傍観者の独り言

団塊世代で、民間企業で「チンタラ・グウタラ」に過ごした人間の手前勝手な気儘な戯言・放言。

親「在日」の前原誠司氏 VS 激「保守」の西田昌司氏・・・個人献金など小事

2011-03-10 09:34:40 | 民主党(菅政権)

一部のメディア・有識者・政府幹部に、親身な間柄の在日韓国人から25万の違法献金が、どれ程、国益に損なうかとし、前原外相の辞任不要という論調があるが、一般論であれば甘受できるが、前原誠司議員だから問題なのです。
前原誠司議員の場合は故意でもなく、過失でもなく、正攻法でない邪道が問題なのです。

追求した西田昌司議員(1958年9月19日生) は、wikipediaによれば、滋賀大学経済学部卒業、税理士稼業後、1990年に自由民主党公認で京都府議会議員に初当選、5期務め、2007年に父は元参議院議員の西田吉宏の地盤を受け継ぎ、京都府選挙区から自民党公認で出馬し、当選。
西部邁氏から思想的影響を受けており、西部については、「一番尊敬する人物で、師匠である」と述べている。自身が所属する創生「日本」の最高顧問である平沼赳夫や前会長の中川昭一、現会長の安倍晋三とは多くの政治的信条を共有し、特に安倍とは行動を共にすることも多いと。

一方、前原誠司氏(1962年4月30日生)は、wikipediaによれば、中学2年生の時に、父親が自殺、母子家庭に、京都大学法学部卒業、松下政経塾に入塾、1991年に松下政経塾を卒塾、京都府議会議員選挙に府議会史上最年少で初当選、府議時代には日朝、日韓、日中、日華の四つの友好議員連盟すべてに所属、1992年日本新党に、1993年の衆議院議員総選挙で京都1区において日本新党公認新党さきがけ推薦で立候補して初当選、2005年に民主党の第5代代表に選出され、メディアから若々しさや清新さは好感されると。

西田昌司議員が追及した前原誠司氏の在日韓国人から寄付問題については、ブログ「社会科学者の時評」様のエントリー『かつての帝国臣民:在日する「韓国・朝鮮」籍人』で、在日朝鮮人の国籍問題で在日韓国人が政治家の寄付を違法とすること事態が異常なのですという意見です、

団塊世代の現場感覚の当方は、本ブログ「前原外相:故意でなくても即辞任し、再起を待つのが最善(所感)(追記)」で、戦後の日本社会では、在日朝鮮人は地域の片隅で仲間と助け合いながらの生活をし、パチンコ業は「第三国人」が経営と蔑視し、朝鮮高校とのトラブルは日常茶判事と書きました。
戦後、戦争で徴用された朝鮮人は在日となったが、日本社会で「第三国人」として蔑視され社会的ハンディを負わされました。
日本では安息の場所もなく、地域の片隅で生活を強いられ、朝鮮人の仲間と互助で生存競争してきました。
前原誠司議員に献金した焼肉店の女店主が日本における「通名」で献金したと報道されたが、「通名」(韓国名に「本」を付加したものが多いとの噂を聞いたことがあるが?)も日本社会で生存するための手段でした。
パチンコ業は、朝鮮人経営者が多いのは、日本人が新規店舗を開設すると、既存店の朝鮮人経営者がらが潰しにかかるとも言われていました。生活手段ですね。

朝日新聞の3月8日の社説『前原外相辞任―外国人と政治献金 どうにも、もやもやが残る。』で、

”「パチンコ店を営む在日韓国人の男性は以前、こんな話をしていた。
 出店をめぐる問題などで商売柄、国会議員から市議会議員まで、どうしても政治家とはつきあわざるを得ない。金の支援は外国人からと分からぬように、献金者の記載義務がない範囲で、たとえばパーティー券なら20万円までにしておく。秘書とのあうんの呼吸だという
。」”

”「こんな話もある。
 在日本大韓民国民団の各地の事務所には、選挙が近づくと、いろんな党の候補者が入れ替わり、あいさつや推薦依頼に来るという。もちろん、外国籍の人に選挙権はない。だが日本人と結婚すれば子どもは日本国籍も持ち、事業をしていれば日本人従業員がいる。在日の人たちが多く住む街では、無視できない存在だからだ。
 いくつかの例から見えてくるのは、日本の政治や選挙と外国人の間の線引きが実はあいまいで、政治家の都合で左右されている現実だ
。」”

