傍観者の独り言

団塊世代で、民間企業で「チンタラ・グウタラ」に過ごした人間の手前勝手な気儘な戯言・放言。

武田鉄矢氏が映画「降りてゆく生き方」を語る社会観には共感!

2011-06-11 17:44:32 | 独り言

日経ビジネス・サイトの記事『武田鉄矢、「当たる要素ゼロ」の映画を語る(動画あり) 超ローカル映画が、奇跡のロングランを続ける理由』は、主演の武田鉄矢氏が超ローカルの映画に対する思い、そしてこの特異な映画がロングランを続けている背景にある「社会の変化」についてのインタビュー記事です。
当方は、武田鉄矢氏の語っている社会観には共感できます。

武田鉄矢氏が主演した映画「降りてゆく生き方」は、映画館で上映せずに、すでに2年間で300回にも及ぶ上映を続けている。広告宣伝は一切打たない。「うちの町で上映してほしい」。そんな人がいると、町の集会場などに映画を持って出かける。そして話題が人づてに広まって、今では上映依頼が殺到していると。
映画のコンセプトと、そのベースとなっている実在する人々の物語だった。この映画は2005年のプロジェクト開始以降、プロデューサー陣が2年間かけて日本各地で300人もの人々にインタビューしている。そして、地方で輝く人々に心を動かされ、「効率化」や「弱肉強食」に対するアンチテーゼを描いていると前書きがあり、記事の一部を転載すると、

武田鉄矢氏は、「降りてゆく生き方」のタイトルに象徴されるコンセプトについて、
”「私も金八先生でトップに上がった。でも、頂上って行ってみると結構、寂しいんですよね」”
と語り、記事は、
”「しかし、人生も登山も降りていく時に、様々なものが見えてくるという。上を目指してがむしゃらにもがいている時には見えない景色が、降りるときに眼前に広がる。
「競争社会の限界」とも言い換えられる。そして、日本を見渡せば、地方では「未来」を感じさせる「降りてゆく生き方」が実践されている
。」”
と書いています。

【問い】―― 世界の。そこにもってきて3・11があって、ある意味「焼け野原」になってしまった。だけどそこに、大きな可能性を感じてしまう。なにか今、本当に、日本の小さな町から未来が始まっているのではないかと感じるんですよね。

【武田】ーー”「それ(愛郷精神)と、世界がもっとも唖然としたのは、「パニックを起こさない人々」っていうのかな。そういう「人間の傑作」のような人たちが、実は田舎にいっぱいいるぞ、という。それはもう、拾うと無限に拾えるんだけど。

 コンビニが津波をかぶって商品が床に散乱している。その散乱した商品を拾ってレジに並ぶ人たちがいる。これ、どこの世界でも全く見られなかったし、探すとすると阪神淡路(大震災)ぐらいしかなかった。ガラス窓は割れてるから、手を入れれば盗めるのに、ガラス窓から手を入れるヤツが1人もいなくて、延々とレジの前に並んでいる。

 それを見てからずっと今も考え続けているんですけど、3・11で地方がガタガタになった、その秩序がなくなった瞬間に、ものすごい勢いで「見えない秩序」が働く。その見えない秩序に対して、国際社会は驚いた。ハーバードの頭のいいサンデル教授でも唖然としていましたよね。「なぜ暴動が起きないんだ」と。東京でもそうですね。100万人単位の帰宅困難者が、なんだか水牛の群れよろしく、自宅方向をめがけてみんな帰って行っている。その間に暴動1つ起きない。その日本の見えざる秩序は、一体どこから遠心力のように、日本国民に働いているのかっていうのは、解かなければならない謎ですよね
。」”

【問い】―― 普通は国が法律で縛らなければいけない。

【武田】ーー”「そう。そうなんです。」”

【問い】――  だけど日本の場合は、それが必要ない位の人たちの集まりだということなんでしょうね。ですから、今まで日本は「官」というものに強く支配されてきましたけど、でも実は「民」がものすごく強いのかもしれませんね、特に地方が。あと今、武田さんがすばらしいことをおっしゃったと思うんですね。愛郷精神の話ですが。
・・・・・・・・・・・・・・・・
愛郷精神のある人が残って。日本の地方って、そういう歴史を繰り返してきたんでしょうね。すごい純度ですよね。」”

【武田】ーー”「不純物がない。これからの1つの理想型を、この震災で残せたのではないか。生き残った人たちが、何かすごい秩序を持っている。その秩序に従っていけばいいんだ、と。中国の人も感動しているらしいですね。この間、テレビを見ていたら、中国の人たちは日本国民に尊敬の念を持った。一方、日本政府に対しては、「初動が遅い」と半分呆れ返っている、と。その見方は少し浅くて、もともと実は、この国の人たちって、官が主導してなかったんじゃないか、という気がするんですよ。」”

【問い】―― なるほど。

【武田】ーー”「官が主導しなくても、この国の人たちには、自分の郷里の未来に関して、思い描く力も、実は備わっていたんではないか。お上というのは、絶えずグローバリズムを意識する。だけど、お上が主導するグローバリズムっていうのは、実は、すごく無力なものだったんではないかという気がしてるんですよね。」”

記事は、福島原発事故、逆説が今、正論として考え直す時期、「日本の最大の謎は、その水の値段がなぜ値上がりしないんだ」のアメリカの学生の驚き、「共生」とは、共に生きるっていうことは、共に死ぬっていう覚悟も必要など、共感できる内容でした。
書き出したら切がないので、興味ある人は、動画「武田鉄矢、「当たる要素ゼロ」の映画を語る
http://business.nikkeibp.co.jp/article/topics/20110607/220531/220531.asx
をアクセスでも。

当方は、本ブログで、
”「当方は、日本の将来に不安を感じており、経済エコノミストや有識者の成長戦略第一の論調には懐疑的で、国家破綻の危険性を感じており、縮小した経済規模で、福祉国家型の国家として再生しかないのではないかという思うこの頃です。
リーマンショック後の「世界の同時不況」は戦後の資本主義の歪で、虚像の世界の破綻という印象をもっており、日本経済も脆弱な基盤で形成されていたという思いで、実業による実体経済を重視した社会変革すべきという考えになりました
。」”
と書き、当方が、再三、本ブログで書いた「国家の計」は、
”「国民が安心・安全で暮らせる社会は、まずは、第一次産業が国の基幹と思っております。温暖化で環境破壊が進行しても、石油が枯渇するエネルギー問題が深刻化しても、食糧危機が最悪の事態になろうとも、自給自足で最低の生活ができることことが第一で、第二は、社会保障制度の充実での安心さで、その上での自由競争社会という国造りが必要で、人材育成が肝要と思っております。」”
と書きました。

当方は、感覚的で、”「自給自足できる社会が国難の際の安全弁となり、社会保障制度の充実での安心さがグローバル社会での競争力を発揮できる基盤」”と書き、東日本大震災の復旧・復興には、日本は地学的に自然災害は宿命であり、「絶対」を懐疑的にみる「諸行無常」が日本人気質を醸成してき、その気質が源と思ったが、武田鉄矢氏の言うところの土着的な「愛郷精神」が復旧・復興のエネルギーの源になるのでしょうね。
有識者の復興構想会議は理想論であり、大資本・大企業に利する内容になる懸念をもちますね。




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