忙しいほうがいい。でも本当は・・・

時間が止まってしまうと、いろんなことを
考えてしまいます。
だから忙しいほうがいい。

でも、本当は・・・

コーヒーとヨーロッパ~エスプレッソV.S.カフェオレ~

2012-03-03 23:38:58 | みんなの生き物
さてさて。シリーズ「コーヒーに挑戦」。

コーヒー、世界へ!ヾ(*´∀`)ノの続きです。

コーヒーがエチオピアを源流とし、紅海を渡ってアラビア半島(イエメン)へと伝播したことを前回の記事でお伝えしました。

そんなコーヒーはイエメンからヨーロッパへと広まります。

イエメンからヨーロッパへコーヒーが広まるために重要な役割を果たしたのは、「オスマン=トルコ帝国」。 1536年。イエメンはオスマン=トルコ帝国に占領されてしまいます。

コーヒーはオスマン=トルコにとって重要な収入源となっていたので、オスマン=トルコはコーヒーを栽培する技術が他国へ流出しないよう、輸出するルートを限定し、外国の商人に手渡す時は熱処理を施すなどして、コーヒーの実が発芽しないようにしていました。

このとき、イエメンからコーヒーを輸出ために利用されたイエメンの港が「モカ」。
そう。有名なモカコーヒーのルーツです。

また、一方でとあるイスラム教徒が、そんなコーヒーの種子をこっそりと国外へ持ち出し、インドでその繁殖に成功します。

そして繁殖に成功したコーヒーの木を、1616年、当時海洋貿易で栄えていたオランダが入手し、インドからオランダへと運びます。1658年。さらにそのコーヒーの木の子孫をオランダはセイロン島(今のスリランカ)へ運び、コーヒーの木の栽培を始めます。

1699年。別のオランダ人が、さらにインドからコーヒーの木をジャワ島に運びだし、ジャワ島を拠点に、東インドの様々な島でコーヒーの栽培を開始します。

「ジャワ」っていうコーヒーも有名ですよね。

こうやって、「コーヒー」は次第にヨーロッパ中に広まりました。

さて。ここで改めてヨーロッパの地図を見てみましょう。



ヨーロッパの先進4カ国。
「イギリス」「フランス」「ドイツ」「イタリア」。

北から南に順に並んでいますね。

コーヒーは、この4カ国のうち、最も早くコーヒーがたどりついたのはイタリア。 イタリアの首都はローマ。言わずと知れたローマ帝国の首都ですね。

オスマントルコからローマにコーヒーが持ち込まれたのは1602年。続いて1650年、ユダヤ系レバノン人のジェイコブズがオクスフォード大学にコーヒーショップをオープンし、イギリスにもコーヒーが持ち込まれます。

フランスにコーヒーが持ち込まれたのはそんなイギリスより遅れること19年。1669年、トルコ大使のソリマン・アジャという人物によって開催されたパーティーで初めて紹介されました。

フランスで、コーヒーの文化は独自の進化を遂げ、これまでトルコ人たちがコーヒーを煮出し、濃くして飲んでいた飲み方とは違い、ついに挽いたコーヒーを布袋に入れ、湯を注いで浸出する方法で飲む方法が開発されました。

そしてまた、コーヒーに牛乳を注いで飲み方。つまり「カフェオレ」が開発されたのもここフランス。

フランスでは朝コーヒーに牛乳を注いで飲む飲み方が習慣となります。

そしてフランスにコーヒーが持ち込まれた後、1670年代に入って、コーヒーはコーヒーを飲みながら議論を交わす社交場、「コーヒーハウス」の文化とともにドイツにも持ち込まれました。


一方。1806年。ナポレオンの支配するヨーロッパでは、当時産業革命中のイギリスを封じ込めるため、「大陸封鎖令」という皇帝ナポレオンの勅令が発令されます。
そして当時フランスの占領下にあったイタリアでは、コーヒーを飲むために必要な砂糖やコーヒー豆が極端に不足し、そんなイタリアではコーヒーの量を2/3にまで少なくして、価格を抑えてデミタスカップに入れて飲む飲み方、「デミタスコーヒー」が流行します。