と、在日朝鮮人にとっては、政治の世界の付き合いは不可欠であり、政治家も在日朝鮮人の組織を当てにした共存関係なのです。

民主党と朝鮮人の団体については、板垣英憲氏のブログ『前原誠司前外相辞任は、「在日韓国人の参政権運動」に絡む民主党国会議員「違法献金」事件隠蔽が目的だ』で、前原誠司前外相と菅首相との辞任に関する打ち合わせは、
”「だが、「約2時間に及ぶ慰留説得」というのは、真っ赤なウソである。本当は、「民主党衆参両院のかなり数の国会議員が『在日韓国人』から『違法献金』を受領してきた事実をいかに隠蔽するか」を検討し、とりあえず、「前原誠司前外相の辞任」によって、野党やマスメディアをめくらまししようとした。はっきり言えば、「証拠隠滅」の口裏合わせが行われたという疑惑である。」”
と、民主党議員と朝鮮人の団体との政治的な親密さを書いていますね。

前原誠司議員は、苦学し、京大卒業後、松下政経塾生、京都府議会議員を経て、衆議院選挙に出馬したが、京都府議会議員時代は、日朝、日韓、日華らの友好議員連盟に所属していたが、民主党は、「在日韓国人をはじめとする永住外国人住民の法的地位向上を推進する議員連盟」(会長・岡田克也)を設置し、在日韓国・朝鮮人など「永住外国人に地方選挙権を付与する法案」の実現を目指しており、前原誠司議員以外に民主党議員には、在日韓国・朝鮮人から献金を受けている可能性は多分にあり、前原誠司議員の辞任で早期に幕引きしたいのでしょうね。

時事通信によれば、記事『外国人献金、受領禁止を徹底=民主 』で、
”「民主党は8日の常任幹事会で、全所属議員や都道府県連などに対し、政治資金規正法で規制されている外国人・外国法人からの政治献金を受け取らないよう、岡田克也幹事長名の文書で徹底することを決めた。前原誠司前外相が在日韓国人からの献金問題をめぐり辞任したことを踏まえた措置。
また岡田氏は幹事会の席上、献金者の国籍把握が困難なことを受け、自ら本部長を務める政治改革推進本部で具体的な方策を検討し、各党とも協議したいとの意向を示した
。」”
と報道しており、民主党と在日韓国・朝鮮人団体との共存関係を臭わせるますね。
マアー、民主党だけでなく、自民党のほうが濃密と思いますが
ただ、自民党のほうが世慣れているだけでしょうね。

当方は、前原誠司議員が在日韓国・朝鮮人の不利益軽減の政治活動については、云々は言わないが、問題は、反社会的な新興勢力との付き合いで、政治資金収支報告書の隠蔽工作です。
本ブログで、
”「前原外相も「数は力」「力はカネ」で旧政治スタイルと同質であり、応援者の質を見極める眼力がなかったことです。
社会悪と思われる企業からの接近を容認する脇の甘さと、後日、問題が表面化しないように偽装工作したことは政治家としての資質を疑います
。」”
と書き、
”「時間をかけるほど、民族主義の濃い団体らから告発される可能性があり、議員辞職に追い込まれる可能性がありますね。」”
と書きましたが、報道によれば、政治団体から政治資金規正法違反容疑で、告発状を京都地検に提出とあり、地検が不起訴にしたら、検察審査会に申立され、小沢一郎氏の同じ道をたどり、場合によったら、自民党へも飛び火する可能性がありますね。

追求した西田昌司議員の事務所に抗議の電話が殺到していると報道あるが、抗議には、在日韓国・朝鮮人・自民党の支持団体の関係者から、「余計な事をするな!」という内容が多いのではないかと邪推しますね。
在日韓国人の個人献金はダメだが、在日韓国人の団体であればOKということかな?
メディアは、在日韓国・朝鮮人の団体からの政治資金の献金先を調べたらよいと思うが、調べないでしょうね。
メディアも共存共栄の関係だから。

同じ京都府に選挙区もつ、在日韓国・朝鮮人に親近感のある前原誠司氏と保守一徹の西田昌司氏の戦いは、学業だけが財産の母子家庭の育った人間と基盤をもつ世襲で議員になった人間との戦いでもありますね。
ただ、言えることは、前原誠司氏の脇の甘さはありましたね。
マアー、世間知らずの高慢か?野心家の焦りか?

余談になるが、当方の住む埼玉県の日高市には、高麗神社があります。
高麗神社の「由緒と歴史」(一部)に、
”『高麗神社の主祭神は、かつて朝鮮半島北部に栄えた高句麗からの渡来人高麗王若光(こまのこきしじゃっこう・「王」は 他に「こしき」「こにしき」「こにきし」などとも読む)です。
最盛期は5世紀の「広開土王(こうかいどおう)」、「長寿王(ちょうじゅおう)」治世の100年間で、中華人民共和国吉林省集安県にある「広開土王碑」から、そのころの高句麗の強勢ぶりをうかがうことができます。

