、多くのディラーが動き出して儲けるようになり、取引の頻度は増えたが、取引の利益は減り、配当収入も増えてきた。
ジブトラストでは、実際に運用する金額も減ってきた。取引するディラーは増えているのに、動いている金額や利益は減ってきた。
多くのディラーは感応したとは云え、実際の取引は、人間がするので、もう人間ではないような儲け方はもう出来なくなった。損切りも増えてきた。ただ収入や利益は、事業会社からの配当による部分も増え、より安定度も高くなってきた。
ヨーロッパでは、日本とよく似た財団が、各国に出来ていた。アメリカではエンジェルホープ財団が医療援助して、ジブアメリカが支援するチルドレンファンドとの連携も深めて、活動していた。
南米でもより大きくなった快適のインフラ整備とブラジルジブ財団が共同して、運動を進めていた。
アフリカでは、マリア財団が、マリア記念病院を始め、カミカミの持つ二つの病院と快適が持つ病院も併せて、マリア財団の活動を支え、快適農園の農作物とヨーロッパの食品会社からの食品も安く入手でき、運動にも幅が出来た。
アジアと中東では、快適のインフラ整備とジブ現地法人からの寄付では、そんなに十分な資金でもなかったが、みどりの組織したアジアの財団を辺朗の妻のケイが運営しながら、運動していた。養成したり、奨学資金を出したりして、活動してくれる人も増えてきた。
そして資金力が豊かになった日本の財団が協力して、運動を進める事が出来た。不動財団は、倒産した会社やつぶれた筈の人たちを再生してきた。
治部食品の一角に入ったり、ごきげんソフトでソフトを作ったり、麻田エンジニアリングや機械に部品を売ったりした。菊子金属に特殊な金属を作って貰って、不動総合団地で産業用の機械部品を作ってもらったりした。
再生マンションも新しく潰れた人が入り、不動ファイナンシャルが新しく倒産した会社の面倒を見る事になった。不動財団は再生ファンドではなかったので、再生資金は不動ファイナンシャルが全額出した。
成功して金が出来れば、ある時期まで、買戻しに応じる事にしていた。成功した人の報酬は利益比例にしてあげていた。それでもみんな慎重だった。一部だけの買戻しに応じて、後は利益からの報酬で納得した。配当は利益の三分の一、働いている人の報酬も三分の一、内部保留も三分の一と云うジブの原則に従っていたので、その方がリスクが少ないと思った。
結果として、不動ファイナンシャルは多くの企業を保有するようになっていた。不動ファイナンシャルの利益は回りまわって不動財団に入っていた。不動財団の基金は増えていた。不動ファイナンシャルと香奈ファイナンシャルからの寄付も高水準だった。
それだけでもなかった。寄付も増えてきた。すべて上手くいったわけではないが、つぶれた企業とつぶれた人も再生する事もできそうだった。もうすぐ陽太がジブの里に帰り、不動財団の責任者になる日も近づいてきた。神子は陽太のためと云うより、神子たちのファミリーの大きな家を建てて、準備していた。
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