1800年代、煮出して飲むタイプのコーヒー機器として有名な「コーヒーサイフォン」が開発され、圧力によって、より早く、濃厚なコーヒーを淹れられるようになったのですが、さらに1900年代に入ると、より高圧力でさらに高速で、さらに濃厚なコーヒーを抽出することを可能とした「エスプレッソマシン」が開発されます。

さて。この後、エスプレッソコーヒーに牛乳を注いで飲む飲み方、「カフェラテ」が誕生するのですが・・・。

こういった歴史的背景はあるものの、フランスで進化を遂げたコーヒーと、イタリアで進化を遂げたコーヒー。

かたやコーヒーをより薄め、砂糖や牛乳を混ぜることでより甘く、飲みやすくして飲むための進化を遂げたフランスのコーヒーと、そんなコーヒーをより濃厚にし、コーヒー本来の味わいを生かす形で進化させたイタリアのコーヒー。

両者を分けた決定的な理由の一つに、ヨーロッパ北部の地域に、あったとある習慣。食生活が関係しているようです。

さて。次回記事は、「牛乳の秘密」。


次回記事をお楽しみにね。


日本の未来は明るい!!


は日本を明るくする!!

「東北関東大震災」支援クリック募金

ブログランキング・にほんブログ村へ相互リンクとランキングプラス
TREview地域ネット日記@BlogRanking


帰りしにクリックを・・・

あなたの1票が、のんきのブログを沢山の方に知っていただく力になります^^


最新の画像もっと見る

2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (花蓮港)
2012-03-11 21:02:50
のんき様こんばんわ。今日はあの日から1年目。時々自分で判断して避難してきた人に出会います。

この辺は年間5ミリシーベルトくらい。この程度では大人は平気ですが、子供にとってはどうか?

台湾の北投温泉では、線量の高い湯が人気が高く、「あそこが一番高い。いや、こっちが」と高い方を選んで入ります。

先日、雪崩事故があった秋田の玉川温泉も線量の高い温泉として有名。癌の患者さんが治療に通っています。

:コーヒー:

第二次大戦末期、我が友邦ドイツは陸海とも封鎖されコーヒーの在庫がなくなったそうです。
トルコあたりから密輸で入ってこなかったのかな?と。
そこでタンポポの根から作る事を思いつき、しょうがないから総統も苦い顔で飲んだ、、、。
と、何かで読んだことがありますが、

ーー以下ー保育社:薬になる植物より引用

漢方では「蒲公英」といって、母乳の出ないときや乳腺炎に使います。

ヨーロッパでは消化不良や胃腸カタルに飲まれ、コーヒーの代用にもされています。
以上。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーー
ということでヨーロッパでもタンポポの根を、昔からコーヒー代わりに飲んでいたのですね。

こちらでは、大きな木造の西洋館風建物を黒く塗ったコーヒーチェーンがあります。
夫々、サラエボとかエトランゼなどの名前がついていて{漢字の当て字}相当長く続いています。

高価なので会談に使うときは、一杯で3時間もねばり、恐らく迷惑顔をされていると思います。
味は我が家で飲むコーヒーよりは2段階は上ですね。ただ、ねばるために、ゆっくり飲むので最後は冷たい甘いだけのコーヒー。

では、また。




返信する
花蓮港さま^^ (のんき)
2012-03-15 20:30:49
お返事遅くなりました。

放射線って、「有効」なのか、それとも
「有害」なのか、誰も証明できないところ
に一番の難しさがありますよね・・・。

のんきとしては、あそこまでバカ騒ぎして
ここまで福島のみなさんにばかり不自由な
思いをさせることにこそ一番の問題点が
あるような気がします。

この国に住む人たちは今まで大なり小な
り原子力発電の恩恵を受けてきたはずで
す。であれば、せめて福島の生産物を受
け入れる、だとかそういった人間といて
ごく当たり前の心の交流くらいやっても罰は
当たらないと思うんですけどね・・・。

タンポポコーヒーの話、おもしろいです。

そういえば、のんきが住んでいる松山
は、日本で一番人口に対する喫茶店の割
合が多いんだそうですよ。

最近聞いてびっくりしました。
返信する

コメントを投稿