若光が渡来した年代についての社伝はありませんが『日本書紀』天智天皇称制5年(666年)10月高句麗から派遣された使節の中に「若光」の名があります。

『続日本紀』文武天皇大宝3年(703年)に「従五位下高麗若光に王の姓を賜う」と記されており、高句麗が668年に唐と新羅によって滅ぼされてしまったことを考えると、『日本書紀』にある「若光」と当社の御祭神である「高麗王若光」は同一人物と思われます。

若光は元正天皇霊亀2年(716年)武蔵国に新設された高麗郡の首長として当地に赴任してきました。当時の高麗郡は未開の原野であったといわれ、若光は、駿河(静岡)甲斐(山梨)相模(神奈川)上総・下総(千葉)常陸(茨城)下野(栃木)の各地から移り住んだ高麗人(高句麗人)1799人とともに当地の開拓に当たりました。若光が当地で没した後、高麗郡民はその徳を偲び、御霊を「高麗明神」として祀りました。これが当社創建の経緯です。

高麗神社は、若光の子孫が代々宮司を務め、現宮司は60代目になります。
高麗郡は明治29年(1896年)入間郡に合併されましたが、当社はその後も広く崇敬を受けてまいりました。
特に浜口雄幸、若槻禮次郎、斉藤実、小磯国昭、幣原喜重郎、鳩山一郎らが当社参拝後相次いで総理大臣となったことから「出世明神と広く知られるようにもなりました。現在は年間約40万人の参拝があります
。』”

とあり、政治家の「出世明神」と言われているそうです。

高麗神社には、近隣の住民は、第二次世界戦争に出征した家族は、無事の祈願にお参りしていました。
渡来した朝鮮人の御霊の「高麗明神」に、日本人がお払い・祈願している現実をみれば、在日韓国人の個人献金を問題視するのは異状としか思えないですね。

「参考」

「高麗神社」は朝鮮の高句麗から渡来人の御霊が由来ですが、百済から渡来文化による「村おこし」について、本ブログ『「西の正倉院」と「マンガの殿堂」とで、「文化とは何か!」を考える(雑感)』で取り上げました。

宮嶋 康彦氏が宮崎県の過疎の村(南郷村)に「蛍」撮影で訪れ、偶然に宿泊した旅館の主人との会話から、「百済の里」の伝説を聞き、 「西の正倉院」建設いたる逸話をコラム”「100万円道路”の村が古代史の里に・・・「昭和40年代はダム工事、50年代は公共事業で潤った。3年前からとんとお客が減りました」”、”「何もない村が成し遂げた国家的プロジェクト・・・「神社の銅鏡は、どげんかならんもんじゃろか」で始まった「西の正倉院」建造物語」”を日経ビジネスに寄稿しているコラム(奥深き日本)を紹介しました。

コラムは、九州の過疎の村に、1300年前の朝鮮からの「文化」が山奥に、営々と生きついており、「村おこし」に地元の「神門神社」の所蔵の「鏡」を学術鑑定したら、正倉院の所蔵品と同種の学術的に貴重な物と再認識し、過疎の村は、無謀にも、正倉院と同一仕様の「西の正倉院」建設を決定し、難題を熱意で解決し、国プロジェクトとして、11億円(坪当たり1000万円・ほとんどが国や県の補助金でまかなわれた)をかけた「西の正倉院が、立案から10年後の平成8年5月に完成までの物語です。

当方は、
”「宮嶋 康彦氏のコラムを読み、日本の文化は、まずは、歴史的には、朝鮮からの文化移入を、敬い続けながら、日本流に消化し、今日の日本人の文化形成してきたのではないかと再認識しました。
コラムでは、南郷村は、その文化遺産を営々と継承してき、韓国も南郷村の「百済の里」つくりには、全面的に支援し、友好関係を結ばれ、南郷村人は、”韓国の人たちが親戚に見える!”とも記述しています
。」”
と書きました。

この度の在日韓国人の個人献金が政治資金規正法違反とメディアが喧騒しているが、在日韓国・朝鮮人の個人献金などは小事としか思えないですね。







1 コメント

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Unknown (徳永基二)
2011-03-11 22:16:59
JANJANの投稿でも書いたことですが、今回の献金で管や前原を非難することで返ってこちらの品性まで管仙谷派のように低劣に落ちるのは避けたいものです。それに管を総辞職さすために外国人献金の件で騒いで右翼保守勢力にわざわざ喜ばすのはマニフェスト政治を信奉する側にとって本末転倒な気がします

ところで、この記事を書いている今日、地震が発生しました。前回の事例(ハイチ地震)の経験があるので管はうまく対応するでしょうし、今回、国会も揺れたようなので即応性も速いでしょう。問題は小沢鳩山派はどう反応すれば良いかです。私は一時的に政治休戦してでも管と協力すべきだと思います。同じ与党なのですし一見、それによって小沢復権が遠ざかるように見えても長期的にはそれの方が国民の信頼が高まるでしょう。(どうせ、夏まで待てば石川裁判の結論も見えてくるわけですし)
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