アメリカ以外でも影響は出た
加代子たちの会社は、激変したが、海外のジブ子会社、ジブ本体も結局、多くの実業の会社を傘下に持つ持株会社のような運用会社のような会社になっていた。
ジブトラストはすっかり、安定して、実業分野の比重が増えた。神太朗は、実業ネットワークを進めていた。取引は神子と神之助が、担当していたが、もうジブトラストの株式保有は多くなり、ナンダカンダと会社との友好関係も強くなり、時期を選んで、上がれば少し売って、下がれば少し買う程度の調整売買しかできないなっていた。
ドーンと大きく売ったり、買ったりすると、ナンダカンダと問題になった。企業分析研究所の企業分析もお告げのように扱われ、ジブ総合研究所との技術供与なんぞと云う事が増え、企業との話し合いも増え、ジブが過半数を持っていた傘下の企業でなくても、経営に深く関与する事が増えていた。
海外のジプ子会社や独立した神帥、神元を初めとするグループも同じだった。それにジブトラスト勢も関係する会社が増えて、冶部一族や香奈たちの孫やひ孫が役員などには、ならなかったと云うよりなれなかった。
香奈のファミリー企業や冶部一族のファミリー企業も増えて、神一の子供を初めとする神太朗の孫たちも、香奈の孫やひ孫たちも、自分たちの関係する会社を始めに考えていた。その上、そんな事とは関係なしに、みんなそれぞれ自分の道を歩いている人もいた。
ジブトラストの関係者ですら、関係する会社の数よりも少なかった。そのため、それぞれの分野に詳しい人を経営陣にした。加代子たちの会社もそうだった。単に見張り役が、資本の代表として、あっちこっちの役員を兼任していた。一族の人とかジブ関係者でなく、理念に賛同する、優秀な人たちに頼らなくてはいけなくなった。
ヨーロッパでは、切人や聡美や神元たちの会社から、経営陣に入っていた会社もあったが、アメリカは、神太朗の直轄地と言ってもいい程だった。その経営手法は注目され、ジブスタイルマネージメントとか言われるようになった。
ジブトラストの本体や各運用会社は、保有リスクを回避するために、先物やデリバティブ中心になった。神太朗系列の証券会社は、グローバルネットワークとはなったが、ジブや関係する運用会社は、長期保有株を証券会社名義にして、出資していったので、証券会社も大きくなった。ジブ勢は、保有株のリスクヘッジのために、先物を中心とするデリバティブをした。
神太朗は、証券会社の顧客たちの参考のために、ジブ勢の売残や買残なども表示するようになった。ジブ勢が保有している株式保有数も公表した。s@どこまでがジブ勢との規定は曖昧だったが、ジブの意向は少なくともはっきりとした。
神太朗がこのようなデータを開示したのは、証券会社の顧客を食い物にする証券会社にはなりたくないと思ったからだった。
しかし、これが圧倒的にマーケットを左右しだした。逆らう奴はいなくなった。つまりジブの思うようにマーケットは動き出した。勿論大きな金は儲からなかった。しかし損もほとんどしなくなった。
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